第71話 人権無視の死刑制度を廃止しよう

 わたしは牧師引退をして時間的余裕もでき、以前から考えていた「袴田事件」についての支援会の会合に参加してきました。基本的には年来の「死刑廃止」の主張からです。袴田事件の支援会では、支援者、弁護団関係者で毎月1回定期的に、事件を巡る多くの課題について、たいへん良い学習会・勉強会をしていました。わたしにとって良い学習の機会になりました。

 袴田巌さんの再審が決定したことは何よりも嬉しいことです。しかし、再審開始が早々になされるべきにもかかわらず、3ヶ月も先延ばしされたのは不本意なことです。この袴田事件を通して垣間見えるのは、日本社会における人権の無視です。警察による取調段階から長期にわたる違法な長時間の取調べ、証拠のねつ造(これは捜査機関による犯罪です)、検察による権威主義、裁判官の検察依存とスルー、普通の人間感覚でしっかり見て判断していたら見逃すことのない事柄を見逃していたのです。警察にしても検察にしても、さらには裁判官にしても、本来有すべき人権感覚の喪失がもたらした大きな誤審、冤罪であったのです。

 まもなく再審が始まり、「無罪」が確定するでしょう。すると、もし再審開始がなかったら、無罪の人が死刑になっていたかもしれないのです。死刑制度は、国家による無辜の人の殺人、国家が犯罪を犯す可能性のある制度です。今までにも誤判・誤審による処刑が全くなかったとは言えません。どのような法制度であっても、人間が取り扱うので冤罪があり得ます。三審制度であっても、誤審・誤判、見逃しや故意のねつ造、さらには国家権力の意志による処刑などがありえて、それらを根本から排除する法制度を確立することが必要です。

 死刑制度こそ、究極的な人権無視です。現在、死刑制度が残存している国は世界的に少数になりつつあります。「法による支配」ということを岸田首相は語り、日本は「G7」の仲間だと自認していますが、「G7」の他の諸国はほとんどが死刑廃止国なのです。もし、日本が「EU」加盟を申請したら、頭からはねつけられます。「死刑廃止」が条件なのです。日本は、「LGBTQ」の人たちに対する処遇でも、入管管理体制でも、基本的人権に対する無感覚、無視が明らかになっています。今回の「袴田事件」を契機として、社会全体で冤罪防止の法制度、再審の法改正、死刑廃止に取り組んでほしいものです。今回の花は藤の花とします。(2023/4/26)

第72話 2023年の憲法記念日に想う

 近年、多くなってきた日本の祝日の中で、わたしが祝意をもって記念できるのは「憲法記念日」だけであると言っていいでしょう。「日本国憲法」は、国民主権、基本的人権、民主主義、平和主義に立つ世界でも優れた憲法の1つと言っていいでしょう。日本国憲法は、国家の基本法であり、すべての法律、政令、判例などは、この憲法に依拠し、この憲法から逸脱したものは「違憲」となるのです。

 ところが現在、この「日本国憲法」が逆風にさらされています。日本国憲法が国家の基本法として尊重されず、有効性を失いかけているのです。「あらずもがな」(ない方がよい)のものとなり、法的規範性・実効性が失われかけています。憲法へのリスペクトがありません。これは国家の基盤が揺らぎ崩壊しかけているという状況です。現在の日本の政治の混迷、教育学問の力の失墜、経済力の失墜、国力全般の崩壊などは、人口減少や少子高齢化などから来るだけでなく、国家を支える根っこの岩盤が崩れ、揺らぎ、液状化していることに震源しているのです。

 憲法九条はまさに象徴的です。「梅雨空に 『九条守れ』の女性デモ」。これは、2014年、埼玉県さいたま市のある公民館の俳句サークルで1位入選し、公民館月報に掲載されるはずが、公民館が掲載拒否した俳句です。裁判で争われて、作者側が勝訴し、ようやく掲載されました。憲法の基本条項を守れという至極もっともなデモの光景を歌った俳句が掲載拒否にあったのです。この事態は現憲法が置かれている逆風の状況を示していると言っていいでしょう。

 日本国憲法の保障する大切な条項が数多く浸食、侵害されています。最近でも、次のようなことが数えられます。即位式や大嘗祭による象徴天皇制への浸食、靖国神社への閣僚の参拝・神道儀礼を習俗とする政教分離原則への浸食、6人の学者たちの学術会議への任命拒否に現れた学問の自由への侵害、教科書検定における事実上の検閲、あいちトリエンナーレ事件における表現の自由への侵害、生活保護費の引下げ・年金切り下げによる生存権への侵害、入管による人権無視、最高裁の違憲審査権の放棄、等々数え上げたらキリがありません。

 これら日本国憲法への侵害の最も象徴的なものが「九条」の無視です。自衛隊という名の軍隊を保有し、ロシア・ウクライナ戦争を好機として軍事費を倍増して敵基地攻撃能力を持つ、つまり他国への侵略も可能としようとしています。自民党政権は、安保関連法を成立させて、自衛隊が米軍と共に戦争の出来うる態勢に整えようとしています。もはや憲法九条は骨抜きにされています。国の基本法である憲法を擁護する声や勢力が異端視されている現状です。これこそが国の存立危機であることを訴えていかねばなりません。今回の花は「決して離れない」意味を持つ白藤とします。(2023/5/3)

第73話 「G7サミット」に想う……危険な収束

 「G7サミット」が終わりました。広島で厳戒態勢の下、G7の各国首脳だけでなく、グローバル・サウスと言われる国々の首脳も集め、さらにウクライナのゼリンスキー大統領も来て、いったい何が語られ、何が決められたのかもはっきりしない会合でした。岸田首相と自民党関係者は大成功と言っているようですが、わたしはたいへんな問題を引き起こした大失態の会合だったのではないかと思っています。

 各国首脳が原爆慰霊碑に花束を捧げましたが、「被爆地広島」を利用しただけで終わったのではないかと思っています。被爆者たちの声は全く届かず、核兵器の禁止には一歩も前に進むことなく、核の力を前提とした核抑止論が肯定された会合であったのではないでしょうか。核兵器の禁止を願う広島の人々の期待を裏切るものでした。

 ゼリンスキー大統領の登場は、今回の「G7サミット」の性格を決定づけました。ロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻を受け止めざるを得なかったゼリンスキー大統領には、わたしは幾分の同情を持っていますが、戦争の当事者です。ゼリンスキー大統領の登場によって、「G7サミット」は完全に反ロシアに統合されました。F16戦闘機の贈与により戦争の長期継続が決定的になり、早期の停戦・休戦は見込めない事態となりました。日本は今回のサミットに場所を提供したことにより、ロシア・ウクライナ戦争に決定的に深入りしてしまったのです。

 ロシア・ウクライナ戦争の一方に加担、深入りしたことによって、日本はアメリカに対するフリーハンドを完全に失い、米・中、米・ロの戦略構想の中に完全に組み込まれました。日本は、以前から日米安保条約と地位協定によって完全な主権を失った半独立国でしたが、今回の「G7サミット」によってNATOの一翼を担い、アメリカの完全な一翼となってしまったのです。冷静に考えれば分かることです。戦争の危機が増幅したのです。

 安倍元首相も岸田首相も口を開けば「自由と法の支配」と言うことを語り、G7に集う西欧世界と共通の価値観を持つと自負しています。ところが、現実には西欧世界とは全く違う価値基準に立っているのです。LGBTに対する「理解増進法案」は骨抜きになり、差別禁止法ではありません。難民に対する入管法は改悪されようとしています。死刑廃止は議論にさえなっていません。旧統一協会との闇の関係はそのままです。自由と法の支配の基本である「人権」が無視されたままです。これらの重い事実には頬被りして「脱亜入欧」しようとしているのです。これからの日本はどうなっていくのでしょうか。今回の花はアジサイとします。(2023/5/26)

第74話 「沖縄・慰霊の日」に想う

 6月23日(金)は「沖縄・慰霊の日」です。この時になると恒例のように新聞やテレビは「沖縄」を取り上げます。普段、沖縄が報じられるのは観光地としてだけなのではないでしょうか。沖縄・琉球は、日本の「内地」と呼ばれる人たちから差別的な取り扱いがなされてきました。それが今日まで続いて、わたしたちは足を踏まれた人の痛みを感じていないのです。

 戦後78年が過ぎ、アジア太平洋戦争の記憶が薄らいでいます。戦争体験を持つ者、敗戦の悲惨さを味わってきた者たちが姿を消しつつあります。戦後の高度経済成長期以降に生まれた人が大多数になり、平和憲法とか戦争責任などと言う言葉は死語になっています。沖縄でも同様でしょう。

 その中で、ロシア・ウクライナ戦争や台湾・中国の紛争を奇貨として、日本は再び、軍備を増強して「戦争の出来る国」へと前のめりになっています。そのシワ寄せが再び、沖縄に集中しています。台湾有事に備えてと言う名目で、自衛隊は沖縄本島だけでなく、石垣島や与那国島、宮古島などで新しい基地を建設しています。辺野古の埋め立て反対に気を取られていたら、沖縄全体が軍事基地化されているのです。これら自衛隊の基地は日米安保条約と地位協定によって米軍も使用可能であることを忘れてはなりません。米中紛争の前線基地と化しています。

 不思議なことに、この状況に対して、沖縄県民が反対の声を大きく挙げていないのです。むしろ、自衛隊員が来ることで住民人口が増えると言って歓迎している首長や住民がいることです。情けない、不甲斐ない、という想いが突き上げてきます。

 78年前の6月、日本軍がいたことによって米軍による猛爆撃の嵐を経験したこと、日本軍によって民間人が遺棄され虐殺されたこと、ガマから無数の母子が追い出されたこと、ひめゆり学徒隊の経験、住民がスパイと見なされ殺されたこと、集団自決、沖縄住民の4人に一人が犠牲となり今なお正確な死者数も掴めないこと、今もって地中を掘れば多くの遺骨が出てくる状況であること、などの悲惨な体験をしっかり受け止めなければなりません。沖縄県民自身がしっかりしなければ、日本政府の思いのままになってしまうだけです。

 沖縄問題の根底にあるのは、経済の問題ではなく、沖縄の自立・自律、自尊の問題です。日本政府に頼らずに、住民投票によって県民の意思を確認して、県議会で「独立」を宣言することです。そして、日本と「連邦」を形成することです。英国(UK,連合王国)のイングランド、スコットランドやカナダなどの在り方を研究したら、いいのではないでしょうか。決して過激な道ではありません。明治の「琉球処分」、太平洋戦争における捨石処分、戦後の独立に際しての第2次捨石処分、米軍基地の有り様と辺野古処分などをよくよく考慮したら、日本政府は沖縄を利用できるだけ利用しようとしているのです。今回の花は沖縄を代表する花ハイビスカスとします。(2023/6/23)

第75話 「リニア新幹線」の中止を求める

 わたしは静岡の浜松在住です。今回は「リニア中央新幹線」の中止を訴えたい。静岡県の川勝知事とは全く面識はありませんが、周辺知事たちと比較して、リニア新幹線に対する主張には賛同を送りたいと思っています。現在、リニアに対して反対を語ることは蟷螂の斧のように思われるでしょうが、ここにも反対者がいたのだと思ってくださったら幸いです。

 リニアは、最新の交通手段と思われていますが、もう古くなった時代遅れのシステムです。1964年の東京オリンピックよりも以前、1962年にリニアモーターカーの研究が始まり、浮上走行が始まったのは1972年、バブル景気以前の代物なのです。新幹線網がほぼ全国をカバーしている時代に、工事費だけで10兆円という巨費をかけて取り組む課題ではありません。東京、名古屋、大阪には空港があり各地に1時間前後で行けてしまいます。第2東名高速も走っています。リニアの重要性は失われているのです。

 川勝知事の心配しているのは大井川の水量の減少です。大井川流域の住民の生活を考えねばならない知事として「一滴たりとも減らせない」と頑張る気持ちはよく分かります。南アルプス山中の地下を掘削してトンネルを掘るのですから、地下水位が低下し流量が減少するでしょう。それを「戻せ」というのは当然の主張です。どれほど厳密に計算しても仮説に過ぎません。一旦減水したら、お茶農家は大打撃を受けますが、だれも責任を取れません。

 わたしは、過日、山梨県早川町の奥にある温泉宿に行きました。山梨県側のリニアのトンネルが掘削されている工事現場の近くです。南アルプス街道と言われる県道37号線は一新していました。道幅が広がり、新しいトンネルが出来、以前は半日かかったところが2時間で行けてしまいました。代わって、土砂を積んだ大型ダンプカーが激しく行き交い、道沿いの早川の流れは枯渇し、渓谷の奥に土砂が捨てられ、早川流域にも土砂の山が無数に築かれていました。風景が一変して無残な姿となっていました。

 この地帯一帯は中央構造線が通り世界一級の断層帯があります。トンネルが7,80%を占めるとのこと、巨大地震があったらどうなるのでしょう。南アルプス特有の珍しい高山植物や動物はどうになってしまうのでしょう。自然環境の調査もしっかりとはなされていません。

 リニアにおいてほとんど語られないのは巨大な電力消費量です。現在の新幹線の3,4倍の電力を消費すると言われています。現在でも夏になると電力危機が叫ばれ節電が求められています。リニア開業による巨大な電力需要は、どうするのでしょうか。政府もJRも沈黙しています。いずれ「原発」を動かそう、リニアが出来たら原発が必要だと言って新設しようという腹なのではないでしょうか。恐ろしいことです。

 リニア新幹線の掘削作業が「ここまで来ている。もう引き返せない」というのは、アジア太平洋戦争の時と同じです。これだけ資金を投入した、やるしかない。これで日本は失敗してきました。リニアは日本沈没の象徴です。ノモンハンやインパール作戦を思い返してほしいものです。引き返す勇気、中止する勇気を必要としています。むしろ現今は、ゆっくりいこう、を推進することです。巨大経済圏ではなく地方の特色ある生活を守ることに変換することです。「リニア新幹線」を廃止することを求めます。今回の花は高潔、思慮分別を花言葉とするシマトネリコとします。(2023/7/21)

第76話 近代日本の構造とその精神を問い直すこと

 「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」という言葉があります。まもなく、8月15日を迎えます。第2次世界大戦、アジア・太平洋戦争に敗戦してから78年目となります。敗戦の記憶、台湾、朝鮮、中国を侵略し、アジア・太平洋の諸国を巻き込んでの戦争を行い、世界を相手に戦って惨めな敗戦を経験した記憶が失われてしまっています。

 新聞・テレビなどのマスメディアに戦禍を語り伝える「語り部」が登場しています。最早戦後78年も経つと直接的に戦争を体験した「語り部」と言われる人たちも少なくなっています。しかも「語り部」たちが語り伝えることは戦争の被害体験の伝承に過ぎません。広島・長崎の「語り部」も被害者の視座しかありません。確かに、広島・長崎の原爆の悲惨さは声を大にして語り伝えねばなりません。しかし、広島が軍都であったことには触れません。

 わたしは今、「九条の会」の末席に連なっていますが、ここで語られることも「我が街の受けた被害」なのです。戦争による被災の視座は大切です。身に受けた痛烈な痛みからの発言です。しかし、被害者の視座からの発言では、本当の意味での戦争の悲惨さの伝承とはならないのではないかと思います。戦災の証言では、戦後78年も経つと、その痕跡は消え失せ、記憶する人が減少します。街は復興と言うよりも戦前より繁栄し、傷跡は無くなり、物語るのはセピア色の写真くらいになります。戦争の深刻な悲惨の記憶を伝承するためには「加害の責任」としっかり向き合うことです。

 もう、先の戦争の直接の当事者たちはほとんどこの世を去っています。このような今こそ、しっかり歴史に向き合って、過去に遡って1つ1つの加害の事実を掘り起こして、どこから道を踏み間違えたのか、何が原因であったのか、1つ1つを冷静に遡及して問い直していく努力が求められているのではないでしょうか。近代日本人の精神性の形成にも目を向けねばなりません。幕末・明治維新期を担った最良の人たちの思考の中に根源的な問題が潜んでいたのではないでしょうか。そこから犯罪性を指摘しなければならないのです。

 戦前と言うだけでなく、冷静に幕末・明治維新期からの「大日本帝国」の構造的な問い直しをすることと言っていいでしょう。少なくとも、尊皇攘夷、脱亜入欧、天皇制の創設、富国強兵、朝鮮出兵、帝国憲法の作成、軍人勅諭、教育勅語という明治期からの国の在り方自体を根底から問い直していくことが大切だと思うのです。明治期に造り上げられた近代国家「日本」のシステムとその精神性の中に、アジア太平洋戦争の開戦と敗戦の遠因があり、それはさらに今日まで続く、無責任態勢、政治の混乱、知的システムの弛緩、民主主義の崩壊、という今日の日本の文化的惨敗の真の原因が潜んでいるのではないかと考えているところです。今回の花は季節外れですが「回想」を意味する福寿草とします。(2023/8/11)

第77話 映画「福田村事件」を見る

 先日、9月19日、浜松の映画館で「福田村事件」(森達也監督)という映画を見ました。1923年9月1日に起こった関東大震災に起因する集団虐殺事件を取り扱ったものです。この事件について、松野官房長官は「事実関係を把握できる記録が見当たらない」と言っているようですが、政府関係者たちが刮目してみるべき映画です。

 関東大震災に起因して各地でいろいろな事件が起こっています。多くの朝鮮人が自警団に虐殺されました。社会主義者などが拘引され、弾圧・虐殺されました。映画「福田村事件」は、利根川流域の当時の千葉県福田村に起こった自警団の村人による、朝鮮人と疑われた薬売りの行商人たちの集団虐殺を描いたものです。その周辺に起こったいろいろな事件、出来事を輻輳させて描き、一連の出来事が戦前の日本人の持つ大きな課題、罪を指摘していると言っていいでしょう。この課題と罪が、今日のわたしたちにまで受け継がれているのです。

 最も深い基底に、朝鮮で起こった3・1独立運動の「提岩里教会」の虐殺事件を置いています。村の青年29名を提岩里教会の中に閉じ込めて、日本の警察と軍が銃撃、放火して虐殺した事件で、日本では報道されませんでした。これに関わった日本人青年の述懐が印象的です。

 シベリア出兵とそこで戦死し遺骨となって帰還した兵士の遺家族の物語が冒頭に描かれます。日本は、朝鮮を併合し、中国だけでなく、シベリアにまで手を伸ばしていた侵略国家でした。朝鮮、中国、シベリアまでも侵略する中で、侵略された国々の人たちの激しい憎悪を感じずにはおれないのです。その中で、印象深く水平社宣言が取り上げられています。この福田村での集団虐殺の被害者は、「朝鮮人、不逞の輩」と見なされた日本人の虐殺事件です。この殺された人たちは香川県からの行商人の一団で、実は被差別部落の人たちでした。

 これらの出来事の中で補助線のように引かれているのが、学識があり、リベラルな理解を持つ人たちの視線とその弱さです。福田村の村長はリベラルで寛容な人として描かれます。「千葉日日新聞」の編集長と記者の存在、真実を書こうとする記者と権力に忖度する編集長との葛藤が描かれます。提岩里教会事件に関わった良心派の学校教師がいます。真実を知りながら、時の勢いに流されていくインテリ群像の姿が印象的です。

 圧倒的な力をもって描かれているのが、在郷軍人会と警察などの力による自警団の結成です。大地震を契機に戒厳令が敷かれ、内務省から「混乱に乗じて朝鮮人が凶悪犯罪や暴動などを計画している」との憶測に基づく指示がだされました。これが行政機関や新聞、民衆の口を通して、流言飛語となって人々の恐怖を煽りました。社会主義者の弾圧、拷問が行われました。自警団が出来て、流言の飛び交う混乱の中で民衆による朝鮮人への誰何(すいか)、異なる人物への恐怖と殺害へと発展したのです。

 不確かな情報に惑わされ、愛国心が沸騰し、集団心理で、幼児や妊婦を含む日本人9名も殺してしまった事件です。この事実が長い間、隠され、歴史の闇に葬られてきました。映画「福田村事件」は「実話に基づいたもの」ということです。映画としての脚色はありますが、この出来事が起こったことは事実です。わたしたちは、歴史の事実を闇に葬ってはなりません。人間の持つ根源的な罪をしっかり見つめねばなりません。今回の花は蝋梅とします。(2023/9/22)

第78話 イスラエルは、「ガザ」虐殺をやめよ!

 ロシアによるウクライナ侵攻が1年半経っても止む気配がありません。世界中が殺気立っている状態です。そこに新しく10月7日、パレスチナのガザ地区を実効支配するハマスによるイスラエルへの大規模な攻撃が起こり、これにイスラエルのガザへの報復攻撃が繰り返されています。第3次世界大戦への予兆を感じざるを得ません。

 わたしは以前、イスラエルの人々(ユダヤ人)に同情的でした。紀元1世紀末から故郷の地を失い、世界に流浪し、近年ではアウシュビッツなどに示されるナチスによる絶滅政策で民族的な悲劇を体験してきたイスラエル人が、故郷の地で「イスラエル共和国」を建国したことは素晴らしいことだと思ってきました。ユダヤ系の人たちの芸術、文化には感動も覚えてきました。イスラエルに訪問し、彼らの歴史を回復する努力と、荒れ果てた地を「乳と蜜の流れる地」に再生する努力に感銘を受けました。ガリラヤ湖から取水した水を全戸に計画的に配水し、ネゲブ砂漠に緑の作物の広大なプラントを造り、果物を世界に輸出している様に驚きました。

 近年、このイスラエルの人々に失望を感じています。自分たちの味わった悲哀と苦悩、苦難を隣人であるパレスチナ人(アラブ人)に与えているからです。一応、国連でパレスチナ分割が決議され、二国家の存在が認められ、パレスチナ人はガザ地区とヨルダン川西岸地区が自治区と認められました。ところがパレスチナ人側では内部分裂が激しく1つの国家形成ができずに、西岸地区だけが自治政府となっています。

 その間隙を縫って、イスラエル側では、ヨルダン川西岸のパレスチナ人の地に、強引に立退きを迫り、アパートなどを建設して入植し、今も増殖を続けています。行政権はパレスチナ政府が持つが、警察権はイスラエル軍が握るという現実もあります。イスラム教の神殿の聖域にイスラエル人が土足で踏み入るようなこともありました。

 ガザ地区は特別です。ハマスという武装集団が実効支配しています。ハマスはイスラム原理主義ですが、パレスチナ人を保護する慈善活動グループとして教育、医療、福祉の分野で活動し、ガザの人々の心を掴み支配してきました。このハマスをテロ集団として、イスラエルはガザの周辺に高い壁を張り巡らせて出入りを差し留め、天上なき牢獄のようにし、殺戮と空爆を繰り返してきたのです。種子島ほどのところに220万人が詰め込まれて生活をし、国連の支援でかろうじて生活している状況です。

 10月7日のハマスによるイスラエルへの大規模の攻撃は、正当化できるものではありませんが、耐えに耐えてきたものが暴発したと言っていいでしょう。大きな被害を受けたことは確かです。しかしこれは、イスラエルが長年にわたって残酷なほどに締め付けてきた結果です。イスラエルは報復をしてガザの人々を絶滅してはなりません。かつてイスラエルの人々(ユダヤ人)自身が味わってきた苦難であるからです。殺戮を繰り返してはなりません。イスラエルを支援するアメリカもイスラエルの報復攻撃を許してはなりません。

 「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と、主は言われると書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる』。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ書12:17-21)。今回の花は美しの白百合とします。(2023/10/27)

第79話 「律法の民」に対する幻滅と批判

 太平洋戦争開戦の日が巡ってきました。「あの戦争」によって、どれほど多くの尊い命が失われたことでしょう。今も世界中で戦争が続いています。特に今年10月7日、パレスチナのガザ地区を実効支配するハマスによるイスラエルへの攻撃が起こり、これに報復するイスラエルのガザ地区への非人道的な激しい攻撃が繰り返されています。

 イスラエル軍によるガザ地区への報復攻撃には、わたしは怒りを感じています。キリストを信じて以来、イスラエルの人々(ユダヤ人)に同情的でした。ユダヤ系の人たちの芸術、文化には感動も覚えてきました。イスラエルを実際に訪問し、彼らの歴史を回復する努力と荒れ果てた地を「乳と蜜の流れる地」に再生しようとする努力に深い感銘を受けてきました。

 しかし今、イスラエルの人たち、とりわけ指導者たちについて、深い幻滅と激しい批判と語らざるを得ません。イスラエル・ユダヤの民は「律法の民」であることを誇りとしています。「安息日」に遊びに行く人もいますが少数です。大多数の人は安息日(土曜日)には会堂(シナゴーグ)に行き、礼拝を守り、律法の朗読を聞き、シェマー(「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」申命記6:4-5)を朗唱しています。

 ユダヤ人の男子は13歳で律法の一部を朗読するバルミツバ(律法の子の意)をして成人になります。女子も同様にバットミツバを行います。家の門には「シェマー」を書いた紙を入れたメヅザーという小さな管を取り付けます。彼らは生活のすべてで、その隅々にまで、自分たちは「律法の民」であることを語り証しして来たのです。

 けれども、現実には、彼らの生活の中では「律法」はなんの力にもなっていません。律法がユダヤ人の心と社会とを規制していないのです。律法の中心である「十戒」の第六戒「殺してはならない」(出エジプト記20章13節)は、いったいどうなっているのでしょう。「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない」(出エジプト記22:20-21)という規定は、どうなっているのでしょうか。

 ネタニヤフ政権とそれを支えているのはユダヤ教のごく保守的な人たちです。十分に「タナク」(律法・預言者・諸書の頭文字で「旧約聖書」を意味します)の知識がある人たちです。この人たちが、今や神の「律法」から大きく外れ、自分たちが長年にわたって味わった悲哀の歴史を忘れて、自分たちの領土の拡大、自分たちの富と特権の保持のために、神を侮り、神から離れ、背神の民となっているのです。

 しかし、神は生きておられます。近隣諸国の人々の憎しみを買い、神の怒りを積み増しています。哀歌1章2-3節を記して終わります。「夜もすがら泣き、頬に涙が流れる。彼女を愛した人のだれも、今は慰めを与えない。友は皆、彼女を欺き、ことごとく敵となった。貧苦と重い苦役の末にユダは捕囚となって行き、異国の民の中に座り、憩いは得られず、苦難のはざまに追い詰められてしまった」。今回の花は広島・平和公園に咲くツバキとします。(2023/12/8)

第80話 「大坂万博」は中止・撤退しよう

 テレビなどの報道によって、大阪万博が後500日を切り、チケットの販売も始まりました。にもかかわらず、参加国の海外パビリオンの建築が始まる見通しがなく、日本側でなすべき工事も大幅に遅れていることが指摘されています。参加を取り止める国々も出てきています。その上、工事関係費が予定の倍以上になり、次々に巨大な必要経費が明るみになり、全体の総予算も示されず、最終的に全体でどのくらいになるのか、誰にも分かっていないようです。

 これには円安の影響で資材の高騰、人件費の高騰、労働者不足などが挙げられています。それだけでなく、大阪万博で「何を見せようとしているのか」はっきりしていません。展示内容、コンテンツが不明確です。こんな状態でチケットを販売するのは、空気を売るようなもので詐欺としか言えません。巨費をかけた建造物を終了後には取り壊して、跡地にIR・世界的な賭博場を建築するというのです。壮大な無駄遣いであることがはっきりしています。貧乏国家になっている日本の貴重な資源と財力をドブに捨てるようなものです。その資金を教育、福祉、医療などの分野に回す方が賢明です。

 岸田首相は、ここまで来たら何とかしようとしていろいろな方面にハッパをかけているようですが、国民は極めて冷めています。必要性を認めていません。岸田首相自身の足元も、増税の問題、旧統一協会の問題、パーティー券の問題などで大きく揺れ動いており、大阪万博に全力を注ぐだけの余力はなくなっているのではないでしょうか。特に、安倍派の閣僚の入れ替え、党幹部の入れ替えなどで力を割く余裕はありません。内閣支持率は10%台に落ちています。

 この大阪万博をチャンスとして夢洲にインフラを構築して、その跡地にIR・カジノを建てようとしているのです。万博を口実にしてカジノを造ることが本心なのです。国家的なバクチ場を造る必要は認めません。日本維新の会が考えていることは、国民を堕落させ、家族と子らの悲惨を増加させるだけです。

 大阪万博を、このまま行うことは「愚か」としか言えません。早急に「中止、撤退」することが賢明です。日本という国は「中止、撤退」が出来ないようです。これは失敗だったと認めることの出来ない国と言っていいでしょう。国を挙げた戦争という大事業でも失敗を認めようとしません。最近では諫早湾の干拓事業でも失敗を認めません。コロナ禍の中で行われた東京オリンピックでは多くの問題が噴出し、最後は汚職まみれの姿が示されました。これらのことを反省し、この際、一切のメンツを捨てて、早急に「中止、撤退」を決断してほしいものです。今回の花はイヌサフランとします。(2023/12/15)