· 

第353回 あなたの信仰があなたを救った

聖書=マルコ福音書5章25-34節(21-43節)

さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

 

 明けましておめでとうございます。2026年最初のメッセージです。今年も基本的にマルコ福音書から学びます。今回は会堂長ヤイロの娘のいやしのために一緒に出かける道の途中で起こった長血を病む女のいやしの出来事です。この女性は、直前に登場する会堂長ヤイロの愛娘と何から何まで対照的な存在でした。

 彼女には家族と言えるものはなかったようです。12年間、原因不明の病で出血が止まりません。家族も失い、閉じ籠もり、社会的な交わりも出来ません。医者にかかっても回復どころか、ますますひどくなるばかりです。幾らかの財産も使い果たし、誰にも頼ることが出来ない状況です。

 主イエスのことを伝え聞いていたのでしょう。なんとか助かりたいという一念で、ソッと一人で出てきました。大決断でした。しかし、人前に立つ勇気はありません。「群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた」のです。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからと記されています。こっそり、おずおずと主イエスの服の端に触れたのです。

 不思議なことが起こりました。「すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた」のです。彼女は驚いたでしょう。嬉しかった。すると、主イエスは自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われました。

 この主イエスの言葉は、どういう意味の言葉でしょうか。身近で、主イエスの言葉を聞いた弟子たちは「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう」と言い、誰が触れたのか、とても分かるものではないと言います。しかし、主イエスは触れた者を見つけようと辺りを見回しておられます。

 もう隠れていることが出来ません。「女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した」のです。「震えながら」と記されています。今まで経験したことがなかった。大勢の人の前で、彼女の今までの生きてきた道、病み、痛み、孤独で悩み、貧しくなり、主イエス以外に頼る人がなかったことをありのまま告白したのです。雄弁に一気にではなく、ポツリとポツリと語った。主イエスは、彼女の震えながら小声で語る告白の言葉をしっかりと時間をかけて聞き取りました。

 聞き終えてから、主イエスは言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」と。これこそが、主イエスが彼女を捜し求めた理由であり、公衆の前でも彼女に求めたことなのです。病がいやされるだけでなく、人間の根底にある問題の解決なしには、真のいやしとならないからです。

 彼女に必要だったのは肉体のいやしだけでなく、人としての丸ごとの救済、罪の赦しと神と人との交わりの回復でした。主イエスの前に出てきた決断、公衆の前での自分の半生の告白、主イエスの力への信頼、これらをひっくるめて、主イエスは「あなたの信仰」と見てくださり、「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。罪が赦され、神との交わりが回復でき、社会へ出て行く力も与えられた。これからは何処にも出かけられます。「安心して行きなさい。元気に暮らしなさい」。神と共に生きる「シャローム」の祝福です。今年、この神のシャロームの恵みの中で力強く生きて参りましょう。