聖書=マルコ福音書6章10-13節
また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。
今回はマルコ福音書6章10-13節をお話しします。この個所は12使徒の伝道への派遣の際に語られた主イエスの言葉とその活動についての記録です。主イエスは伝道への派遣に際して2人ずつを組とし、権能を授け、注意事項を語りました。
「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい」。この言葉は、主イエスのガリラヤ伝道の継続として、この時の伝道をも含めて、将来にわたっての教会の伝道の基本的な注意と言っていいでしょう。主イエスの弟子たちが、この後も継続して各地に伝道の戦線を広げていく時に聞くべき大切な注意なのです。
キリスト教伝道の基本は、主イエスによる伝道者の派遣です。伝道者は派遣された地で福音を伝え、信じる者たちが起こされ、そこに教会が建てられるという形を採ります。主イエスご自身が伝道者として各地を巡り、信じる者が起こされ、群れが形作られるという方法を採られたことによります。このような主イエスによる伝道が弟子たちの派遣として継続されていくのです。
この主イエスの伝道の大きな特徴は、派遣された伝道者を受け入れる先の土地とその地の人たちとの関わりとが重要なこととなります。伝道者を喜んで迎え入れ、伝道活動に協力してくれる人たちもいます。歓迎しないまでも興味をもって受け入れる人たちもいます。ところが、反対に頑なに伝道者の受け入れを拒む人たちもいます。これは、ザビエルに始まるキリシタンの伝道でもそうでしたし、近代日本のプロテスタント・キリスト教の伝道でも同じです。今日の伝道でも同じです。
主イエスは言われました。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい」と。伝道者を伝道者として迎えてくれる家があり、そこを拠点として伝道活動をすることが出来るならば、「その家にとどまりなさい」と言うのです。簡単に家移りするな、目移りするな、ということです。最初に伝道者を迎えてくれた人の好意を無にするな、彼らを大切にしなさいということです。人格的な信頼の関係を築くことが伝道の秘訣でもあるからです。伝道は人と人ととの信頼の関係が基本になるのです。信頼関係を結びましょう。
反対に、伝道者を迎え入れず、伝道者の語る言葉に耳を貸さないようなところでは、主イエスは無理にその地に留まれとは言いません。これは「家」の場合もあるし、「地域」の場合もあるでしょう。主イエスご自身も固執されていません。拒まれたら別の場所に移っています。そして「そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい」と言われました。「足の裏の埃を払う」とは無関係を意味することです。決して「呪い」などではありません。
12人の弟子たちは、主イエスのこれらの注意を受けて、伝道に出かけていきました。「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した」。二人ずつ組を作って、付近の村々、町々を巡り、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語って、主イエスの宣教活動に加えられていったのです。
その結果、弟子たちの宣教の奉仕は実り豊かなものでした。「多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」と記されています。弟子たちは、主イエスの持つ権能を授けられた結果、主イエスと同様の奉仕、悪霊の追放、いやしのみ業が継続され、拡大していったのです。主イエスの膝元で、主イエスご自身に派遣されて、12人の弟子たちは実際の伝道の訓練を受けたのです。この時の伝道活動が、この後の教会の伝道の在り方を規定していくことになります。