51、「宗教Ⅱ世」という言い方について

 旧統一協会の出来事を巡って「宗教Ⅱ世」という言葉が、新聞・テレビなどのマスコミで語られています。「カルトⅡ世」などとも言われています。わたしは、「宗教Ⅱ世」という言い方はたいへん嫌な言葉だと思っています。

 親が特定の新興宗教、カルトと言われる宗教を信じ、その親の元に生まれ育った結果、その子らが幼少期からたいへん不利益な生活環境、特異な宗教を押しつけられ、さまざまな課題を抱えて生育せざるを得なかった人たちに対しては、わたしも同情するにやぶさかではありません。たいへんだったろうなあ、と思っています。そのような方々の自由と権利が速やかに回復することを共に祈り求めたいと願っています。

 しかし、信仰を持つ親は、我が子に対してしっかりと信仰教育を受けさせねばならないのです。わたしは、プロテスタント・キリスト教会の牧師を長年してきました。自分が信仰をもって神の祝福、救いの恵みを受けました。この神の祝福と恵みを我が子にも受け継いでほしいと願うことは、親として当然の情であり願いです。二代目だけでなく、三代、四代、五代と続いてほしいのです。キリスト教で言うと、ヨーロッパ世界のキリスト教会は、そのような信仰継承によって産み出されてきたと言っていいでしょう。

 ところが残念なことに日本のキリスト教会、特にプロテスタント教会では、この信仰継承に失敗してきたのではないかと、わたしは思っています。統計を取ったわけではありません。わたしの個人的な推測に過ぎませんが、二代目以降への信仰継承が進んでいません。三代目は希少価値です。日本の敗戦直後、しばらくの間、キリスト教会は若者たちで溢れていました。その人たちが、二代、三代、四代へと信仰の継承が着実になされていたら、今日の教会の高齢化はなかったでしょう。

 旧統一協会などでの「宗教Ⅱ世」と言う言葉やその影響で、キリスト教会は我が子への信仰教育をビビってはなりません。親はしっかりとした信仰の理解を持って、我が子の信仰継承のために祈り努めねばならないのです。但し、そのためには信仰に基づく知恵と知識が求められています。子らに対して闇雲に強引に強制して出来ることではありません。決め手は「絶えざる熱心な祈り」です。

 何よりも、教会自身が現在いる教会員、信徒の信仰継承の大切さをしっかり理解して祈らねばなりません。信仰継承を宣教の基本に据えることです。「伝道」と言えば、外部の大人に呼びかけていました。それも大切ですが、教会全体が自覚して世代を超えての信仰継承のために熱心に祈り求めるところから出発し直すことです。今回の花は我が家の近くに咲いている枝垂れ桜とします。(2024/3/15)