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第337回 「からし種」のたとえ

聖書=マルコ福音書4章30-32節

更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

 

 今回はマルコ福音書4章30-32節をお話しします。小見出しに「からし種」のたとえ、と記されています。直前の「成長する種」のたとえと一対になるような、主イエスの語られたたとえ話と言っていいでしょう。

 日本で「からし種」と言えば、アブラナ科の辛子菜の種を考えるでしょう。主イエスが語る「神の国」のたとえに出てくる「からし種」は違います。わたしも一時、育てたことがあります。ナス科の一種で、砂粒よりも小さな種で、黄色い筒型の小さな花をたくさん咲かせ、風に乗って極小の種を四方に散らせます。数メートルの高さにまで枝を伸ばし、灌木状になって広がり、そこには小鳥も来ていました。

 主イエスは、この「からし種」を「神の国」の成長にたとえました。神の国の地上の姿である教会は、まことに小さい。吹けば飛ぶような小さな弱い存在です。キリスト者であっても失望します。使徒パウロは「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」(Ⅰコリント4:18)、「目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです」(Ⅰコリント5:7)と教えていますが、実は弟子であるわたしたちも目に見える現実によって一喜一憂してしまいます。

 主イエスは、目に見える事象によって事柄を判断して一喜一憂する不信仰な弟子であるわたしたちを励まし支えるために、このたとえを語られたのです。「土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが」と言われます。1ミリ以下の小さな種です。土に混じるともう完全に分からなくなります。

 主イエスの伝道活動の状況を思い描いて見てください。主イエスは、ユダヤ教の中心地エルサレムから遠く離れたガリラヤ湖畔で伝道を始めましたが、ユダヤ教の屋台骨はびくともしません。巨大なローマ帝国の版図は拡大し続け、繁栄は永久に続くと思われていました。どこに神の国の存在が見えていたでしょうか。

 主イエスが天に挙げられた後、主イエスの弟子たちに種蒔きの伝道が託されました。弟子たちは、主イエスが命じたように世界に出て行って福音の伝道に忠実に励みましたが、小さな弱い群れに過ぎませんでした。主イエスの弟子たちは、この福音は果たして世界を変える力を持っているのか、神の恵みの支配としての神の国は来るのだろうか、という問いを抱えながら生きたのです。巨大なローマ帝国はその権力をもって主イエスの弟子たちを圧し潰そうとして「皇帝礼拝」を要求し、イエスの弟子たちは地下墓所に逃れて密かに礼拝を捧げていたのです。

 主イエスは、このような疑問を持つ多くの弟子たちの不安に応えるために、このたとえを語っているのです。「蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」と言われました。「空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」とは、ローマ帝国がキリスト教化して、キリスト教がローマの国教になって実現、成就したと簡単に考えてはなりません。

 神の恵みの支配である神の国と、組織としてのキリスト教会とは、注意深く切り分けて考えねばなりません。カトリック教会であれ、プロテスタント教会であれ、神の恵みの支配とは一線を引いて考えねばなりません。今なお、神の国としての恵みの支配は小さく、弱く、慎ましいのです。しっかり目をこらして見なければ分からないほどです。

 しかし、神の国は成長を続けています。このたとえは、神がその希望を実現してくださる力のたとえなのです。「鳥が巣を作る木」とは、民を保護し、平和のうちに生活させる神の支配を表す比喩なのです。「主の木々、主の植えられたレバノン杉は豊かに育ち、そこに鳥は巣をかける」(詩編104:16-17)。終末において神の恵みの支配が成就されます。神の国の完成を待ち望んで生きるわたしたちの確かな希望なのです。