聖書=マルコ福音書6章17-20節
実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。
「実は」と記述されて語り出されるのは、ガリラヤの王ヘロデ・アンディパスがイエスについての民衆の評判を聞いて、「イエスは洗礼者ヨハネが生き返ったのだ」と思い込んだ理由が記されているのです。この時、洗礼者ヨハネはもう殉教していました。
今回は17-20節と区切りましたが29節までが一続きですので、是非お読みください。「実は」という言葉に導かれて、洗礼者ヨハネの殉教物語が17-29節に詳細に語られています。ヘロデ・アンディパスの不倫、彼の内心の動き、王の誕生日の祝いの席の情景、ヘロディアの娘サロメの踊りの情景などが描かれ、王の困惑、洗礼者ヨハネの首が盆に載せられてくるまでが詳細に物語られています。
他の3つの福音書と比べて、マルコ福音書の特色の1つは記述が極めて簡略であることです。しかし、洗礼者ヨハネの殉教物語について言えば、マルコ福音書が最も詳細に描き出しているのです。後世の人たちによる戯曲、ドラマ、絵画などは、このマルコ福音書の記述から想を得ていると言っていいでしょう。
ヘロデ大王の家系は不倫と腐敗の家系と言ってもいいくらいハチャメチャです。ヘロデ・アンディパスは前妻を離婚し、弟フィリポの妻ヘロディアを強奪して結婚しました。これを知った洗礼者ヨハネは当然、激しく公然と糾弾しました。旧約預言者の伝統を引き継ぐ者として、為政者の腐敗と不倫に対して「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」と、ヘロデに会って面詰したのです。当時、洗礼者ヨハネは極めて有力で民衆の間で大きな力を持っていました。それをヘロデ・アンディパスは恐れたのです。
しかし、ヘロデ・アンディパスの内心はかなり動揺していました。「ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである」と記されています。
ヘロデ・アンディパスは、一方では「ヨハネは正しい聖なる人である」と理解し、彼を保護し、その教えを聞いて喜んでいた。彼は決して最初から全面的に悪人ではありません。むしろ、洗礼者ヨハネの語る神の言葉、悔い改めを求める言葉にも心が惹かれていたと言っていいでしょう。複雑な人物です。
他方では、ヘロデ・アンディパスは権力者として腐敗の中に身を委ねて生きました。民衆の力を恐れて「人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた」のです。ある意味では「保護」とも言えるかもしれませんが、基本的には洗礼者ヨハネの自由を奪い、ペレアにあるマケルスの城塞に閉じ込めてしまいました。為政者ヘロデ・アンディパスは、洗礼者ヨハネに対して敬意を抱きながらも、神の言葉を語る預言者の力を恐れて、幽閉してしまったのです。
しかし、この洗礼者ヨハネの厳しい糾弾に対して、激しく怒りに燃えたのがヘロデ・アンディパスの妻となったヘロディアでした。「ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた」と記されています。このヘロディアの積年の「恨み」こそが、連れ娘のサロメの踊りの褒賞として「洗礼者ヨハネの首」を求めさせたのです。
この個所に、わたしたちは何を見るのでしょうか。後の総督ポンティオ・ピラトにも見ることの出来る為政者・権力者の持つ問題です。権力者であるが故の弱さです。ヘロデ・アンディパスは洗礼者ヨハネに好感を持ち、その語る言葉に耳を傾ける一方、それを貫けず、むしろ自分の欲望と周囲の民衆に忖度して生きざるを得ない惨めな罪の姿です。権力者の腐敗の姿がここに描かれているのです。