聖書=ルカによる福音書2章1-7節
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
メリー・クリスマス。クリスマスは喜びの時です。しかし、この喜びの意味がなかなか理解されません。ケーキを食べる喜び、楽しくクリスマスプレゼントをして過ごす時という程度に受け止めているのではないでしょうか。クリスマスの本当の意味はなかなか理解されません。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」。ここにはクリスマスの出来事が起こった時と背景が記されています。皇帝アウグストゥスは紀元前27年から紀元後14年まで40年間、古代ローマ帝国の初代皇帝として君臨しました。ユダヤはこの時代、ローマ皇帝の支配下にありました。住民登録は課税のための基礎資料です。
この世俗権力に強制されて一組の若い夫婦がナザレからベツレヘムへ百数十キロの旅をしたのです。その中で1つの出来事が静かに起こっていました。この世の力によって強いられた中で、神の計画が静かに進められていました。神は多くの預言者を通して救い主の誕生を約束していました。預言者イザヤは「一人のみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」と予告しました。その預言されたことが、ローマ皇帝の支配する歴史の中で実現しようとしているのです。クリスマスは神の約束・預言の成就です。この出来事が静かに人知れず起こったのです。
人々は住民登録のために出身地に戻らねばなりません。ベツレヘムの町はごった返していました。その騒ぎの中に、一組の若い夫婦がベツレヘムの町に到着しました。ヨセフと許嫁の妻マリアです。彼女は身ごもっていました。そして、まもなく「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせ」ました。
人々が右往左往していた中で、ひっそりと一人の幼子が生まれました。町の人から祝われることはありません。ひそやかに生まれたと言っていい。「飼い葉桶」は貧しさを表す言葉です。当時の農民や牧畜をする人たちは土の上に寝ることも珍しいことではありません。しかし、生まれる我が子のためにはどんな貧しい人でもゆりかごを用意しました。マリアから産まれた赤子にはその最低限の用意もなかった。宿に泊まることも出来ず、馬小屋で雨露をしのぐ状態でした。そして、牛馬の餌箱である飼い葉桶がこの赤子の最初の寝床でした。貧しさの極みの中に生まれました。
ここに神のなさる救いの不思議があります。貧しく、みすぼらしさの中に、神が身を低くしてくださった。神が神として高く栄光に輝くのではなく、神が身を低くされたのがクリスマスです。神が身を低くして、神の御子が人となったのです。
クリスマスの時に「インマヌエル」という言葉が語られます。「神が我らと共にいます」という意味です。クリスマスは、わたしたちに寄り添ってくださるお方が来たことです。権力に圧迫され苦しむ者、生きるため苦悩する人、家を失い貧しく生きる人、病苦で呻く者、弱さと痛みを身に負って生きる人たちに寄り添うために、神の御子である幼子は飼い葉桶の中に身を置いたのです。
「彼らの泊まる場所がなかった」とは、この幼子の生涯全体についての福音書記者ルカの要約の言葉です。救い主の家族を暖かく迎えてくれる家はなかった。キリストの到来は歓迎されなかった。ヨハネ福音書では「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(1:11)と記しています。
貧しさの中に人となられたキリスト誕生の意味を悟る人は一握りです。身を低くされた神を受け入れる人は少ない。傲慢な人や権力ある人や富める者は気付きません。神が人の世を訪問してくださった。この幼子が人に寄り添い、罪と滅びの中から人を救う救い主となられたのです。病苦に悩む人、苦難の中にある人が気付き、飼い葉桶の中にいます救い主を見て喜ぶのです。この幼子を受け入れ礼拝する人が神の子とされ、救いの恵みの中に入れていただけるのです。