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第270回 見捨てないでください

聖書=詩編27編7-10節

 7   主よ、呼び求めるわたしの声を聞き、憐れんで、わたしに答えてください。

 8   心よ、主はお前に言われる。「わたしの顔を尋ね求めよ」と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。

 9   御顔を隠すことなく、怒ることなく、あなたの僕を退けないでください。あなたはわたしの助け。救いの神よ、わたしを離れないでください。見捨てないでください。

10  父母はわたしを見捨てようとも、主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。

 

  今回は旧約聖書・詩編27編7-10節からお話しします。この詩編27編はユニークな詩編です。前半の1節から6節は非常にはっきりとした神信頼の歌です。いろいろな試練に囲まれていても、しっかりと神に目を向けて信仰の戦いをし、頭を高く上げて神を賛美しています。ところが、後半の7節からは同じ人が記したと思えないほどの気弱さと嘆きの調子に一変しているのです。

 そのため、注解者によると前半と後半では作者が違うのではないかと考える人もいるほどです。わたしは個人的な理解ですが、詩人を取り囲む環境が変化したのではないかと推測しています。わたしたちも信仰的に高揚する時もありますが、一転して精神的に落ち込み呻く時もあるのではないでしょうか。

 ここで取り上げている7節からの後半部分は嘆きの詩です。詩人は今、孤独に呻いているのです。家族からも友人たちからも見捨てられているような孤立した状況に置かれていると実感しています。それだけでなく、詩人は神からも見捨てられていると受け止めているようです。

 詩編27編は、その序に「ダビデの詩」と記されています。実際にダビデの作とすることは難しいようですが、ダビデに即してこの詩の後半部分を考えることは有益なのではないでしょうか。ダビデは、その生涯の中で息子のアブサロムの反乱という悲劇を体験しました。ダビデに従ってきた多くの有能な武将たちもアブサロムに従ったため、一時王宮を捨てて逃げ延びざるを得なかった時があります。ダビデは、家族に見捨てられ、友人にも見捨てられるという悲哀を味わった人です。

 詩人は深刻に嘆き呻いています。「主よ、呼び求めるわたしの声を聞き、憐れんで、わたしに答えてください」と。神を求める以外ない状況です。幼い時から神こそ頼りでした。心のひだに刻まれた御言葉に従って激しく神に祈り求めます。「心よ、主はお前に言われる。『わたしの顔を尋ね求めよ』と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます」。

 しかし今は、その頼みにしている神が遠く感じるのです。家族に裏切られ、親しかった友人たちからも見捨てられている。神に頼る以外ないのですが、その神も遠く離れて応えてくれないと感じているのです。「御顔を隠すことなく、怒ることなく、あなたの僕を退けないでください。あなたはわたしの助け。救いの神よ、わたしを離れないでください。見捨てないでください」。

 根源的な孤独感と言っていいでしょう。人間的な見捨てだけでなく、神からも見捨てられていると感じているのです。十字架上のイエスの「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)という言葉を思い起こさせます。(マルコ福音書15:34)

 しかしなお、この詩人は神に信頼し続けます。神にしがみつくと言っていいでしょう。「父母はわたしを見捨てようとも、主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます」。父母は普通、産んだ子を見捨てることはありません。そのあり得ないようなことが例え起こったにしても、神は決してその選んだ僕を見捨てることはないという神への確信です。絶対的な依存です。詩人はこの確信に全身全霊をもって賭けるのです。

 詩人は、待望を自らに言い聞かせて詩を閉じています。「わたしは信じます。命あるものの地で主の恵みを見ることを。主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め」(13-14節)。その後は記されていません。しかし、わたしたちは確信します。神への信頼に徹底的に生きる者を、神は決して見捨てることはないと。