聖書=マルコ福音書3章6節
ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。
今回はマルコ福音書3章6節を取り扱います。短い1節だけですが大事なところですので時間を取ってお話しします。この短い文章は、2章の中風の人のいやし、断食論争、安息日に麦の穂を摘むの出来事、そして直前の安息日に片手の萎えた人のいやしの出来事などの積み上げられた結果として起こったことです。極めて重大なことです。
ここに「ファリサイ派」と「ヘロデ派」という2つのグループの名前が出てきます。どういう人たちでしょうか。この2つのグループは、ふだんは決して交際しません。互いに警戒し、敵意を露わにし、軽蔑し合っていました。それが今や、ここでは一つになって、イエス殺害を「相談し始めた」というのです。
「ファリサイ派」とは、ユダヤ教の保守的なグループの名前で、「ファリサイ」の名称は「分離」に由来すると言われています。紀元前2世紀頃から、パレスチナの地がローマ帝国の支配下に置かれ、ローマの文化が流入してきます。それに真っ先に迎合したのが上流階級を占めていた世襲の祭司階級でした。この上流祭司階級のグループを大祭司の名を取って「サドカイ派」と呼びました。
このような世俗化の時代風潮に対して、反発し、分離して、古来からのユダヤ伝統の律法に立ち戻って、律法に忠実な信仰生活を取り戻そうとしたのが「ファリサイ派」です。律法を熱心に研究し、律法に忠実に従って生きようとしていました。そのため、当時の一般民衆の尊敬を得ていたと言っていいでしょう。しかし、その律法理解の仕方が問題でした。極端な字義的直解主義、言い伝えや伝統に固執した形式的・外面的な律法理解で律法主義と言われます。
主イエスは当初、律法を語るファリサイ派の一員と見られていました。ところが、しだいに「違い」が明らかになってきました。その違いの1つが律法理解です。律法理解においてファリサイ派と根本的な対立関係に立った。それがマルコ福音書3章1-5節の「手の萎えた人」のいやしの出来事でした。「安息日律法」の理解において違いが鮮明になったのです。主イエスは決して律法を無視しません。大切にしました。しかし、主イエスの律法理解は、律法の与えられた基本的な精神に戻って、そこから考えました。律法に対する基本的な姿勢が衝突をもたらしたのです。
「ヘロデ派」(多くの聖書翻訳では「ヘロデ党」と訳しています)とは、ローマ皇帝の支持を受けたヘロデ王朝を支持する人たちのグループです。祭司階級のサドカイ派と重なる部分がありますが、現世利益を求める政治的な勢力と言っていいでしょう。敬虔深く律法に忠実に生きようと願うファリサイ派とは全く違います。ヘロデ王朝を支持して権力のおこぼれを得て甘い蜜を吸おうとしていた世俗の勢力で、現実の政治的な力を持っていました。
主イエスは後に弟子たちに、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」(マルコ福音書8:15)と、両者に警戒することを語っています。全く逆方向に立つ人たちですが、キリスト教信仰を突き崩す根本的な誘惑の種です。一方は律法主義であり、もう一方は世俗主義です。
この律法主義のファリサイ派と世俗主義のヘロデ派とが、イエスを殺そうとすることで手を結び、「相談し始めた」のです。ふだんは互いに警戒し敵視し合っていた人たちが「イエスを殺す」一点で一致し、合意し、相談し始めたのです。
主イエスの十字架への道が、ここから現実に始まっていきます。現実の政治の力を持つ勢力とユダヤ人の宗教生活に基盤を持つ持つ勢力とが一致して、主イエスを排除し、「イエスを殺す」ことを計画、画策し始めたのです。主イエスの公生涯の初期段階から、主イエスの十字架・受難の道が姿を現し始めたことを、マルコ福音書は明確に指摘しているのです。