聖書=マルコ福音書16章9-11節
イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。
今年の「イースター」は4月5日です。イースターは「復活節」と呼ばれ、主イエス・キリストの死からの復活を記念する時です。今回はマルコ福音書16章9-11節から、主イエスの復活を取り扱います。
マルコ福音書は不思議な終わり方をしています。16章1節から8節で、主イエスの葬られた墓を訪ねた婦人たちのことが記されます。婦人たちが墓に着くと墓は空で、天使と思われる若者が「あの方は復活なさって、ここにはおられない。ガリラヤに行かれる」と告知します。聞いた婦人たちは「墓を出て逃げ去った」と中途半端な形で閉じられています。この9節以降はルカ福音書、ヨハネ福音書などを参照して、後の教会によって加筆されたものです。しかし、加筆編集を加えたものが聖書です。
「イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された」とあります。ここで強調されていることは、震え上がって墓から逃げ去った婦人たちの一人マグダラのマリアに、主イエス自身が自ら復活の姿を現したことです。主イエスの自現です。主イエスの強い想いがここにあります。
マグダラのマリアについて「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である」と注釈がついています。「マグダラ」はガリラヤ湖畔にある地名です。この女性がどのようにして主イエスと出会ったのかは不明です。「7つの悪霊を追い出していただいた」とあるとおり、ガリラヤ伝道の時代に主イエスによっていやされた女性です。多くの悪霊につかれて精神的にも肉体的にも病み衰え、前途に失望していた。しかし、完全にいやされ人生が変わりました。
主イエスによっていやされ健やかに生きることが出来るようになって、彼女は献身したと言っていい。イエスの伝道旅行に随伴し、主イエスと弟子たちの活動を熱心に支え続けました。主イエスが逮捕された時、男の弟子たちは逃げ去っています。しかし、イエスの母マリアと共に十字架の出来事を見守り続けました。彼女は墓を訪ねた女性たちの先頭に居ました。
「まず」という言葉が示すとおり、復活のイエスは男の弟子たちにその姿を現すよりも先に、このマグダラのマリアに真っ先に復活の体を現してくださったのです。墓を訪れた女性の弟子たちを恐怖や困惑の中に閉じ込めるのではなく、一時も早く「イエスは生きておられる」「主はよみがえった」という事実、死に対する勝利の福音を伝えようとなさったのです。
そして、主イエスはマグダラのマリアを復活の勝利の福音を伝える最初の使者として用いられました。男の弟子たちは逃げ去ったまま、あるいは密かに隠れて震えていました。その中で、最初に復活のメッセージを託されたのが「マグダラのマリア」であったことは軽視してはならない大事なことです。
イエス復活の出来事を確証するのは、1つは「空の墓」の事実です。2つは「イエスが生きている」現実です。イエスは十字架につけられて死に墓に葬られた。冷厳な事実です。しかし、イエスは死んで三日目に復活した。このイエス復活の事実は復活のイエスをその目で見た目撃者の証言に依ります。今日のわたしたちも、聖書を通して復活のイエスを見た弟子たちの証言を受け入れて「イエスの復活」を信じるのです。
しかし、目撃証言を「聞いて信じる」ことが難しいのです。主イエスの直弟子たちも出来なかった。「マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、主イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった」と記されます。
「イエスと一緒にいた人々」とは女性たちだけではない。ユダヤ人を怖れて家の中に閉じ籠もっていた男の弟子たちも含めて弟子仲間に、マグダラのマリアはイエスが生きている事実を伝えました。ところが「聞いても、信じなかった」。主イエスの復活を信じることは、今も昔も難しいのです。聖霊が働いて、生ける主イエスとの出会いの体験がなければ、わたしたちも不信仰の中に置かれます。聖霊の働きを祈り求めましょう。