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第369回 五つのパンと二匹の魚

聖書=マルコ福音書6章38-44節

イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった。

 

 主イエスは、ガリラヤ湖畔の人里離れた所で「大勢の群衆」に教えられ、「いやし」も行われました。「そのうち、時もだいぶたった」ので、弟子たちは「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう」と提案しました。

 主イエスはそれをとどめて、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われました。弟子たち「あなたがた」が真のイスラエルの飼い主なのだ。あなたがたが彼らの飼い主になるんだ、と言われたのです。ところが弟子たちには、そこがよく分かりません。怪訝な顔をしたのではないでしょうか。

 すると、主イエスは「パンは幾つあるのか。見て来なさい」と言われました。手元には何もありません。ヨハネ福音書によると「大麦のパン五つと魚二匹」を持っている少年を見つけました。少年の捧げ物です。弟子たちはそれを確かめて、主イエスに言います。「五つあります。それに魚が二匹です」と。弟子たちは思ったでしょう。「これだけでは、この人数では何の足しにもならない」と。

 主イエスは食べる用意を命じます。「皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした」。弟子たちには、これからの展開がまったく分からなかったでしょう。

 主イエスは捧げられた「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された」のです。不思議が起こった。奇跡と言う以外ありません。主イエスが天を仰いで祈りを捧げて、五つのパンを裂いて弟子たちに次々に渡しても決して減らないのです。弟子たちは驚きながら座っている人すべてに配ったのです。

 二匹の魚も同様にして分配しました。主イエスが裂いても裂いても減りません。パンと魚を「皆に分配した」。弟子たちは驚きながらも走り回り、配り終えました。弟子たちも食事にあずかりました。「すべての人が食べて満腹した」と記されています。皆「満腹」、満たされたのです。

 主イエスは皆が食べた後の残りものを確認させました。「パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった」。そして、食べた人の数も確認しました。「パンを食べた人は男が五千人であった」と記されています。この時代の数え方です。「女、子ども」の数を省いています。この人たちを加えると7,8千人以上となるでしょう。皆、豊かに満たされたのです。

 この「5千人給食の出来事」は、わたしたちに何を教えているのでしょうか。1つは、主イエスご自身が「真のイスラエルの飼い主」となられたことの証しです。詩編23編に「主は(わたしの)羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と記されています。主イエスが羊飼いとなられて群れの人々を豊かに養われた象徴的な出来事でした。神の御子としての力をもって、五つのパンと二匹の魚で、その群れを養われたのです。

 第2は、主イエスの弟子たちが主イエスの後継者として群れの飼い主としての働きを続けていくことです。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と命じられました。キリストの体である教会は、キリストの業を継承して行うのです。弟子たちの手元にあるものはごく僅かですが、主の祝福の中で無限に拡大していくのです。

 主の弟子たちが、羊の群れの飼い主として、群れの進むべき道を指し示し、水場に導き、群れを養い、群れを敵の攻撃から守るのです。キリストから力をいただいて、託された群れに食べ物を与える奉仕の業を継承していくのが弟子たち、教会の使命です。すると、「たったこれだけ」と思った五つのパンと二匹の魚で驚くような奉仕の働きがなされていくのです。