聖書=マルコ福音書7章24-26節
イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。
今回はマルコ福音書7章24-26節を取り扱います。今日、日本はじめ世界中で人種差別が横行しています。アメリカでは白人警官によって黒人市民が殺されています。移住者たちを逮捕して強制的に送還しています。日本では労働力として外国人の力を必要としながらも、その人々を軽蔑し差別した取り扱いをしています。ヘイトスピーチが横行し、外国人排斥を叫ぶ政党も出てきました。人を差別する風潮がキリスト教会の中にも入り込んでいるのではないでしょうか。
この聖書個所は、主イエスが異邦人について、どのように考え、取り扱っていたかを示す大切な個所です。当時のユダヤ人は異邦人を明らかに差別していました。異邦人を罪人と呼び、神の約束の埒外にあり、神の嗣業はないと理解していました。しかし、イスラエルの神に好意を寄せる人に対しては幾分の余地を残していました。神殿の一番外側に「異邦人の庭」を設けて、異邦人で「神を敬う人たち」の存在を認めていましたがあくまでも別枠でした。
しかし、主イエスは異邦人が多数住む「異邦人の地」ゲラサや半異邦人と見なされていたサマリアなどにもこだわりなく行き来して、男女を問わず、御言葉を語り、いやしの業を行っていました。さらに、主イエスと弟子たちの一行を取り囲む「群衆」の中には多くの異邦人がいたことは確かなことです。
「イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった」と記されています。おそらく、主イエスはファリサイ派の人たちとの論争に疲れ、休みを求めて、ごく少人数の弟子たちを連れて身を隠すように、この異邦人の地に来たのではないでしょうか。「ティルス」とは、地中海沿岸の北部にある異邦人が多く住む町でした。泊まった家の家主も異邦人であったでしょう。
ところが、「人々に気づかれてしまった」のです。「イエスが来た」、「イエスがこの地にいる」と。この時代、主イエスの評判はガリラヤ湖畔だけでなく、異邦人の地にも伝えられていました。ここに、難題を抱えた異邦人の一人の女性がいました。「汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐに主イエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した」のです。そして、主イエスに懇願しました。「娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ」のです。
マルコ福音書は、この女性の身元をはっきりと提示しています。「女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであった」と。この個所の主題です。彼女は地元のシリア・フェニキアの生まれでしたが「ギリシャ人」でした。ユダヤの民と類縁関係を持つアラブ系の人ではなく、明らかに皮膚の色も違うヨーロッパ系の人です。紛れもない異邦人の女性です。
主イエスは、この明らかな異邦人の女性の懇願をどのように取り扱ったでしょうか。神の救いの恵みは異邦人の女性にも与えられるのか。これがマルコ福音書が指し示そうとしている大事なメッセージなのです。主イエスも人としては、時代の風潮の中で育ちます。それを踏まえて、主イエスは明らかな異邦人の女性の懇願を取り扱ったかは、今日の教会にとって極めて大切なことなのです。
今日のキリスト教会は、ほとんどが「異邦人の教会」と言って良いでしょう。日本人であっても、アメリカ人であっても、ヨーロッパ人であっても、アフリカ人であっても、ユダヤの民ではない「異邦人の群れ」なのです。この一人のギリシャ人の女性に対する主イエスの取り扱いは、今日のわたしたちに対する取り扱いでもあるのです。しっかり見詰めていかねばなりません。