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第346回 流血の罪を犯す者への弾劾

聖書=詩編5編5-7節

5 あなたは、決して逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず

6 誇り高い者は御目に向かって立つことができず、悪を行う者はすべて憎まれます。

7 主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし、流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。

 

 今回は旧約聖書・詩編5編5-7節から神のみ言葉を聴いてまいります。この詩の作者はイスラエルの王ダビデとされていますが、全体としては神信頼の詩とされ、バビロン捕囚帰還後の作品ではないかと言われています。ここではさらに5-7節と小さく区切って、短い区切りの中での主題をお話しすることとします。

 この詩全体は神への信頼に立った祈りの詩です。「ダビデの詩」と記されているように信仰の基本に立った「朝ごとの祈り」の詩です。その中で、この短い区切りの部分では、信仰者が神に依って立つ、その神理解が語られているのです。ここに歌い上げられているのは卓越した「神理解」です。この「神理解」こそが、この詩を捕囚期後の作品とされる根拠と言っていいでしょう。

 多くの人は、旧約の神は「戦いの神」だと理解するのではないでしょうか。そのように語る解説本もたくさんあります。申命記20章には「戦争について」の章があり、モーセの後継者ヨシュアは、民を「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア記1:6)と励ましてカナンの地を取得させ、旧約のイスラエルの民の歴史は戦争の歴史でもありました。パレスチナ人に約束されたヨルダン川西岸地区を簒奪し、ガザ地区を猛攻する現代イスラエルの国の姿と二重写しになります。

 しかし、そのような中で、戦いを忌避する旧約聖書の文言も実は少なからずあるのです。最も基本的にはモーセの十戒の中の第六戒で「殺してはならない」(出エジプト記20:13)と明確に規定されています。これは単なる個人的な倫理規定ではなく、イスラエル共同体への明確な規定(掟)です。この「殺してはならない」という第六戒を踏まえての非戦、反戦の神の言葉が語られ続けているのです。

 この詩編第5編5-7節の言葉は、為政者や民のリーダーたちが神の御心に反し、背いて生きていることに対する神の怒りを表す預言者的な言葉と言っていいでしょう。「あなたは、決して、逆らう者を喜ぶ神ではありません」と語ります。この「あなた」はある特定の個人というよりも、為政者や民のリーダー層を表す集合名詞の「あなた」です。神の怒りの対象です。

 神に「逆らう者を喜ぶ神ではない」。これらの神に反逆する人たちに対して、神は怒っておられて「悪人は御もとに宿ることを許されず」と語ります。神は彼らと共にいないと言われているのです。激しい言葉です。さらに、「誇り高い者は御目に向かって立つことができず、悪を行う者はすべて憎まれます」と語り、さらに「主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし」ます、と語ります。

 十戒は、最も基本的な神の御意思の表れです。「いのちの尊厳」を規定する第六戒だけではありません。為政者、民のリーダーたちが、貧しく弱い者たち、寄る辺なき者たちへの配慮を無くし、寄留の民や隣人たちへの配慮を欠いて、自己中心で肥え太る富む者たちへの神の審判の言葉なのです。

 彼らがどれほど信仰深く装っても、神はその偽善の装いを見抜いておられます。彼らを「喜ばない」、「共にいない」、「神の前に立たせない」、「滅ぼす」、「憎む」と非常に強い言葉で彼らを忌避しています。捨てているのです。

 そして、極めつけが7節の「流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます」という言葉です。「流血の罪」とは戦争のことです。国民を欺いて、国民を戦争に駆り立て、人を殺させ、人のいのちを奪う者たちに対して、神は「いとわれます」。共同訳「忌み嫌います」と訳します。神の怒り、呪いと言ってもいいでしょう。いのちを奪う戦争を起こす者たちを忌み嫌う神の御意思が明瞭に語られているのです。わたしたちは、この神の御意思をしっかりと受け止めて歩んで参りましょう。