折々のことばと写真Ⅲ


第21話 「平和の戦士」、瀬長カメジロー

 最近、沖縄のことが、わたしの大きな関心事の1つとなっています。ようやく浜松の映画館「シネマイーラ」でドキュメンタリー映画「米軍が最も恐れた男 カメジロー 不屈の生涯」が上映されたため、昨日、見てきました。実は、ほんの少し前まで「瀬長亀次郎」という人については沖縄選出の国会議員・政治家という程度の知識しかありませんでした。恥ずかしい限りです。

 日本の敗戦後、長く続いた沖縄におけるアメリカ占領軍の軍政に対して「民主主義」の視点から首尾一貫して戦い続けてきた人でした。瀬長亀次郎の生涯において、戦後の沖縄の過酷な歴史が見えてきます。「日本復帰」だけでは終わらない米軍と自衛隊の「基地のない沖縄」こそが、彼の求めた平和な沖縄の在り方でした。日米安保条約と日米地位協定による日本の中の沖縄ではなく、それを突き抜けた基地なき沖縄の在り方を求め続けたのです。沖縄戦の流血の悲惨を体験した残りの者としての彼の語る言葉は重みのある言葉です。ノーベル平和賞を受けた佐藤栄作氏などと比べることの出来ない遙かに真実の平和の戦士でした。

 今日もなお、沖縄と日本とは、真の意味で米軍の占領下にあると言っていいでしょう。未だ真の独立国になっていないのです。基地の新設のために、有無を言わせず、美しい辺野古の海が埋め立てられています。日本政府はアメリカに抗議しようとさえしません。抗議する沖縄の声をあらゆる手段を用いて封殺しようとしているのです。「瀬長亀次郎」の時代は、まだ終わっていないのです。今回の花は、韓国を象徴する「ムクゲ(木槿)」とします。「無窮花」とも書きます。ともに大日本帝国による悲哀を味わっているのです。(2019/11/21)

第22話 このままでいいのか?

 最近は、テレビを見たり、新聞を読む度にイライラが募っています。日本の国の有り様に不安と怒りを覚えることが多すぎます。その最大の1つは、天皇の代替わりについてのマスコミを含めての無批判さです。「天皇」は、信教の自由、住居の自由、投票権などの基本的人権をまったく持っていないことに誰も気づいていません。神懸かるためのいくつかの儀式のため膨大な国費を費消し、政教分離が無視されています。膨大な数の無責任な天皇ファンが産み出されています。天皇制維持のため誰も批判出来ない危険な状況が生まれています。戦前の「国体」が出来上がっているのです。

 第2は、安倍自民党政権の無責任体制です。臨時国会の請求があっても無視をする。森友・加計問題での文書の改ざん・廃棄、虚偽文書、証言拒否、官僚の政権への忖度・すり寄り、などにはあきれるばかりです。大臣の任命責任の無自覚さには大臣の軽さが見て取れます。今回発覚した「桜を見る会」での資料の破棄と虚偽発言は、日本国家の伝統的無責任体制の極まりが見て取れます。敗戦に際して戦争犯罪に問われる恐れのあるものすべて焼却してしまったのです。国としてのモラルと品格が地に落ちています。

 さらに、アメリカのトランプ政権に寄り添って日米の貿易交渉も不明確なままです。米軍基地のために国土がさらに割愛提供されようとしています。日本の国土と富と力が売り渡されていると言って言い過ぎではないでしょう。民主主義国家として国の有り様全体が見過ごすことの出来ない異常な状況となっています。このままで、いいのでしょうか。戦前、無教会の指導者・矢内原忠雄が、国家が正義に反した場合、国民から批判されなければならない。「一先ず、この国を葬ってください」と語りました。同じような状況が、今日、起こっているのではないでしょうか。今回の花はサザンカとします。困難に打ち克つひたむきさです。(2019/12/7)

第23話 第3次世界大戦前夜 ?

 年末年始は、孫娘が来てくれて久し振りに活気が戻りました。家族でゆつくりと話す楽しみを味わいました。そんな中で降って湧いたように飛び込んできた2つのニュースがあります。1つは、日産の前会長ゴーンさんの国外への脱出です。新聞やテレビの論調の多くはゴーンさんへの手厳しい批判ですが、わたしはゴーンさんにいささか同情しています。企図されていたような突然の逮捕劇、極めて長期の拘留、妻と会うことも出来ない非人道的処遇、予想される超長期の裁判、これらを考えると逃げ出す気持ちも分からないではありません。事柄の是非善悪とは別に、このような処遇を考え直さないと同様なことが起こるでしょう。逃げ場所がない日本人は、同様な長期の苦痛を耐え続けねばならないのは不条理です。

 2つは、アメリカによるイランの革命防衛隊の司令官の殺害です。トランプ大統領自身が言明しているのですから間違いない事実でしょう。これはゴーンさんの事件とは格段に重みの違う世界史的な大事件です。明らかな主権侵害であり、法によらない殺人です。まかり間違えると第3次世界大戦への導火線となりかねない出来事ではないかと思っています。極端な自国中心のものの考え方、物事を多くの人と計って冷静に合理的に判断するのではなく、思いつきで博打のように決断する。このようなトランプ大統領では、この後の収拾も危ういものです。

 日本は自衛艦を中東に派遣しようとしています。火中の栗を拾うことになるのではないでしょうか。アメリカ追随、トランプ追随を止めねばなりません。そのためには、なんとしても現在の日本国憲法とその平和主義の根拠である第9条をしっかり守り抜くことが必要です。年頭に当たって、このことをお互いに自覚してまいりたいと願っています。今回の花は、黄色いバラとします。太陽に向かって平和であることをひたむきに祈り続けて咲いています。(2020/1/9)

第24話 こんにゅく問答

 ここしばらくは国会中継を見ながら腹立たしさが増しています。「桜を見る会」を巡っての首相の答弁を見ていると、地位にしがみついている首相の哀れさが滲み出ています。問い詰める野党議員に対して、同じ言葉を繰り返すだけで、真実を明らかにしようとしない姿には、腹立たしさと共に哀れさを感じます。問われたことに、誠実に向き合い、応えようとはしていない。つかみどころのない「こんにゃく問答」になっています。

 これは「桜を見る会」だけではなく、数年前からの森友・加計学園の問題以来です。一切を官僚の責任にして、自分の責任はひとかけらも認めようとしない安倍首相の姿には、「これが日本の首相なのか」という失望感以外ありません。

 とりわけ、わたしが注目しているのが「IR・カジノ法案」成立の問題です。もう早速に贈収賄の汚職問題が生じていますが、これは国として「賭博、博打」を許容、推奨する法であることです。暴力団やヤクザの人たちの賭博行為は禁じながら、国が賭博の胴元になろうとしていると言えるでしょう。「美しい日本」を標榜する人たちが、多くの国民を賭博・カジノに誘っているのです。金さえ落ちれば、後はどうなってもいい、という見苦しい無責任な品格のない国造りをしているのです。この法の廃止を切に祈り求めるものです。今回の花は、水仙とします。「うぬぼれ、自己愛」が花言葉と言われています。今が盛りですが、もうすぐに終わりの時が来るでしょう。(2020/2/8)

第25話 東京オリンピックの中止を検討する時期にきています

 この1ヶ月あまり、テレビでは毎日、新型コロナウィルスの感染のことばかり放映していると言っていいでしょう。他のことは霞んでしまっているようです。昨年末に中国・武漢での発生が報じられて、基本的には中国のことと思ってきました。しかし最早、中国だけではなく、世界からは日本も感染源の中心地の1つと見られているのではないでしょうか。

 大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客の取扱いの失敗、全国的な感染の拡大、高齢者だけでなく若年齢層での感染、学校・交通機関関係者の感染、医療関係者の感染拡大、日を経るに従ってどんどん日本全国に拡大していきます。社会的にはいじめや差別さえ発生しています。基本的には特効薬がなく、治療は手探り状況のようです。現時点で、新型コロナウィルスの制圧は見えていません。

 この間、日本政府の対応は遅すぎました。対応を検討する閣僚会議に担当大臣たちは欠席しています。近々に「基本方針がでる」と言うことですが、感染の拡大から1ヶ月半も経っての基本方針です。安倍首相の「桜を見る会」での失態、検事の定年延長劇のお粗末な扱いなどで、国民のいのちの問題が先送りされ、軽視されてきたのではないでしょうか。

 新型コロナウィルスの感染拡大の先に見えてくるのは、「東京オリンピック・パラリンピック」の課題です。7月の予定通りの開催を強行するとの声も聞こえてきます。極めて危険ではないでしょうか。安倍首相は、招致に当たってフクシマの原発事故は「封じ込めた」「アンダーコントロール」と語りました。新型コロナウィルスの感染拡大でも「封じ込めた」「アンダーコントロール」と虚偽を語るのでしょうか。世界中から選手団も派遣されず、観客も来ないオリンピックとならないために、この段階で早めに中止や延期を決断することが必要でしょう。特に医療関係者からの明確な助言と提案が必要な時期だと思っています。今回の花は、梅とします。「高潔」、「忍耐」、「気品」などが花言葉とされています。忍耐と気品に満ちた決断の言葉が聞こえてくることを祈りましょう。(2020/2/24)

第26話 「戦争は犯罪です」

 牧師引退後は、自由に本を買う資金も乏しく、図書館に通って手当たり次第にと言っていいでしょう、本を読んでいます。1ヶ月程前に、図書館から借りて読み、その後自分の蔵書にしたいと思い、古書をインターネットで購入しました。小松隆二という方の「戦争は犯罪である …加藤哲太郎の生涯と思想…」(春秋社)です。加藤哲太郎と言う方には記憶があります。戦後、BC級戦犯に問われ、獄中で記したものが映画化され、「私は貝になりたい」という言葉で有名になった方です。しかし、それ以上のことはほとんど知りませんでした。

 実はわたしは青年期、戦争について「義戦論」と「反戦論」で揺らぎ、確信がありませんでした。高校生時代、内村鑑三の「非戦論」に心動かされました。福音派教会から改革派教会に移る頃にウェストミンスター信仰告白にある「義戦論」にも捉えられました。改革派教会もカルヴァンも「非戦」でも「反戦」でもありません。限定された目的の下ですが「新約のもとにある今でも、正しい、またやむを得ない場合には、合法的に戦争を行うこともあり得る」(ウェストミンスター信仰告白32:2)と記されています。

 牧師になり聖書を学ぶ中で、第2次世界大戦とヴェトナム戦争、さらに日本の過去に犯した戦争の責任と日本国憲法などへの学びを深めていく中で、義戦論は成立し得ないことを確信するに至りました。平和を追い求めていくべきことを自分の使命と確信するに至ったのです。その中で、戦争の惨禍の中で生きてきた者として、自らの「戦争責任」についても考えることが多くなりました。家永三郎「戦争責任」には深く教えられました。しかしなお、一般国民・民衆の戦争責任については口ごもっていると言えましょう。

 そのような中で、BC級戦犯とされた加藤哲太郎が自分の生涯の中で絞り出し反芻するように語ったのが、いかなる戦争でも「犯罪である」という言葉でした。戦争そのものを「犯罪」として拒否する姿勢を明確にしたのです。これが聖書のメッセージでもあると確信します。わたしの到達点がここに示されたと言っていいでしょう。日本も有事法制が承認され、集団的自衛権が閣議決定されて、「戦争の出来る国」になっています。毎日の暮らしの中で、「戦争は犯罪です」と語り続けていきたいと願っています。今回の花は、近くの山里に咲いていた「ミモザ」とします。「おもいやり」、「感受性」などが花言葉とされています。(2020/3/16)

第27話 新型コロナウィルス感染禍の中で

 最近は新聞もテレビも「新型コロナウィルス」関連のニュースで一杯で、気が重くなります。わたしの幼児期、戒厳令下で防空頭巾を枕元に置き、電灯に黒いカサをかけて、息を殺すようにして生活していた頃を思い出させます。自宅軟禁或いは流刑になっている状況です。後期高齢者となり、仕事もなく、近くの図書館から借りだしてきた本を読んでいます。

 明日は、キリスト教会で最も大切な「イースター」(復活節)の礼拝の日です。しかし、安倍総理の「緊急事態宣言」が出たためか、礼拝を取りやめる教会が多くなっているようです。戦時中の戒厳令下の教会でも「なんとかして、礼拝だけは…」と努力したのではないでしょうか。宗教的迫害ではありませんが、何か残念な思いがしています。

 この「インターネット・オープンチャーチ牧場」は、幸いに「集会」は最初からしていません。どうか、ご覧いただけましたら幸いです。御言葉を読み、ご一緒に祈りを献げて、個人的に礼拝を献げてくださるようにお願いします。

 全世界に広がり、多くの人々を不安の中に落とし、多くの貴重な人命が失われ、経済活動にダメージを与えている新型コロナウィルスの感染拡大を受け止めて、わたしたちは考えねばならないと思っています。「これは、何を意味しているのだろうか」と。簡単に答がでるものではないでしょうが…。医学的には早急にワクチンや特効薬ができ、医療システムが崩壊しないように祈ります。経済的には市民一人ひとりの生活が支えられることを祈ります。これを機会に、今日の市民世界の脆弱性が立て直されていかねばなりません。今回の花は、主イエスの復活を表す野に咲くユリの花とします。(2020/4/11)

第28話 コロナウィルス感染禍で想うこと

 「緊急事態宣言」が延長されようとしています。「新型コロナウィルス」関連のテレビ番組を見て、安倍政権下の日本の課題を考えざるを得ません。1つは、医療体制の脆弱化です。近年、日本では医師養成のための医学部の増設、医学生の増員を絞ってきました。さらに地方の基幹病院の統廃合を進めてきました。先進国の中で日本の医療体制が貧しくなっていたのではないでしょうか。今回のコロナウィルス対策の失敗も根源には長期の医療費削減政策があったのではないでしょうか。

 2つは、今もってPCR検査が自由に出来ません。韓国で出来ているドライブスルー方式などが、なぜ、日本では出来ないのでしょうか。今もって、全国でどれほどの感染になっているのか、正確に掴めない状況です。重症になってから、死亡してから、PCR検査をしているのです。こんな馬鹿なことがありますか。多くの人々の不安の根源がここにあるのです。今からでもインフルエンザ並の検査態勢を敷いてほしいものです。

 第3は、経済です。「緊急事態宣言」が延長されて、経済的な負担が国民全体にのしかかってきます。一人10万円の配布などでは済みません。倒産が続出し、自死する人も多く出てくるでしょう。「平時ではない」のですから、一般会計予算を大幅に組み替えることを考えるべきでしょう。米国からの兵器購入などを先送りし、防衛予算を国民生活維持のために振り向けるべきです。オリンピック・パラリンピックも中止にして、そのための費用も注入することが必要でしょう。それが国民を守る道なのです。

 第4は、いずれでも取り組みが「遅い」ことです。政権担当者の自覚不足、官僚の質低下など目を覆いたくなります。上を忖度し、前例踏襲では非常事態を乗り切ることは出来ません。目を世界に向けて、医療体制でも、福祉体制でも、世界基準に整えていくことが求められているのではないでしょうか。今回の花は、優しく人を歓迎してくれる藤の花とします。人を入れないために咲き匂う藤棚の房を切り落としている情景をテレビで見て、恐ろしく、悲しくなりました。(2020/5/2)

第29話 憲法記念日に想う

 「新型コロナウィルス」感染の恐怖の中で「憲法記念日」を過ごしました。その関連で、いくつかのことを考えています。戦後1947年5月3日に「日本国憲法」が施行されてから73年になります。旧大日本帝国憲法(1890-1946)の56年間よりもはるかに長い間、国の基本法として存在し続けてきました。旧憲法の時代は、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日支事変、アジア太平洋戦争と、戦争に次ぐ戦争で、最後は焼土と化した国の姿でした。日本国憲法下では、第9条の拘束もあり、国民は戦争に駆り出されることはありませんでした。この1点でも平和憲法と言われている「日本国憲法」のおかげを深く感じています。

 日本国憲法の中で最も傑出しているのは、第19条「思想及び良心の自由」、第20条「信教の自由、国の宗教活動の禁止」です。旧憲法では、「思想及び良心の自由」の規定はなく、信教の自由は「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りにおいて」という限界付きでした。人としての最も基本的な自由な人権の保証です。この自由を決して奪われることのないように、この憲法を支持していかねばならないと考えています。

 現在、新型コロナウィルスの感染禍で特措法として「緊急事態宣言」が出されています。このような緊急事態を想定して、これを憲法を改訂して挿入しようという考えが仄聞されています。極めて危険な方向です。憲法を棚上げして、一切を時の権力者に委ねてしまうことになります。ドイツでは極めて民主的な憲法であったワイマール憲法を棚上げにして、ナチズムの支配に委ねてしまったのです。どのような緊急事態であっても譲ってはならない一線です。

 最近の安倍首相はじめ政府首脳の言動を考えると、この優れた日本国憲法が旧憲法の方向に変えられようとしています。現憲法の基本的な理念をしっかりと受け止める政治家が国政を担ってほしいと願います。国民的な「いのちの危機」にある時だけに、憲法をしっかり踏まえた国の営みをしてほしいものです。野党による政権奪回を祈ります。今回の花は、ジャーマン・アイリスとします。平和への燃える思いを仮託したいと願います。(2020/5/4)

第30話 先の国会を顧みて

 国会が6月末で閉会となりました。「新型コロナウィルス」対策の中で慌ただしく幕締めとなった感じです。これ以上続けると次々と綻びが出てくるからでしょう。早急に「臨時国会」を開いてほしいものです。

 安倍長期政権の綻びと言うだけのことではありません。モリカケ問題から始まって、桜を見る会の問題、検察官の定年延長の問題、検事長と新聞記者たちとの賭博、河井前法相夫妻の買収疑惑と逮捕、そしてコロナウィルス感染禍に対する対応の決定的な遅れと笑い話のようなマスクの配布、などなどが次々に登場しました。

 これらの問題、課題の1つ1つについて、いろいろな想いがありますが、突き詰めて言うと、国会軽視、国民蔑視、無責任を、絵で描いたような国会だったと言っていいでしょう。怒りを通り越して惨めさを味わっています。文書記録を改ざん・削除し、廃棄する。発言をいとも簡単に変更する。法解釈を勝手に変更する。議員を侮蔑する。「任命責任を感じる」とは言うものの何も責任をとらない無責任さ。どうして、こうなってしまったのでしょうか。

 政治家だけではありませんね。最近の新聞を読んでも面白味がありません。コロナ一色と言っていい。新型コロナ関連さえ書いておけば、何とかなると考えているのでしょうか。しっかりとした取材に基づく批判的な記事の乏しさを感じています。沖縄の辺野古の埋め立て、フクシマ原発の処理の問題、地方再生の問題、等々、大事な課題が不思議に取り上げられていません。ジャーナリズムの真価が問われている時です。今回の花は、七変化とも言われる紫陽花とします。冷たい世間のうつろい易さを表したいと思います。(2020/7/10)