第101話 あなたは、トランプさんに何を見るか

 ドナルド・トランプさんが、二期目のアメリカ合衆国大統領に選出され半年余になりました。世界中が、この間のトランプさんの言動に驚き、恐怖し、右往左往させられています。日本では関税に関心が集中していますが、わたしはトランプさんの採る政策がアメリカン・ファーストと言いながら、アメリカの国の基本構造を蚕食している罪過ではないかと恐れています。

 その第1は、ハーバード大学に対する資金援助を締め上げていることです。ハーバード大学は、単にアメリカの有力大学と言うだけでなく、アメリカの歴史を担ってきた大学、アカデミーです。アメリカに移民したピューリタンたちが立ち上げて、アメリカの自由と独立、民主主義を担ってきた知的センターです。その故に、多様性に開かれ、多くの国からの学生や研究者を受け入れて、160人以上のノーベル賞受賞者を輩出しているのです。このハーバード大学を潰すことは、アメリカの刻んできた知的歴史を叩き潰すこととなります。

 第2は、ユネスコを脱退し、国連のパレスチナ難民の救済機構などを始めとした世界の貧困世界への支援を断絶したことです。現在もアメリカは世界で最も富裕な国です。その国が自国ファーストと言って援助の手を引っ込めるのは、世界中の貧困の人々、救済を待つ人々を見捨てることです。富む国の中にも貧民がいることは確かです。自国の貧民に対処すると共に、世界の貧困にも目を向けることが、最強国の務めであり、隣人に対してアメリカが果たしてきた良き伝統であって、アメリカの威信がここにあるのです。

 第3は、不法移民と言われる人たちを強制退去、追放していることです。さらに留学のためのビザさえも拒否しています。不法移民と言われていますが、現実にはアメリカに定着し、税金を払い、国を支えている人たちです。この人たちを強制送還することは、アメリカの歴史を否定することです。アメリカは移民によって成り立った国、植民国家です。トランプさん自身もドイツ系移民の三世です。自分たちを温かく迎え入れてくれたアメリカの歴史を否定し、移民に冷たい国家とするのは、国の成り立ちを否定することです。

 アメリカは、6月22日、イランに直接、軍事攻撃を加えました。バンカーバスターという地下深くの施設を狙う特殊爆弾をもってイランの複数の核施設を爆撃しました。今までイスラエルが軍事施設や核施設へ攻撃をすることはあっても、アメリカ軍が直接手を出すことはありませんでした。しかし今回、大統領自らが認める軍事攻撃でした。イランはまだ核爆弾は持っていない段階で、自国が攻撃されてもいない状態で、宣戦布告なき軍事攻撃は、弁明しようのない明らかな国際法違反です。トランプさんは「武力による平和」と言いますが、法なき世界、世界を無法者の支配、世界大戦への道備えをしているのです。

 新約聖書・ヨハネ黙示録13章に、海の中から上ってくる一匹の獣が描かれています。「これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた」。「この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。そこで、獣は口を開いて神を冒涜し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒涜した。獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた」と記されます。

 黙示録の世界、獣の支配する時代が来たのです。しかし、その活動の時は「42ヶ月」です。時が区切られています。しっかりと「時」を見ていきましょう。今回の花はヒスイランとします。(2025/7/11)

第102話 「復讐」をしてはならない

 2025年の8月を迎えました。新聞やテレビなどで戦争や平和の問題が取り上げられています。採り上げられないよりはるかに良いことですが、キワモノのように感じます。先の参院選の後で、石破首相による戦後80年に当たっての声明などは出さないとのことです。

 この「折々の言葉と写真」では、わたしの個人的な社会時評を中心にしており、直接的に聖書を取り上げないでいます。しかし、今回は聖書の言葉から始めます。

 マタイ福音書5章43-44節です。「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」。これはイエス・キリストの語られた言葉です。

 イエスは「あなたがたも聞いているとおり」と言います。旧約の時代は「隣人を愛し、敵を憎め」と言われていました。この「隣人」とは家族、友人、同胞という一定の枠の中の人たちです。敵に対しては「憎む」のです。その憎しみの処置として「同体復讐」が認められていました。同体復讐とは「目には目を、歯には歯を」というものです。やられたら、やり返す。その限界が「同体」、同じ程度ということです。これが「正義」と認められていたのです。

 これに対して、イエスははっきり「違う」と言われました。「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と。これが、キリスト教なのです。「やられたら、やり返す」の世界ではありません。自分を攻撃する「敵」を愛し、自分を迫害する者たちのために祈るという世界を構築する信仰なのです。「敵を隣人とする」のです。これが、イエスのもたらす「シャローム」(平和)なのです。

 ウクライナを攻撃するプーチンさんも、イランを空爆したトランプさんも平和を語ります。安倍さんや石破さんも平和を語ってきました。これら多くの人たちによって語られている「平和」は、イエスの語る平和と真逆のものです。「復讐、報復」の上に築かれた平和で、「抑止論」と言われるものです。やられたから、やり返す。やられたら、やり返すための力を蓄える。倍返しすることの出来る力(軍備)を備蓄する。これは、真の意味での平和ではなく、脅し、恫喝と恐怖の上に成り立っている瀬戸際の均衡なのです。

 「やられたら、やり返す」報復を正義と認めたら、報復が無限に連鎖して止め処がありません。力のある者が勝利し、無力な者はしばらく「臥薪嘗胆」(忍耐)して力を養い、いつの日にか報復する。平和と言っても、戦争と戦争の間の一時のものに過ぎません。最後は核戦争となって人類の絶滅となるでしょう。「抑止論」の落とし穴に落ち込んではなりません。

 日本国憲法は、この抑止論に立っていません。「武力による威嚇、武力行使は、国際紛争を解決する手段として、永久に放棄し」、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」、「国の交戦権は、これを認めない」のです。すべての人々、すべての国々を隣人として愛し、祈る国造りをするのです。これ以外に真の平和はありません。今回の花は栴檀とします。(2025/8/8)

第103話 「時代と空気」の流れに抗らがって……

  敗戦後80年の時が経ました。8月に入ってからは、新聞やテレビなどのマスコミでも戦争の惨めさ、平和の尊さが取り上げられるようになりました。まだ個人の命の尊さや嫌戦、不戦が語られている時代と言えるかもしれません。

 しかし、わたしには、これらマスコミの「平和の主張」は表面的、一時のキワモノのように感じます。むしろ、時代の大きなうねりは、個人の命の尊厳などは何処吹く風、憲法9条の平和主義などは全く無視して、最新鋭の武器を輸出して儲け、核抑止論に依拠して被爆者たちの声などに聞く耳を持たず、琉球列島を要塞化し、アメリカのトランプさんに従って軍備を大きく増強し、いつでも戦争の出来る国造りを急いでいるのです。

 トランプさんは「アメリカ・ファースト」と言って、アメリカをぶち壊しています。それを真似て「日本人ファースト」と言って、政界のブームに乗っている人たちがいます。現行憲法を廃棄し、国民主権から天皇主権に換え、「核武装が最も安上がり」と言うような人たちです。現在はまだ、極端な右翼と考えられていますが、実はこのような主張に同調し支持する根深い土壌が日本にはあることを見逃してはなりません。むしろ、戦後80年にして根深い岩盤が浮上して、戦前の天皇主義の素顔が見えてきたのではないでしょうか。

 戦争は、権力者たちだけで行えるものではありません。徴兵しても徴兵に抗う人たちが多数では決して戦争は出来ません。戦争を始める権力者に迎合し、押し上げ、興奮し、熱狂する国民大衆が存在しているのです。かつて多くの大新聞がお先棒を担ぎ、国民を煽りました。満州国建国を寿ぎ、国際連盟脱退を大歓迎し、真珠湾攻撃を大見出しで祝いました。大多数の国民も冷静さを失って勝利に湧き上がり、バンザイ、バンザイと小旗を振って出征兵士を送り出し、戦争遂行のために全面的に協力支援したのです。非協力者は「非国民」と罵られ拘束されました。今、この国民的戦争協力の岩盤が浮上してきているのです。

 天皇家に対するマスコミの媚び、アイドル同様な国民的受け止めが気がかりです。巨大な軍備の増強に対するマスコミの無関心と警戒のなさも心配です。日本の国民性は付和雷同です。この時代の空気、風向きに対して、わたしは抗って行かねばならないと覚悟しています。わたしは寺山修司の次の歌に同感を感じています。「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし、身捨つるほどの祖国はありや」。我が身を犠牲にするほどの祖国愛などはいささかも感じません。

 「非国民」と罵られてもいい。2025年8月6日付の朝日新聞に全面広告で「第九条の会ヒロシマ」が、いろいろな声を紹介していました。「九条実現、一条廃止」、「天皇制の廃止、せめて君が代は停止」、「二度と殺したり殺されたりしない誓い」等の声を載せていました。時代の空気の流れに抗う小さな声です。まだ今は、これらの小さな声が封殺されていません。わたしたちも、声を挙げ、抗い続けていきましょう。今回の花は彼岸花とします。(2025/8/14)

第104話 「抑止」とはフィクションです

 今年も8月に入ってから、いろいろなところで戦没者などの慰霊の行事、平和を祈る行事が行われました。その報道の中で深い感動をもって聞いたのが、8月6日、広島市原爆死没者慰霊式で、世界中の大使などが列席する中、とりわけ石破首相の目の前で、力強く語られた湯崎英彦広島県知事の短い挨拶の言葉でした。

 「核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし、本当にそうなのでしょうか」と問いかけ、「歴史が証明するように、ペロポネス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです」と、「抑止論はフィクションだ」と明快に語ります。

 そのため、「自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力、誤解や錯誤により抑止は破られてきました。我が国も、力の抑止では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間はかならずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が働くとは限らないことを、身をもって示しています」と、太平洋戦争の開戦自体が合理的判断によらなかったことを示し、抑止論の虚構性を明らかにしました。

  そして、本当の(戦争の)抑止とは、武力の均衡ではなく、ソフトパワーや外交であるとし、現在「核抑止の維持」のために世界で年間14兆円が投入されているが、その十分の一でも核のない世界の在り方に頭脳と資源を投入すべきであると主張し、被爆者のサーロー節子さんの言葉を引用して、「数多くの原爆被害者の無念を晴らすためにも」、「広島県として核兵器廃絶への歩みを決して止めることはないことを誓う」と締めくくっているのです。

 わたしは、この時まで、湯崎英彦という方について全く知りませんでした。有能な通産官僚出身であること、広島市出身であることも、今回初めて知りました。まだ、日本の官僚の中にこのような人がいることを知って希望が出てきました。これからの活躍を祈りたいと思います。同席していた石破首相は、この挨拶の言葉を聞いてどう感じたでしょうか。同じ広島出身の岸田元首相は、どう感じたでしょうか。聞いてみたいものです。

 湯崎英彦知事の語ったことの中で、最も大切なことは「抑止とは、頭の中で構成された概念であり、フィクションである」という指摘です。今まで、多くの人たちが「抑止論」を語り、それに納得させられてきましたが、今回「抑止はフィクションである」という言葉によって抑止論の虚妄性が、世界中に明確にされたことです。世界の人たちに大いなる気づきが与えられたのです。被団協へのノーベル平和賞が、今回のこの「気づきの言葉」へと導かれたと言っていいでしょう。今回の花は紫のヒスイランとします。(2025/9/5)

第105話 映画「黒川の女たち」を観て

    先日、浜松のシネマイーラという映画館で「黒川の女たち」というドキュメンタリー映画を観ました。この映画について全く知らない方が多いと思いますので簡略に筋道を記します。戦前、日本・関東軍によって中国の東北部に「満州国」が建国されました。歴史的には1932年から1945年まで13年間存在していた日本の傀儡国家です。この満州国に日本中から「満蒙開拓移民」が行われました。「王道楽土、五族協和」等という美名に踊らされて、先住農民の中国人・満州人を強制的に退去・追放して日本人の集落を造ったのです。

 これに当時の岐阜県の黒川村が分村する形で応募し、戦時中に数百人が満蒙開拓団としてソ満国境の地に配置されました。在留数年で敗戦を迎えました。関東軍は敗戦を予知して、軍幹部とその家族、満鉄の社員家族は臨時列車を仕立てて日本へと帰国してしまいます。国境最前線の地に配置されていた開拓団には知らされません。開拓団はソ連軍侵攻のための防波堤とされ、「棄民」されたのです。国家犯罪の犠牲者です。日本という国は謝罪をしていません。

 ソ連軍の侵攻と敗戦により、各地に散開していた満蒙開拓団は窮地に陥ります。守ってくれるはずの関東軍はもはや無く丸裸で放り出された。集団自決を選択した開拓団もあります。統制とれずバラバラに逃亡し、逃亡の末、息絶えた人たち、捨て子となった人たちも多かった。その中で黒川開拓団は、集団自決ではなく生きて日本に帰る道を選択しました。周囲は敵だらけで、黒川開拓団の選んだ道は敵であるソ連軍に保護を求めたのです。

 しかし、保護の見返りに求められたのがソ連軍将校たちへの性的接待でした。開拓団の避難所の一角に「接待所」が設けられ、18歳以上の娘たち10数人が提供されたのです。「接待」の意味すら分からない娘たちが性の相手としてソ連兵に差し出されたのです。その娘たちにとっては「悲惨」と言う以外ない事態です。性病などで現地で病没した人たちもいます。一切口外することを禁じて、やがて黒川開拓団は日本に帰国しました。

 しかし、人の口に戸は立てられません。帰国した女性たちを待っていたのは差別と偏見、誹謗中傷でした。込みあげる怒りと恐怖を抑えて、山深い地に身を隠すように過ごしてきました。深い傷を負った女性たちは声を挙げられず、長い間この事実は伏せられてきました。

 この被害女性たちの数人が声を挙げたのです。自分たちが見てきたこと、されてきたこと、封印されてきたことを語り出したのです。日本人の加害の事実と共に、自分たちが身をもって受けた過酷な犠牲の事実を、彼女たちが手を携えて「無かったことには出来ない」と語り出した。この彼女たちの声に突き動かされて周囲の人たち、開拓団の遺族たちが、その証言を受け止めて完成させたのが、このドキュメンタリー映画です。

 日本の国家指導者に先ず見てもらいたい。満州事件を起こし、満州国を造り、満州へ満州へと熱に浮かれて多くの開拓団を送り出した軍と教育関係の後継者に見てもらいたい。若い人たちにも見てもらいたい。軍隊は決して国民を守らず、見捨てることを。戦争の最も大きな被害者は弱者と女性たちであることを。全国民、必見の映画です。今回の花はコスモスとします。(2025/9/12)

第106話 「無言館」を訪ねて

 先日、10月20日、長野県上田市にある「無言館」を夫婦で訪ねました。かねて観てみたいと願っていました。「無言館」について知らない方も多いと思います。アジア・太平洋戦争で戦没した画学生の残した絵を展示している美術館です。戦争直前に、戦時中に美大などを卒業、或いは学業中途で召集されて戦地で戦死、戦病死した人たち、シベリア抑留中に死亡した人たち、帰国出来てもすぐに死去した人たちが残した遺作です。また、美大などに学ぶことなく独学で絵を学んでいたプロレタリアの人たち、教員たちの絵も収蔵展示されています。

 以前から「無言館」の存在については知っていましたが、近年、館長の窪島誠一郎さんが「しんぶん赤旗日曜版」に毎号寄稿しているのを読んで、是非行ってみたいと思うようになりました。上田市郊外の閑静な森の中に2棟の展示館に分かれて展示されていました。わたしの予想に反して多くの人たちが来ていました。自分も含めて老齢の人たちが多かったようです。静かにゆっくりと観ることが出来ました。

 絵の評価や批評などは門外漢のわたしには出来ません。「戦没画学生」と言われるように、全員がほぼ20代から30代で召集され、戦死、戦病死しています。死を目前にした人の描いた気迫は伝わってきます。自分が生きていた証しとしての自画像が多く残され強烈な印象を与え、何事かを訴えてきます。老大家の描いた完成した絵ではありません。多くの作品からは若さと未完了形が伝わってくる作品です。恋人の裸婦像、家族を描いたものも多く、彼らの思いが伝わってきます。彼らが生き続けたら、どう成長していたでしょう。

 彼らが戦地から送ってきたハガキに描かれたスケッチも展示されています。絵を描くことが生きがいであったのでしょう。当時の小さなハガキに戦地の風景や事物が漫画のように記されています。作品には一人ひとりの簡単な略歴と戦没地、簡単な解説が付されていて、故人を知る手がかりとなり、作品を観るよすがとなっています。

 この「無言館」の収蔵作品からは、直接的に反戦や不戦の声などは聞こえてきません。館長の窪島誠一郎さんが「しおり」に「口をつぐめ、眸をあけよ。見えぬものを見、きこえぬ声をきくために」と記すように、声なき声を聞かねばならないのです。絵筆を奪われた者の悲痛な慟哭の声が聞こえてきます。青春のただ中で生涯を奪われた者たちのうめきや嗚咽の声が聞こえてきます。「バンザイ」の出征の声に送られても、その奥底でつぶやく無念の声が聞こえてきます。自分たちが「ここに生きた」ことを世に刻印する爪痕が残されているのです。

 画学生たちだけのことではありません。戦争は将来ある若者たちの生涯といのちを無残に奪います。人としての可能性と才能を奪い、望まない殺人者としてしまう。この冷厳な事実をしっかり見つめねばなりません。国のため、家族のため、郷土のためと、美しい言葉が語られます。どんなに美しい言葉が語られても、戦争は加害者であれ被害者であれ、人の命、人の生涯を奪うのです。断じて戦争を行ってはならない。戦争の不条理を強く訴える「館」です。今回の花はカルミアとします。(2025/10/24)

第107話 高市内閣の危うさ

 高市早苗さんが総理大臣に指名され、高市内閣が出来ました。戦前戦後を通して日本の女性最初の総理です。当然、お祝い申し上げたいところですが、どうしても「おめでとう」とは言えません。むしろ、悲しみと憤りをもって受け止めざるを得ませんでした。

 安倍政権の継承を語っていただけに極めて強硬な保守・右翼路線を歩み始めています。ブレーキ役と見られていた公明党からも見捨てられ、自民党よりも強硬で右翼的な維新と組んでブレーキの外れた暴走車となっています。台湾有事を日本の「国家存立危機事態」と見なすと発言して中国を怒らせてしまいました。歴代政権は、慎重に基本的には台湾と中国の関係は「中国の内政問題」としてきました。この基本線を犯してしまったのですから、中国が怒るのは当然です。その結果、観光、留学、輸出入関係が大きなダメージを受けています。

 トランプさんにおもねり、肩を抱かれて米空母の上で飛び上がっていました。トランプさんをノーベル平和賞に推薦したとのこと、真に情けない。防衛予算をGDP比2%に前倒しして追加予算を組み、さらに米国の要求3%も受け入れようとしています。米国の兵器を爆買いしてトランプさんに媚びを売ります。核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を見直そうとしています。違憲の「防衛三文書」をさらに見直して武器輸出を可能としようとしています。空母にもなる護衛艦や潜水艦を輸出しようとしています。軍事大国化の道を爆走している状況です。憲法九条などの規定は完全に無視されています。

 トランプさんに媚びを売るだけでなく、国民にも媚びを売っています。そのため、内閣支持率は上昇しています。「責任ある積極財政」とのことで、「金額を気にすることなく」ばらまき財政を行っています。少数与党のため同調してくれる野党の要求を大胆に飲み込んでいきます。防衛費の積み増しをはじめ、ガソリンの暫定税率の撤廃、子育て支援費、年収の壁の見直し、お米券の配布、電気ガス代の補助、AI企業等への投資、自然災害などへの対応、等などです。防衛費を除いては、1つ1つは、わたしも大事な必要なこととは思いますが、歯止めのなさには危機感を感じています。

 国家財政が破綻すると思うほどの大規模な借金財政です。国債が売られ、円安にも歯止めがかかりません。裏金疑惑には頬被りし、次世代へのツケで生活し、少子化への対策の目処も立ちません。隣人である外国人の受け入れに失敗し、日本は孤立化しています。高市さんは就任時に「世界の中心で花開く」と語っていましたが、日本の経済は世界から見捨てられようとしているのです。海外への兵器輸出で稼ごうという惨めな国になろうとしています。

 高市内閣は、自民党の中にもあった良識派さえも切り捨てています。財政規律を守り、平和外交に徹し、小規模農業を守ろうとする良識派を切り捨てています。総合的な国の将来像を持つことなく、新自由主義の自己中心主義を一直線に突っ走っています。高市さんはトランプさんと好一対で滅亡への道の道連れです。今回の花はツワブキの花とします。(2025/11/21)

第108話 教会の立つ位置

 2025年12月25日、クリスマスの日の午後、シネマイーラという映画館で「ボンヘッファー」という映画を観てきました。わたしにとって、ディートリッヒ・ボンヘッファーの名は親しみあるものです。神学生時代から彼の「抵抗と信従」「現代信仰問答」「共に生きる生活」「告白教会と世界教会」など折に触れて読んできました。ナチス・ヒットラーに抵抗して告白教会の形成に働き、ヒットラー暗殺に関わって処刑されたことはよく承知していました。

 この映画を通して、彼の少年時代、ユニオン神学校留学時代、抵抗運動に関わっていく状況などを垣間見ることができ、嬉しいことでした。また、ボンヘッファーの生活を通して当時のドイツの教会事情も垣間見ることが出来ました。国家教会(ナチスの教会)へと急傾斜していく姿と共に、それに抵抗する多くの教職者や信徒たちがいた事実も分かりました。

 ヒットラーを神として神聖化し、ドイツ・アーリア人の優越を主張し、人種によって差別し、劣等者を排除するドイツ教会の在り様に対して、少数ですが旧・新約聖書の提示する神を神として信じ、ユダヤ人・黒人などの人種差別を排し、聖書的教会の形成、神を神として信じる信仰告白の共同体を形成しようと真剣に闘う人たちがいたのです。地下水が湧き出すように、生ける真の神を信じる人たちが結晶して告白教会を形成したのだと感じさせられました。

 この映画を観て感じたことは、同じ第2次世界大戦下での日本のキリスト教会の在り方でした。国家総動員法の下で、プロテスタント諸教派は多少の抵抗がありましたが、1つにまとめられ「日本基督教団」となり、国家に協力する教会となりました。君が代を歌い、皇居遙拝をしてから礼拝をする。説教は古事記・日本書紀などにすり合わせたとんでもないものになり、戦意を高揚させ、戦死者を賛美するものになりました。神道的キリスト教となって「牙」を失っていたのです。教会の献金をもって戦闘機を献納しました。戦時下の日本の教会は、国家に抗って立つ組織的な動きはほとんどなかったと言っていいでしょう。

 わたしは、ボンヘッファーのような暗殺行為については賛同できませんが、国家の悪に対しては激しく対峙するのが教会という存在なのだと信じています。教会は国家の一部ではなく、神の国の一部で神の所有なのです。国家の悪に対して沈黙することは、神の前で「悪」なのです。映画「ボンヘッファー」が語ろうとしていることは、このことです。これは決して過去のことではなく、現在のことであり、今行われつつあることなのです。

 「教会は政治団体ではない」と言って、教会が政治的な発言をすることを嫌う人たちがいます。一応の理屈です。教会は政治団体ではありませんが、政治に対して無関心でもなく、中立でもありません。教会は「神の言葉」に従って、信仰の論理に導かれて、その時々の国家や社会に対して責任をもって語るべきことを語らねばならないのです。それが、この地に派遣されている教会のミッションです。教会は、決して自己保存のために生きるのではなく、神の所有として神のために真理を語らねば、教会ではなくなります。今回はイチョウとします。(2025/12/26)

第109話 暗い時代の幕開き?

 2026年が始まりました。今年の年頭はゆっくり箱根駅伝を見て過ごすことが出来ました。このうわべの穏やかさの中で、心中穏やかならざるものを抱えて過ごしました。これから、わたしたちの国はどうなっていくのかと、不安が雲のように沸き起こってきています。

 自民と維新の連立によって高市政権が成立して日本の前途に暗雲が立ちこめています。その1つが、刑法の一部改正として「国旗損壊罪」なるものを提案していることです。高市さんの年来の主張らしいですが、十分な審議もなく各方面の意見を聴取することもなく、一気呵成に可決に持っていこうとしています。わたしは国旗として「日の丸」を決めたこと自体に違和感を感じています。国旗や国歌に対するいろいろな感性、多くのこだわり、異見を封殺することは、良心の自由、表現の自由、信教の自由などの基本的人権の蹂躙です。

 2つが、「スパイ防止法」と言われる「国家機密に係わるスパイ行為等の防止に関する法律案」が国会に提案されてことです。すでに「特定秘密保護法」など多くの規制法が存在しています。基本的には外国への情報の流出に係わることで日本人には関わりのないように思われていますが、決してそうではありません。「大川原加工機事件」で分かるように、嫌疑をかければ、どんなことでも立件できる法案です。「はじめ処女のごとく、終わり脱兎の如し」で運用しだいで国民弾圧の手段となる法案です。戦前の「治安維持法」に繋がっていく人々の自由を侵す極めて危険な法案です。

 3つは、「安保三文書」の改訂です。多くの人が違憲と言っているものをさらに改訂して原爆の持ち込みを認めようとしていることです。原爆は「持たず、作らず、持ち込ませず」の三原則を放棄しようとしているのです。「原爆は安価な兵器」と言う声もある。首相の官邸には「日本は核保有すべき」という側近を抱え込んでいます。極めて危機的な状況です。

 4つは、自衛隊関係費の際限なき増大です。2026年度の一般会計予算案が過去最高の122兆3092億円となり、その中で防衛関連費が鰻登りです。対GDP(国内総生産)比1%が2%に倍増し、3%、5%という声も聞こえてきます。医療・福祉関係、教育・学術関係などの民政経費は削られています。何より防衛関係費の増大について多くの野党がブレーキをかけず、アクセルを吹かし聖域化しています。危険この上ないことです。野放図な防衛予算の増大により、莫大な借金を未来に背負って、国家経済は破綻していくことになります。

 最も嘆かわしいことは「日本国憲法」についての関心が驚くほど後退していることです。憲法9条は、もはや政治的判断における「枷」(かせ)になっていません。「立憲」の意味が失われています。国家成立の基本理念が忘れられるところで国家は崩壊していきます。憲法は、国の在り方を規定する基本法で国民との重大な契約なのです。政治家とすべての官僚は憲法によって制約されていることを忘れてはなりません。今回は雛菊とします。(2026/1/8)

第110話 トランプさんの無法と暴挙

 新年を穏やかに迎えられたと思っていましたが、早々に驚愕の出来事がアメリカから飛び込んできました。1月3日未明、アメリカ軍が南米ベネズエラに軍事侵攻し、マドゥロ大統領夫妻を拉致してアメリカに誘拐したことが報じられました。トランプさん自身がSNSで、自分の計画であることの経緯を公表したのです。

 米国への麻薬密輸の元凶としての逮捕ということですが、他国への軍事攻撃で一国の元首を拘束して拉致したのです。確かに、ベネズエラのマドゥロ大統領という人は独裁者でベネズエラの経済を混乱させ、反対派の人々を弾圧してきた人です。多くの人が外国に逃亡し、昨年末のノーベル平和賞を受賞したマチャドさんも反政府行動が認められての受賞でした。

 このマドゥロという人の問題性の故に、ヨーロッパ諸国でも強力な反対運動は出来ていない状況です。とは言え、他国への軍事攻撃が許されて良いはずはありません。明らかな国際法違反です。先には、イランに対して地下にある核施設への爆撃を行いました。このベネズエラへの攻撃の次に、トランプさんは「武力も選択肢の1つ」としてグリーランドの収奪を考えているようです。アメリカ・ファーストのためなら、何でもやるという姿勢です。

 ベネズエラへの侵攻の理由としては麻薬密輸でしたが、実際にはベネズエラの国家を自分で経営をして世界一と言われる石油資源を強奪することのようです。半永久的にアメリカの支配下に置いて、石油やレアアースなどの資源を自由にしたいだけです。いろいろな方面から「国際法違反」という声が挙がると、「自分を統制するのは法ではない。自分の心だ」と嘯いています。これを「ならず者」と言います。トランプさんによってアメリカは「ならず者国家」に堕してしまったのです。ベネズエラから流出した民衆の帰還、国民生活の安定と向上、民主主義政治の復活などはまったく念頭にないようです。

 多くの悲惨な出来事を踏まえて第2次大戦後、必死に世界が紡いできた法の支配が根底から突き崩されています。大国による力の支配の時代に戻ってしまいました。力による現状変更で、ロシアによるウクライナ侵攻を非難することはできません。トランプさんは最近、66の国際機関からの脱退に踏み切ったようです。大国が国際協力・協調から身を引き、孤立化への道にハンドルを切ったのです。国連の活動も形骸化するでしょう。

 トランプさんの無法ぶりはアメリカ国内でも溢れています。国内でも州兵を自由に動かし、女性を射殺した警官をとがめることなく、自分に反対する者たちの地位を剥奪したり、殺してもお構いなしです。検察や裁判所も恫喝しています。やりたい放題です。情けないことに、日本の高市さん始め政府関係者はトランプさんに尻尾を振っているのです。

 しかしなお、わたしはアメリカの良心に期待します。アメリカは何度も暗黒の時代を経験しましたが、自由と民主主義の国として復活したのです。民主主義自体は決して完璧なシステムではありません。しかし、回復する力を持っています。理性と良識に基づく政治が回復することを祈り願っています。今回は水仙とします。(2026/1/16)