聖書=マルコ福音書6章14-16節
イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。
主イエスがガリラヤ湖周辺の街々、村々を巡り、力強く伝道活動をなさいました。異邦人の多く住む地にも出かけました。主イエスの故郷のナザレでは思わしくありませんでしたが、その他では多くの人々、「群衆」と言われるほどの多くの人たちが主イエスの周りに集まって来ました。
さらに、主イエスは12人の使徒たちも二人ずつ組にして宣教活動のために派遣して、彼らも大きな活動をしました。やがて使徒たちは活動を終えて、主イエスの元に集まり、報告会を持ちます(30節)。この主イエスの評判の記事は、その使徒の派遣と報告会の間にサンドイッチのように挟まれているのです。
主イエス自身の伝道と弟子たちの伝道活動の結果、ガリラヤ地方近隣に「イエスの名が知れ渡り」ました。その評判が「ヘロデ王の耳にも入った」のです。この「ヘロデ王」は有名なヘロデ大王ではありません。ヘロデ大王の死後、王国はアケラオ、ヘロデ・アンティパス、フィリポの三人の息子に分割継承され、ガリラヤとペレア地方はヘロデ・アンティパスが支配者となりました。ここに登場する「ヘロデ王」はヘロデ・アンティパスで、洗礼者ヨハネを殺害した人物です。この個所から題材を採った戯曲「サロメ」やモローの絵画などが生まれてきました。しかし、今回はこの物語の全体ではなく、14-17節までの短いところを取り上げます。
この個所の中心的な課題は「イエスとは何者か」という問いです。マタイ福音書16章にも似たような問いが記されています。主イエスの問いかけに弟子たちが応えたものです。マルコ福音書では「人々は言っていた」という世間一般の評判です。そして、それを伝え聞いたヘロデ・アンティパスという王の対応が記されているのです。
新約聖書には4つの「福音書」があります。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書です。これらの福音書の執筆理由は少しずつ相違がありますが、「イエスとは何者か」という根源的な問いに応えて、「イエスとは、こういうお方だ」と応えたものです。主イエスを知るためには、4つの福音書を読むことが最も大切なことです。
ここには、主イエス自身と12使徒とによってなされた初期のガリラヤ伝道の結果を受け止めた当時の人々の評価が記されているのです。その1つが「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている」と言うものでした。洗礼者ヨハネは、主イエスに洗礼を授けた人ですが、ヨルダン河畔で大きな活動をし、社会的な不正義を糾弾して有名になりました。しかしこの時、洗礼者ヨハネは死んでいました。人々も周知のことでした。世間の人々は、イエスはこの洗礼者ヨハネが生き返った人物だと受け止めたのです。
その他にも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいたのです。エリヤは北イスラエルの預言者で、当時の社会的・宗教的腐敗を激しく糾弾し、死人を生き返らせる奇跡も行いました。「昔の預言者」とは、このエリヤのような社会的な不正義を正し、人々をいやす働きをした多くの預言者を指しています。エリヤにしても、その他の旧約預言者たちは、いずれも激しく社会的・宗教的腐敗に対して糾弾しました。
そのような旧約預言者たちの活動を彷彿とさせる主イエスとその弟子たちの活動を伝え聞いて恐怖したのが、ガリラヤ地方の王であったヘロデ・アンディパスでした。「ヘロデはこれを聞いて、『わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ』と言った」のです。自分の犯した犯罪が民衆に知られ、告発、糾弾されることを恐れたのです。
この後、ヘロデ・アンディパスの犯した罪が記されていきます。為政者や国家指導者は権力の座にあることによって必ず腐敗し不義を犯します。為政者たちは、いつか、その罪が暴露されるのではないかと恐れて戦々恐々とした生活するのです。そのような権力者の犯罪の典型がここに記されています。