折々のことばと写真Ⅰ


第1話 インターネット・オープンチャーチ「牧場」を始めたわけ

 わたしのことを記しましょう。わたしは1941年12月の生まれです。77歳です。長い間、牧師という仕事をしてきました。牧師の仕事は、神の言葉・福音を伝えて、教会を建てる働きと言っていいでしょう。しかし、この牧師の仕事も、数年前に定年ということで引退しています。教会から離れて、「さみしくなったなあ」と想っています。

 こんなわたしがホームページなどを個人的に建て上げたのは、理由があります。このホームページには、どこからの援助もひも付きもありません。わたしの全くの自費によっています。わたしの出身の教派教会からも、奉仕してきた教会からも、支援はありません。ですから、わたしの信じることを、自由に書くことが出来ます。型にはまることなく、自由に物書きしていくつもりです。

 わたしが牧師をしていて気づいたことがあります。特に後半、引退が近くなって気づいたことがあります。「わたしたち」と言っていいでしょうか、わたしの周辺に、実に多くの「教会に行きたくても、行きにくい」人たち、教会のいろいろな集会には顔を見せない人たちがいるという現実です。

 この人たちは、現実の生活の中では仏教徒、あるいは世間的な意味ではキリスト教会とは直接関わらない人たちです。しかし、これらの多くの人たちは、「反キリスト教」ではないのです。機会があったら教会にも行ってみたい、聖書も読んでみたい、信仰も持ちたい、と心の奥底では願っている人たちが「案外、たくさんおられるなあ」ということに気づかされました。

 わたしは今まで牧師として、「教会に来なさい」、「教会に行きなさい」と勧めてきました。しかし、牧師を引退している今、もう、そのように語る必要もなくなりました。もう、語りません。具体的なある一つの教会を建てる働きから解放されました。あと、この地上で残されたときが、どれほどであるかは分かりませんが、教会に来ていない人たち、教会に来にくい人たち、行きたくても行けない人たちに、聖書の語る福音の真実を、お伝えしたいなあ、と想って、このホームページを始めたわけです。

第2話 「花」のはなし

    今、桜の花が満開となっています。もう、散り始めていると言っていいでしょう。昨日、わたしは、自転車で近くにあるわたしの所属する教会の礼拝に行ってきました。行く道の途中に桜のトンネルがあります。大勢の人たちが足を止めて、見上げています。わたしも自転車をとめて、しばし見入っていました。「きれいだなあ…」と。

 しかし、実は、わたしには、桜の花には浮かれきることの出来ない想いがあるのです。「桜と錨」(旧海軍のしるし)、「桜花」(特攻兵器)、「同期の桜」(軍歌)などに出てくる「桜」のイメージを思い起こしてしまうからです。若くして散華していったすぐ上の年代の人たちのことを想うと、桜の花の美しさを手放しで素直によろこべないものを内蔵しているのです。

 もう時代が変わっている、と言われるかもしれません。わたしの思い過ごしでしょうか。1941年に生まれ、敗戦を味わい、戦後のどさくさの中で生きてきた者として、二度と再び、「散り急ぐ」人などが出ないことを祈っています。

 代わって、わたしの大好きな花は、「菜の花」です。「いちめんのなのはな、いちめんのなのはな、…」と賛嘆する山村暮鳥の詩があります。心がいやされるとともに、なによりも食べられることです。この一面の菜の花の中に身を置くときに、手放しで素直に喜ぶことが出来るのです。

第3話 「令和」へのぬぐえぬ違和感

 最近は、新元号「令和」を巡って、あちこちでフィーバーが続いているようです。しかし、4月10日付けの朝日新聞で、中国思想史の専門家が「『令和』 ぬぐえぬ違和感」という見出しで評論を書いています。わたしもここで、「ぬぐえぬ違和感」を記すこととします。

 テレビで初めて、菅官房長官の掲げる「令和」の字を見ての率直な感想です。後に「令」には、「よい、めでたい」という意味があると解説されていましたが、どうも取って付けたような解説ではないでしょうか。「令」とは、本来、人がひざまずいた様で、人を集めて言いつける、命じる、おしえ、法(のり)、と言う意味が基本でしょう。古来から我が国では「律令」で親しまれてきた語なのです。

 ですから、わたしは「令和」の文字を最初に見たとき、返り点を入れて、「和を令す」(和を命令する)という言葉として受け止めました。この場合の「和」は、ごく日本的な「和」、聖徳太子の17条憲法の「和を以て貴しとなす」、五箇条の御誓文「上下心を一つにして」などの文言を思い浮かべてしまいました。日本的な「和」は、異端的な言説を許さない上への服従の表明なのです。「和」を乱すものは村八分になります。

 平和であった時代が終わり、いよいよお上から「和を命じられる」時代になったのだと感じたのです。わたしの個人的な思い過ごしであってほしいと願っています。しかし、秘密保護法が出来、有事法制が成立し、憲法9条が変えられようとしている時代です。日本的な「和」に忖度し、同じる想いは、わたしにはありません。今回の花は、「タンポポ」としました。道ばたで、人に踏まれても、踏まれても、なお根強く、力強く、生きて咲きます。

第4話 「沖縄(琉球)」への想い(1)

 牧師引退後、昨年(2018年)の11月に、思い切って夫婦で沖縄を訪問しました。かねてから念願しつつも足を踏み入れることに一種のためらいを感じてきました。観光旅行ではなく、8日間にわたって沖縄戦の戦跡巡りを中心にしてきました。また、たった半日で「お弁当だけを食べてきた」ようなものですが、「辺野古」の埋め立て反対の人々の集まりにも身を置いてきました。辺野古の埋め立て地の対岸に立つと、埋め立て予定地の大きさと美しさとが見て取れます。無情に埋め立てが進められている状況を見てきました。

 沖縄に行く前から、幾らかの書物を通して、沖縄・琉球の歴史を学びました。琉球王国は長い間、独立の国でした。中国の「冊封」を受けていましたが、交易によって繁栄した歴史を持っていました。しかし、薩摩藩による侵略、明治政府による「琉球処分」(力による日本への取り込み)、皇民化教育、琉球語の禁止、などは植民地支配です。そして、太平洋戦争ではまさに沖縄全体が本土のための無残な「捨て石」とされたのです。この本土のための捨て石政策が、今も続いていると言っていいのではないだろうか。そんな想いがしてなりません。

 本土の人たち「ヤマトーンチュ」は、この長い時の間の中での沖縄の人たちの痛みと嘆きのうめき声に無頓着であったのではないかと、思っています。沖縄の人々の声が聞こえてこないこともあります。本土のジャーナリズムの問題もあります。キリスト教会も無関心の罪があります。しかし今、一人ひとりが心の耳を澄ませたら、沖縄・琉球の人たち「ウチナーンチュ」のうめき声が聞こえてくるのではないでしょうか。翁長前知事、デニー沖縄県知事の訴えの中にも、これらのうめき声が響いているのではないかと、思っています。今回の花は、沖縄で撮ってきた「ハイビスカス」とします。沖縄の情念を感じる花です。これからも、沖縄についての想いを、時折、取り上げてまいります。

第5話 読書三昧

  「晴耕雨読」という言葉があります。現役の時代には、あこがれの言葉でした。引退して、毎日が晴耕雨読というよりも、「晴耕」がないのです。読書が仕事になっています。現役の時代は、ほとんどの時間、聖書や神学関係の書物を読みあさりました。いささかへそ曲がりですから、自分の教派関係のものだけでなく、他の流れのものもよく読みました。プロテスタント左派のもの、ペンテコステ系のもの、ローマ・カトリックのものなど、多々教えられました。とりわけ、キリシタン関係のものには多くの興味を持ち、長崎・五島列島などにも足を運びました

 現在は、あまり聖書や神学とは関わらないものをもっぱら読んでいます。基本的に神学関係のものは整理、断捨離してしまったこともあります。インターネットで中古書を取り寄せたり、古書店をぶらぶらとしたりして、読みたい本を読んでいます。しだいに、また本が増えてきているという状態です。

 牧師の働きを離れた今は、広い意味で、社会的、政治的な関係に近いものを読んでいます。原発、平和、沖縄、憲法などにかかわりのあるものを読みふけっています。ちょっとしたものだと1日に1冊くらい、簡単に読めてしまいます。そして思うことは、もう少し早くこれらのものを読んでおくべきだったということです。伝道の幅が広がったろうというだけのことではなく、社会的な発言や行動が出来たのではないかと、残念に思っています。これから、このコーナーで、これらの想いをお伝えできたらと、願っています。受け止めて、皆さまが取捨選択してくださって結構です。今回の花は、数年前に訪れた寺院の庭の中で咲いていたピンクの百合の花とします。白い百合の中で、「我、ここにあり」と自分の存在を際立たせています。いいなあ、と思いました。

第6話 2019年の「憲法記念日」に想う

 今日、5月3日は「憲法記念日」です。1947年5月3日、「日本国憲法」が施行された時を記念する祝日です。わたしにとって、違和感なく、深い感慨をもって、祝日として覚えることが出来る時です。わたしは中学生の時、感動をもって、この新しい憲法を読んだことを覚えています。個人の尊厳の確保を基本において、基本的人権、国民主権、平和主義の国を建てていこうという、敗戦後の多くの人たちが感動をもって受け止めた憲法です。戦後70余年、国の歩みを支えてきた憲法です。しかし現在、この憲法が危機にさらされている状況です。

 この一ヶ月ほどは、皇位の交代、改元などで、テレビ、新聞などは異常なほどの興奮状態です。これを商売のために利用する人たちのたくましい商魂への批判はありません。慶祝として手放しの状況です。もう少し、冷静に見ることが出来ないかと思っています。

 今回、皇位の継承に伴って即位の「ことば」の中で、新天皇は「憲法に則り」と語りました。先の天皇の時は「憲法に従い」と語ったと思います。天皇という務めに就くに際して「憲法に従う、則る」などの表明は大切なことです。国家公務員に就くときも「憲法を遵守し」と誓約するはずです。

 ところが例外が、特別公務員である内閣総理大臣、各省大臣などに就任するときです。何の誓約もしないみたいです。大臣就任に際して、憲法遵守の誓約をするべきではないでしょうか。アメリカ大統領も就任に際して、聖書に手を置いて合衆国憲法への誓約をしています。形だけと言われるかもしれません。しかし、この形は大事なことです。本来、「天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を遵守し擁護する義務を負う」(第99条)のです。

 今回の花は「ツバキ」とします。広島の原爆記念公園の中に咲いていたツバキの花を撮ってきたものです。わたしたちは、敗戦の惨めさを忘れず、平和のために憲法を守り続けていかねばならない、と想っています。

第7話 沖縄 日本復帰の記念日に想う

    今日、5月15日は、沖縄の日本復帰47年の記念日です。わたしも、この記念日について失念していました。朝日新聞の囲み記事で知ることが出来ました。最近は、天皇の代替わりのあれこれがジャーナリズムを賑わしていますが、沖縄のことはあまり扱われません。本土のジャーナリズムは、もう少し沖縄に目を向けてもらわねばならないでしょう。

 沖縄は、太平洋戦争時の想像を絶する悲惨な歩みを経験しただけでなく、敗戦後も長く苦難の歴史を歩んできました。サンフランシスコ講和条約によって、日本本土は1951年に独立を回復しましたが、琉球諸島はアメリカ合衆国の施政権下に置かれました。「見捨てられた」と言っていい。米軍人などによる事故や暴行、ベトナム戦争の基地となるなどを経て、本土復帰運動が起き、やがて「核抜き、本土並み」の返還が約束されて、1972年5月15日に日本へ復帰したのでした。

 わたしの学生時代、親しくしていた沖縄の友人はパスポートを持っての留学でした。この時期、もう、わたしはキリスト教信仰を持っていたのですが、「へぇー」という程度の軽い驚きにとどまりました。沖縄の事情も聞きはしましたが、深く考えはしなかったのです。申し訳ないことをしたと、今は悔いでいっぱいです。

 沖縄は、日本によって、繰り返し「見捨て」の対象になりました。独立の琉球王国を1872年(明治5年)「琉球藩」とし、1879年(明治12年)「琉球処分」により「沖縄県」として大日本帝国の領土に組み込みました。ところが、太平洋戦争の終末期には捨て石として見捨て、戦後は日本の早期独立のために捨て石としたのです。そして、現在は米軍基地の維持のために「辺野古」を犠牲としているのです。これも見捨てです。本土の人間の一人として、このような沖縄・琉球の歴史を知るにつれて、申し訳ない思いを深くしています。

 わたしは、沖縄・琉球の歴史を想うとき、沖縄の自立と自律を祈らざるを得ません。実際的には何の手助けも出来ない状況ですが、神に祈ることは出来ます。今回の花は雨に煙る「バラ」とします。美しい花に隠されているトゲのあること、抵抗の精神を見ていかねばならないと思っています。

第8話 「手塚マンガで憲法九条を読む」を読んでの想い

 先日、フッと立ち寄った書店で「手塚マンガで憲法九条を読む」(子どもの未来社刊・2018年)を発見しました。わたしの子ども時代は、「手塚マンガ」にどっぷりつかっていました。貸本屋があった時代です。親と学校の先生に隠れて「鉄腕アトム」を読みふけりました。それからマンガから離れることが出来なくなりましたが、いつのまにか手塚治虫から離れてしまいました。多くの面白いマンガが次々に出てきたからです。

 久しぶりに手塚マンガに出会ったと言ってもいい。そして、この本を通して、改めて手塚治虫という一人の漫画家の発信してきたメッセージに目を開かれました。戦前にはマンガを描く自由がなく、命が軽視され、戦災により浮浪児となり、障がい児となった者たちの惨めさを描き、自分の無力さ、などなどをも冷めた目で描いています。

 その対極に、敗戦後の自由と明るさが描き出されます。原子力エネルギーでのアトムが誕生し、生き生きとした人間らしいアトムの活動が描き出されました。アトムマンガ誕生の背景にあったのは、戦争の時代の惨めさと暗さだったのです。原子力問題などもあり、アトムから身を引いてしまっていたのですが、小森陽一さんの解説に導かれて、手塚マンガにもう一度引き戻されました。手塚治虫のマンガは、命の尊さ、平和と人間性、自由に漫画が描ける明るい時代を求めるヒューマンな叫びだったのです。

 今日、日本国憲法はまさに危機に瀕しています。自民党・安倍政権によって「九条」の改悪がもくろまれています。このことに、戦争を知らない世代、若い人たちが無関心なのではないでしょうか。わたしたち、不作為と怠惰と臆病を脱ぎ捨てて、敗戦によって獲得された平和と人権、明るい社会を決して失わないようにしていきたいものです。今回の花は、我が家のベランダに咲いた「蛍袋」とします。反戦と平和への思いを一筋に求めてまいりたいものです。

第9話 いのちの「軽さ」について

    最近、テレビのニュースを見るのに疲れてしまいます。幼い命が失われるニュースが、連日のように繰り返されます。その度に、児童相談所や警察などの関係者が記者会見して弁明し、謝罪しています。学校でのいじめによる児童・学生の自殺も繰り返されています。これも、その度に学校の教師や教育委員会の人たちが会見して弁解に努めています。

 失われたいのちの尊さと共に、出来事に関わった人たちの記者会見などを見るたびに、やるせない想いと共に、関わった人たちの「いのち」の重さについての無自覚とさえ言えるものが見え隠れしています。いのちが軽いのです。少子化対策が叫ばれ、「子どもを…人産め」と叫ぶ政治家はいても、失われていく命についての真剣な取り組みはなされていないのです。児童相談所の主事や学校の教師を飛躍的に増加させるような国全体での取り組みとなっていません。このままだと、児童相談所や学校が「ブラック企業化」していくだけでしょう。

 いのちの尊さを知るとは、基本的人権の自覚なのです。聖書では、人の尊厳性は人が「神の形」に造られたところにあるとしています。何かが出来る、能力がある、ということではなく、赤ちゃんであっても、人が人であることに尊さがあり、人として保護されていかねばならないのです。このような視点からの国造り、人造りが望まれるのではないでしょうか。幼い命が失われる悲惨なニュースは見たくはありません。今回の花は、アジサイとします。うち続く冷たい梅雨の中でも穏やかに咲いて生きます。

第10話 北海道を旅して

 この6月下旬(2019年)、一週間ほど、北海道の道央部分を妻と一緒に旅してきました。現役を去り、時間の制約を解かれてゆっくりと出来ることは、たいへんありがたい主の恵みと受け止めています。昨年は、沖縄での戦跡を訪ねる旅をして心痛む想いをしてきました。

 今回は、有名な旭山動物園、三浦綾子記念文学館、ラベンダー園などを気の向くままに見てきました。ただ1つ、心痛む思いで見てきたのは、夕張市石炭博物館と賑わいの失せてしまった夕張市街を見たことです。産業構造の変化ということもあるのでしょうが、朽ち果てた多くの公共的な施設群を見ると、箱物を建設することで衰退を挽回しようとした空しさを感じました。またここに至るまでには、巨額な負債が長期間にわたって隠蔽されてきたことも知りました。我が国の巨大な財政赤字の結末はどうなるのでしょうか。

 ラベンダーには少し早すぎたみたいですが、「六花の森」では感動して花と絵などを見てきました。自然と草花がすばらしいだけでなく、感動の物語が付随しているのです。今回の旅は、ラベンター園、六花の森、紫竹ガーデンなど北の国の花を愛でる旅でした。今回の花は、小雨の煙る「六花の森」で撮ってきたエゾハナシノブとさせていただきます。わたしたちの訪問を静かに待っていてくれました。