聖書=詩編74編18-21節
18 主よ、御心に留めてください、敵が嘲るのを。神を知らぬ民があなたの御名を侮るのを。
19 あなたの鳩の魂を獣に渡さないでください。あなたの貧しい人々の命を、永遠に忘れ去らないでください。
20 契約を顧みてください。地の暗い隅々には、不法の住みかがひしめいています。
21 どうか、虐げられた人が再び辱められることなく、貧しい人、乏しい人が、御名を賛美することができますように。
まもなく、主イエスの受難を覚える「受難週」が参ります。今回は旧約聖書・詩編74編18-21節から、主のご受難を覚えて、この詩編の言葉を受け止めてまいりましょう。この詩編は詩の内容から、異邦人が聖地を踏みにじり、神殿のあったエルサレムは荒廃し、貧しい者たちは放置されている状況です。作詞年代はバビロン捕囚期のものですが、詩の作者は捕囚とはならず、パレスチナの地に残された民の中にいる者と推測されます。
この聖書個所の直前、詩人はこの詩の9節で「今は預言者もいません。(この惨めな状態が)いつまで続くのかを知る者もありません」と語っています。今まで為政者だけでなく民衆の多くも、悔い改めを口うるさく語る預言者の存在を遠ざけていました。ところが、今や神の言葉を語る預言者がいなくなっている。神から見捨てられているのです。
王や貴族たちはバビロンに捕らえ移されました。神殿は破壊され荒廃し、祭司たちもバビロンに捕囚になりました。イスラエルの地に残されたのは貧しく力のない下層階級の人たちでした。周辺の国々の人たちは、民を見捨てた神を侮り、イスラエルの人々は神から見捨てられた民と嘲られています。
詩人は「あなたの鳩の魂を獣に渡さないでください。あなたの貧しい人々の命を、永遠に忘れ去らないでください」と祈ります。「鳩の魂」を、最新の共同訳では「山鳩の命」と訳します。良い訳です。餌を貰えず放置され痩せこけた小鳥の姿で、敗残で取り残されたイスラエルの人々を指しています。猛禽や野獣の餌食です。
痩せこけて力なく、生きることに精一杯で、神の「御名を賛美すること」も忘れています。神の民でありながら、神を賛美する力さえも失われている。惨憺たる姿と言っていい。周辺の異邦人たちは、イスラエルの民を嘲るだけでなく、奪えるものはすべて奪おうと虎視眈々と狙っています。詩人は、この惨めな自分たちの姿を見詰めて、どん底の中から神に訴えているのです。
詩人は自分たちのことを「御心に留めてください」「渡さないでください」「永遠に忘れ去らないでください」と必死に祈り求めています。その祈りの根拠は「神の契約」です。最早、自分たちの立つ瀬はなくなっている。神への誠実も、律法への服従も真実も祈りの根拠にはなりえません。すべてが失われてしまっている。神ご自身がイスラエルを裁かれての、この惨めな結果なのです。詩人は神の憐れみに依り縋るしかありません。それが「神の契約」です。神が昔「アブラハムとその子孫を憐れむ」と約束してくださった。必ず救うと約束してくださった。この昔の神の契約に頼るしかなかった。神よ、契約に真実であってください、と祈るのです。
詩人は祈ります。「どうか、虐げられた人が再び辱められることなく、貧しい人、乏しい人が、御名を賛美することができますように」と。詩人の祈りは聴かれたでしょうか。応えられたでしょうか。やがて、イスラエルの民はバビロンから解放され、神殿を再建し国を建てていきます。しかし、虐げられた人々、貧しい人々、乏しい人々は顧みられることはありませんでした。捕囚からの帰還後も、この人たちは放置されたままです。詩人の祈りは応えられることはありませんでした。
時が移って、マリアの賛歌が歌い出されます。「飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに」(ルカ福音書1:53-55)と。イエス・キリストの到来において、この詩人の祈りが応えられました。イエスご自身が見捨てられた民と一つになってくださった。契約に真実な神が、憐れみを忘れることなく、飢えた者、貧しき者、力無き者を救い出し、神の慈愛を知る者とするために立ち上がってくださいました。それが、主イエスのご受難によって成就したのです。