41、聖書の解釈について(3)

 ……聖書の「基本的な意図」に基づいて

 今回は旧約・新約を貫く「聖書」についての基本的な理解を記しましょう。「聖書」とは、どのような目的を持つ書物なのでしょうか。旧約は、古代イスラエルの歴史書でしょうか。人生訓を記した論語のようなものでしょうか。新約は、イエスの伝記なのでしょうか。そのように考える人も多いようです。

 実は、聖書は総体的に「救済の書」、救いの道、解放を伝える「福音の書」なのです。旧約は、イスラエルの民の出エジプトという壮大な歴史のドラマを伝えることによって神の救済・解放を伝える書物です。さらに神殿とその祭儀を通して、やがて来る救い主による罪人の救済の出来事を予表する書物です。新約は、旧約によって予表され告知されていた神の救済が、人となられた神の御子、イエス・キリストによって歴史の中で実現した神の救済、罪の贖い、罪からの解放の出来事を物語る書物です。

 では、「律法」と呼ばれる部分は、どのような性質のものでしょうか。「律法」は、神の救済の恵みを受けた者が神に感謝して生きるための道筋なのです。このことを告知しているのが十戒の冒頭の言葉です。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(出エジプト記20:1)。出エジプトという壮大な民の解放・救出をなした神への感謝、恵みへの応答として「十戒」・律法に従って群れを形成し、神に従い、隣人を愛して、生きることが求められているのです。

 この旧新約「聖書」を貫く基本的な構造が分からずに、自分勝手な聖書の読み方をして失敗するのです。大切な「宗教の書」ということで、読んで感動した個所、感銘を受けた言葉、人生の処世訓のような言葉に心動かされて「これが聖書だ」と判断します。また、自分で大切だと判断した言葉に「こだわる」ところから、とんでもない誤解が生じます。断片的な「言葉」を繋ぎ合わせて前後の文脈を無視します。聖書の全体的、総合的な意図と構造を無視して強引な解釈を施します。

 聖書は、よき音信(おとずれ)、「福音」を伝える書です。「福音」から切り離された「律法」は、人を刺し貫く厳しい「掟」の言葉に過ぎません。聖書を「福音の言葉」として正しく読むためには「導き手」が必要です。聖書を「福音」として読むためには、教会に行き、信仰の書としての読み方を学んでいただくことが必要です。今回の花は優美な白木蓮とします。(2023/4/7)

42、「日曜学校」の再建を祈る

 今回は「日曜学校」について記すこととします。「日曜学校」はキリスト教会特有の活動ですが、現在、たいへんな状況になっています。コロナ禍以前からですが、コロナ禍が収束しても回復しないのが「日曜学校」の活動です。数的に激減しているだけでなく、活動を再開できない教会も多くあるようです。

 わたしが伝道者になった1970年頃は日曜学校はしっかり活動していました。1980年代までは教会の最も大きな伝道の場でした。しかし今や、回復不能な大打撃を受けています。少子高齢化だけの問題ではありません。わたしは、もう一度、「日曜学校」は原点に戻る必要があるのではないかと思っています。

 元々、「日曜学校」は、英国のグラスターというところで18世紀末期に始まりました。当時の英国は産業革命の真っ最中でした。スラム街に住む工場労働者たちの過酷な労働状況による過度の飲酒と道徳的な退廃が蔓延していました。下層階級の子どもたちも大人の労働者なみに過酷な労働に携わり、読み書きも出来ず、自分の名さえ書けない子もいました。この状況を見て、心を痛めたのがロバート・レイクスという英国国教会の信徒でした。

 ロバート・レイクスは、自分の教会の牧師に頼み、教会堂の空いている小部屋を借りて、日曜日に子どもたちに読み書きや算数の一般教育の授業を始めたのです。日曜日に授業をしたのは、子どもの労働者でも月曜から土曜日まで目一杯働かされ、日曜日以外なかったからです。テキストは主に聖書でした。この日曜学校がアッという間に広がりました。時代が必要としていたのです。

 安息日である日曜日に、教会堂を用いて、一般教育を行う。これに対して、教会内から大きな非難と反対の声が挙がりましたが、しだいに定着するようになりました。一般教育だけでなく、宗教教育をも行うようになり、やがてアメリカの教会にも浸透するようになり、プロテスタント・キリスト教が日本宣教を始めると共に、日本でも取り入れられました。宣教師学校、ミッションスクールです。

 ところが今日では、日曜学校が変わってしまっています。ほとんどが教会員子弟のための宗教教育の機関になっています。「教会学校」と呼ばれて、完全に内向きの構造になり、教会の信徒教育の場となっています。これでは回復することは無理でしょう。「日曜学校」回復の道は、元のロバート・レイクスの行った過酷な社会状況に生きる人たちのためのよき居場所、彼らに対する奉仕の場としての活動に引き戻すことです。時代の中で生きる人々の悲痛な叫び声を聴いて、会堂を開放し、課題を抱えて苦悩する人たちに奉仕する道を模索することが必要です。これが、本来の「日曜学校」活動なのです。今回の花は珍しい黄色の花菖蒲とします。(2023/6/9)

43、教会の「コロナ禍」後の問題を考える(1)

 1,コロナ禍の中の教会

 最近は、いくぶんコロナ禍が収束しつつあり、多くの教会でも活動を再開し始めています。これから、どうなっていくでしょうか。今回は、コロナ禍後のキリスト教会全体の在り方について考えたいと願っています。

 2019年後半から新型コロナウィルス感染の流行が始まり、2020年の年頭あたりから教会もコロナ対策に翻弄されるようになりました。マスクや消毒液と共にソーシャルディスタンス(距離を置く)ということで、教会での人の出入りを制限するようになりました。やがてパンデミック(世界的大流行)という言葉と共に、学校や食堂などでのクラスター(集団感染)という言い方が始まりました。「教会からクラスターを出してはならない」ということで極端なまでの自己防御を図りました。

 礼拝や諸集会をしばらくの間一切取り止めた教会もありました。役員や一部の人たちだけに制限した教会もありました。今まで決して口にしなかった「教会(集会)に来ないでください」という言葉を公然と語り、教会の門扉に「礼拝中止・休会」の張り紙を出す教会もありました。教会の命である「聖餐式」も出来なくなり、なんとか回避しようとしてとんでもない方向に走り出した教会もありました。

 多くの教会ではインターネットを用いたウェブ配信での礼拝を始めました。信徒は、パソコンやスマホの画面で放映されてくるのを受け止めるだけの「バーチャル(仮想・虚像)礼拝」です。何の手当もしないよりはましですが、多くの教会ではこれを「ウェブ礼拝」「オンライン礼拝」などと呼び公認の礼拝としてしまいました。

 会堂の礼拝の場に「身を置かなくても良い」、家庭でウェブ配信の礼拝風景を見て、それが礼拝ですよ、と公認を与えてしまったのです。ウェブ配信などの技術を持たない教会や牧師たちは、週報を郵送するだけという状況になりました。多くの教会がコロナ禍の中で機能不全に陥ったと言っていいでしょう。

 2022年末くらいから、コロナ禍がしだいに収束に向かいました。世の中では「経済を回すため」ということで規制がしだいに緩められ、2023年5月から新型コロナウィルス感染症も「5類相当」に移行されました。マスクは自由になり、新幹線は満員になり、飲食店は活況を呈し、観光地はインバウンドで外国人客が賑わっています。物価の高騰などはありますが、世の中は活気に溢れています。

 しかし現在、キリスト教会には活気が戻ってきていません。多くの教会で、日曜学校は閉鎖されたまま、礼拝の人数は半減しています。伝道活動を再開しようとしていますが活力がありません。どうなっているのでしょうか。今回の花はキバナコスモスとします。(2023/9/22)

44、教会の「コロナ禍」後の問題を考える(2)

2,コロナ禍による教会のダメージ

 今回は、コロナ禍によってキリスト教会が受けたダメージについて考えます。2019年後半からコロナ感染の流行が始まり、社会全体が大きなダメージを受けましたが、教会もコロナ対策に翻弄され大きなダメージを受け、今日に至っています。

 「クラスターを教会から出さないように」として、集会をすることに臆病になり、教会としての日常活動を大きく自粛しました。コロナ禍による教会活動の自粛は、戦前・戦中の特別高等警察(特高)などの権力による強制ではなく、教会側の全くの忖度によると言っていいでしょう。飲食店、カラオケ店などに対して行われたような社会的強制はなかったと記憶しています。

 ほとんどの教会は、2020年の政府の「緊急事態宣言」を待つまでもなく、従順に規制に従い、すべての集会・礼拝を自粛し、規模を縮小し、オンラインに変え、休止するところもありました。大切な教会の会議もオンラインに切り替えました。かつての戦前・戦中の教会が行ったような抵抗活動はほとんどなかったように思います。不思議な感じがします。

 多くの人を教会に招く伝道的な集会を行うことに尻込みしました。注意しながら特別集会を行った教会もありましたが、例外と言っていいでしょう。病院の規制により病者への訪問がほとんど出来ませんでした。家族の面会も規制されました。病者への訪問は教会の大切な働きの分野ですが出来なくなりました。葬儀も「家族葬」となり、人を招き、葬儀式で死を乗り越える福音の宣べ伝えが出来なくなりました。

 子どもたちを集めての集会、日曜学校、野外キャンプなどが軒並み取り止めになりました。バザーや食事会なども取り止めました。教会外の人たちを招く集会が中止されました。集会の中では、挨拶もマスク越しで顔を見ることも出来ません。握手やハグすることなどもっての他です。ウェブ配信があるために、逆に信徒同士の「安否を問い合うこと」もなくなり、信徒の交わりが希薄になりました。

 コロナ禍で、ほとんどのキリスト教会は、何の抵抗もすることなく、規制の要請を受け入れ、社会の動きに忖度してすべての活動を自ら自粛しました。その結果、教会は決定的なダメージを受けました。今や教会は崩壊しかけていると言っていいでしょう。しかし、この危機的状況に対する教会の認識がはっきり示されないのです。教会内部からの叫び声が挙がって来ません。どうなっているのでしょうか。今回の花は彼岸花とします。(2023/9/29)

45、教会の「コロナ禍」後の問題を考える(3)

3,教会の本来の在り方は……

 今回は、キリスト教会が本来的に持つ基本的在り方を取り上げます。受けたダメージを考えるには、どこから外れたのかということを考えねばならないのです。

 コロナ禍との関連で言えば、キリスト教会の特色は「直接性」あるいは「身体性」にあると言っていいでしょう。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(ヨハネ福音書1:14)。神の御子が受肉し、歴史の中で人となり、活動し、十字架でご自身を捧げ、身体をもって復活しました。

 イエスは、病人に直接に手を置き、重い皮膚病の人に御手を触れて癒やし、死人の手を取って起き上がらせました。多くの人に語りかけ、食事を共にし、交わりをし、多くの集会を行いました。このイエスの活動の上に、キリストの体としての「教会」が建てられたのです。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ福音書18:20)。

 この集まりが「エクレシア(教会)」と言われ、今は天にいます主が「わたしもその中にいる」とは、バーチャルリアリティではなく、聖霊論的な現実、霊的実体のある生きた交わりです。キリスト教礼拝は、礼拝の場に身を置いてなすものです。礼拝は生ける神との交わりです。説教者を用いた神の言葉の宣べ伝えであり、集う者たちは、そこで直接的に神の言葉を聴き、応答し、賛美し、捧げることで生ける交わりが成立するのです。聖餐において、主の肉を食し、その血を飲み、キリストと交わり、兄弟姉妹との交わりを実感するのです。これは聖霊における現実です。

 人数の多少ではありません。1つところに集まり、1つの群れとして交わりをする。この直接性、身体性を失ってはならないのです。互いに挨拶し、握手し、ハグし合う。安否を問い合う。食事を共にして語り合う。病む者を訪問し、祈り合う。子らと共に遊び歌う。聖書を学び、福音を伝える。結婚を共に喜び、死者を悼み、悲しみを共にします。これが教会の交わり、聖徒の交わりの姿です。

 コロナ禍で、これらすべてが傷つきました。集会が制限され、礼拝がウェブ配信となり、これが公認され、一時的ですが教会に集うことが忌避されました。ウェブ配信、オンラインの礼拝は真実の礼拝ではなく、テレビを見るようなバーチャルリアリティであることを確認することです。今回は枯れススキとします。(2023/10/4)

46、教会の「コロナ禍」後の問題を考える(4)

4,コロナ禍後の教会の在り方の回復

 今回は、コロナ禍後のキリスト教会の課題を考えてみましょう。コロナ禍後ということは、「新型コロナ感染症」を受け止めた教会の状況を踏まえることです。コロナ禍に遭遇して、教会が困惑の中で選び取った教会存立の主要な方法はデジタル化でした。インターネットを用いたウェブ配信、オンラインによる道です。今まで、この面では、教会は一般社会よりも遅れていたと言っていいでしょう。

 しかし、コロナ禍に際して、必要から生じたオンラインによる集会、会議、牧会・伝道活動などがなされるようになりました。これらの新しい手段・方法は、これからの教会の営みの中で大切な道具としてしっかり用いられて行くべきでしょう。決して拒否したり、放り出してはなりません。

 課題は、教会の本来の在り方を回復することです。それは第1に、オンラインやウェブ配信などによって切り離されてきた「交わりの直接性」の回復です。礼拝の集いに身を置き、兄弟姉妹と語り合い、生で語られる説教を直接に耳で聞き、この口と舌で聖餐の品にあずかり、大きな声で主を賛美する「直接性」です。キリスト教会は、この直接性によって交わりを形成してきたのです。

 この直接性を回復することは、たいへんなことだろうと思います。「ソーシャルデスタント」と言うことで距離を取らざるを得ません。マスクをすることで、自由に語り合うことも出来ません。集会・礼拝自体を中止したり、休会したりしました。一部の人たちに絞りました。ウェブ配信の礼拝とし、それを正規の礼拝、あるいは正当な集会としてきました。本来の集会の在り方を変更して、それを正規のものとしてしまったのです。この回復には、たいへんな努力が求められるでしょう。

 第2は、「宣教・伝道の態勢」を整え直すことです。キリスト教会は使命共同体です。教会は、伝道をすることによって教会として成立してきたのです。コロナ禍で、教会はまったくと言っていいほど伝道の働きが出来なかったことです。子どもたちの集会も、バザーや講演会、音楽会、多くの人たちを集めるいろいろな集会が出来ませんでした。それらの集会を通して、キリスト教会は福音を伝え、人をキリストの元へ招いていたのです。

 約4年間、これらの伝道活動を自粛したり、取り止めてきました。1つ1つの集会を建て上げていくことは、大きな力を必要とします。今まで担ってきた人たちが高齢になり、後継者が育っていない場合もあります。「ノウハウ」を見失っている場合もあります。4年間の空白は大きいです。時代に即した伝道態勢の整備を造り直さねばなりません。今回の花はコスモスとします。(2023/10/12)

47、「クリスマス」について

 今回は「クリスマス」について記します。キリスト教会の最も大きな祝祭は「クリスマス」(降誕節)です。クリスマスは、「キリストのミサ・礼拝」という意味で、イエス・キリストの誕生を祝う時ですが、イエスの誕生日の記念ではありません。イエスの誕生物語はマタイ福音書とルカ福音書が記していますが、イエスの正確な誕生日は記しません。紀元前4年の春頃ではなかったかと推測されています。

 では、なぜ、「12月25日」にイエスの誕生を記念して祝うのでしょうか。紀元4世紀頃のローマで、異教のミトラ教の「不滅の太陽の誕生」を祝う日が,この日に行われていたそうです。丁度、冬至に当たり、太陽が再び力を取り戻す季節に当たります。当時のローマのキリスト教会が、このミトラ教の祝祭日を換骨奪胎させて、「義の太陽」(マラキ書3:20)であるイエス・キリストの誕生を祝う日としたのです。

 紀元4世紀頃のローマでは、キリスト教会は大きな転換期にありました。それまでキリスト教は迫害の中にありました。しかし、コンスタンチヌス帝によって313年、キリスト教が公認され、やがて国教化されていきました。その中で、今まで押さえられてきた教理論争が活発になり、多くの教会会議が開かれて正統的教理が次第に確立していきました。教理と教会のシステム・制度が整えられた時代です。

 そのような時代の中で、キリスト教会がどのようにして一般民衆の中に浸透し受け入れられていくかは大きな課題でした。一般民衆が福音の説教と教理の教えによって悔い改め、改宗が一挙に起こったわけではありません。しだいに、いろいろな契機によって改宗がなされました。ミトラ教の祝祭日を換骨奪胎させて、キリスト教の祝祭日「クリスマス」としたことも大きな契機でした。どのような経緯で、このようになったのかはわかりませんが、見事なキリスト教の土着化と言っていいでしょう。

 日本では、クリスマスは12月25日だけですが、本来は「アドベント」(待降節)から始まり、前日のイヴ礼拝が夜中にかけて大きな祝祭として祝われ、25日のクリスマス礼拝につながります。この時期に、イエス・キリストの誕生物語、イエスの死と復活の物語が、民衆の歌と演劇によって物語られて伝えられていきました。

 クリスマスが終わるのは1月6日頃になる公現日(エピファニー)と呼ばれる時です。クリスマスは1日だけでなく「クリスマスシーズン」なのです。日本の飲んで歌う狂ったような有様はクリスマスとはまったく関係ありません。神の御子が罪人を愛し、罪人の世に貧しく低い人となって入ってこられたことを覚えて静かに喜び祝う時なのです。今回の花はシクラメンとします。(2023/11/22)

48、キリスト教と葬儀について(1)

1,日本におけるキリスト教の葬儀の歴史

 キリスト教と「葬儀(葬式)」について数回にわたって記すこととします。キリスト教は「葬儀(葬式)」を極めて大切にしています。

 どの宗教でも「そうだ」と思うかもしれませんが、実は案外「そうではない」のです。神道では死は「汚れ」として扱われ、直接には葬儀は行いません。ほとんどが寺(仏教)の営みに委ねてきたようです。実は仏教でも葬式が一般化したのは、近世、江戸時代からと言っていいでしょう。お釈迦様の生まれたインドでは、遺体は焼いて、遺灰はインダス川に流していました。天皇や公家、武士などの上流階級の人たちは寺院での葬儀が行われましたが、近世まで一般庶民は自分たちで「土葬」をしただけです。

 今日、「葬式は仏式」という理解が一般化していますが、これは江戸時代前期、キリシタン禁制のためにすべての住民の「檀家制度」が全国的に確立してからです。すべての住民が踏み絵を求められ、強制的にどこかの寺院の檀家とされ、檀家証明がなければ移動もできません。誰でも檀家ですから、寺院は葬式をしなければならず、自葬(寺院以外の葬式)は許されません。自葬(寺院以外の葬式)はキリシタンと見なされ、キリシタンは自分たちでの葬儀ができなかったのです。

 檀家制度に支えられて、家制度も確立し、葬式を中心とした年忌法要(追善供養)などが確立しました。葬式や年忌法要などは仏教本来のものてはなく、檀家制度に伴う寺院経済確立のための制度でした。今日、新憲法下で家族制度がなくなり、檀家制度が根底から崩壊しています。さらに戦後の人口流出、都会集中によって、地方の寺院は檀家が失われています。

 キリスト教会は幕府による檀家制度によって大きな痛みを負ってきました。キリシタンは自分たちの信仰を表明できず、檀家制度によって「寺院の檀徒」であることを強制されました。寺での葬式の後に、隠れて自分たちの祈りをしてキリシタンの故人を寺院の墓地に葬りました。このような「隠れ」が江戸時代二百数十年続きました。

 大きく変わったのが幕末の開国、諸外国との条約によるキリスト教寺院・教会堂の建設からです。大浦天主堂でのプティジャン神父と隠れキリシタンとの出会いでした。身を隠していた信徒たちが公然と現れ、自分たちの仲間の葬りをその信仰に従って公然と行ったのです。「浦上4番崩れ」と言われる出来事でした。明治6年の高札撤去まで「配流」の憂き目を見ますが、キリシタンにとって自分たちで葬儀を行うことは大切なことでした。今日も長崎・五島の島々に残るキリシタン墓地の存在が物語っています。今回の花はアジサイとします。(2024/1/19)

49、キリスト教と葬儀について(2)

2,キリスト者の死の意味

 キリスト教は「葬儀(葬式)」を大切にしています。そのことは葬儀式を「盛大」にすることとはまったく違います。今回は葬儀の前にキリスト教の「死」についての基本的な理解を記るすこととします。人の生と死は、神の御手の中にあります。神が人に「生きよ」と言われて産み出されます。人は魂と心という霊的側面と身体・肉体という側面を持って生まれてきます。「神の形」という霊的側面とその器としての体をもって生きるのです。肉体は他の動物と共通した弱さと限界性を持っています。

 本来、神の形を担う霊的側面は永遠性を持つのですが、堕落・堕罪において「魂も死すべき者」となりました。しかし、キリストを信じ、キリストに結合することによって、人は永遠性を回復します。神にあって「生きる者」となったのです。キリストを信じる者はキリストと結ばれ「永遠の命」を与えられると共に、肉体という限界の内に生きるのです。

 キリスト者の死は、弱さと限界ある肉体を脱ぎ捨てて、永遠の命に生きるということです。ウェストミンスター小教理問答の問37で「信仰者は死のとき、キリストからどのような恩恵を受けますか」と問います。答の前半で「信仰者の霊魂は、彼らの死のとき、完全に聖くされ、直ちに栄光に入ります」と記しています。キリストを信じる者の霊魂は、死において、すべての労苦から解放され、聖化され、直ちにキリストの御手の中に迎え入れらます。

 さらに信徒の体も肉体であることは変わりませんが、キリストに結ばれて大きく変わっているのです。イエス・キリストは、死人の中から、その体をもって復活しました。キリストの復活は霊魂だけの復活ではなく体をもっての復活でした。このキリストの体を伴う復活を、聖書は「初穂」(Ⅰコリント15:20)であると言います。イエス・キリストは今、復活の身体をもって「天にいます」のです。どのような身体であるかは、地上に生きるわたしたちには説明できませんが、天の世界に生きる体なのです。

 キリスト教はキリストの再臨を信じます。その再臨の「キリストが来られるときに、キリストに属している人たち」に、体の復活が与えられるという信仰です。ウェストミンスター小教理問答書の問37の答の後半は「信仰者の体は、なおキリストに結びつけられたまま、復活まで墓の中で休みます」と記します。地上を生きた肉の体とは非連続なのですが、信徒の体は天上に生きる栄光の体を指し示すものと言っていいでしょう。キリスト教の葬儀は、この信仰を明確に告知して、遺族を慰め、復活の希望をもって執り行われる葬りの式なのです。今回の花は梅花とします。(2024/1/26)

50、キリスト教と葬儀について(3)

3,キリスト教の葬儀(葬式)の意味

 「誰がために、鐘は鳴るやと問うなかれ。そは、汝がために鳴るなればなり」(ジョン・ダン)。最近の日本社会では「葬儀」の持つ深い意味が見失われているのではないかと思っています。葬儀が自宅や教会・寺院ではなく葬儀社のホールでビジネスライクに執り行われるようになりました。寺院の手から離れるのはよいのですが、葬儀の真意が見失われているようです。コロナ禍を経て限られた少人数の「家族葬」になっています。派手な盛大な葬儀は慎むべきですが、葬儀の意味が見失われることは心配です。

 キリスト教では葬儀は「神礼拝」なのです。主の日の礼拝は、神ご自身が、主の日という「時」を定めて、主の民を招致して神との交わりとしての礼拝がなされます。葬儀は、信徒である故人が主に召されたことを覚えて、故人を生かした神の恵みを覚えて、故人を生かした神を礼拝する時なのです。

 葬儀の場所は、葬儀社のホールを否定はしませんが、本来は教会の礼拝堂が最も相応しいと言っていいでしょう。故人が信仰生活を送った礼拝堂こそが、故人を生かした神を礼拝するのに相応しい場です。中世のことですが、故人の棺を前にして聖餐式が行われたと言われています。神礼拝としての葬儀ですから相応しいことだと言えるのではないでしょうか。便利と言うことで安直に葬儀社のホールを使う風潮は考え直すべきことの1つではないかと思っています。

 わたしの属する日本キリスト改革派教会の礼拝式文は「葬儀の目的は、神への礼拝、遺体の葬り、地上に残る者への慰めである」と記します。しかし、これら3つが並列的に別々になされるのではなく、神への礼拝をもって遺体を葬り、遺族を慰めるのです。納棺式、前夜式、火葬式、納骨式などの「式」と名付けるものがたくさんありますが、これら全体が神礼拝としての「葬儀」なのだというのが、わたしの理解です。1時間ほどの「葬式」が終わったらすべて終わりではないのです。

 葬儀としての神礼拝は、故人の死において生起し故人に深く関わります。故人に触れない聖書解説のみの葬儀説教には違和感を感じます。故人において生起した礼拝ですから、故人を生かした神の恵みを語る必要があります。故人賛美は慎まねばなりませんが故人の歩みに関わるべきです。しかし、神礼拝ですから「キリストの福音」が語られねばなりません。罪の赦し、永遠の命、復活の希望、これこそが遺族へのなによりの慰めの言葉なのではないでしょうか。今回の花はユリとします。(2024/2/2)