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第261回 キリストの復活

聖書=Ⅰコリントの信徒への手紙15章3-5節

最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。

 

 今年、2024年のイースター(復活節)は例年より少し早く3月31日(日)です。今回は詩編を離れて新約聖書・Ⅰコリントの信徒への手紙15章からキリストの復活について記します。「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません」。

 パウロは、改めて新しく福音宣教をするように厳粛に語り出します。福音の原点である復活信仰を語ることによって、コリントの教会員たちを福音信仰の原点に立ち戻らせようとしているのです。「福音」は信徒の生活の拠り所、土台です。

 パウロは「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」と記します。「最も大切なこと」とは生命的なことです。パウロも、救いをもたらす福音は「わたしも受けたもの」と語っています。新しい独創的な教えではなく、先輩の使徒たちから伝えられ受け継いできたと言います。その受け継いだものを忠実に「あなたがたに伝えた」と語るのです。

 パウロが伝えた福音の内容は、キリストの十字架の死と復活の出来事です。「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」です。「聖書に書いてあるとおり」とは、旧約のどこかの引用として語っているのではありません。旧約全体がキリストの十字架と復活を証しする書であるということです。

 福音の内容の第1は、キリストの十字架による贖いの死とそれによる罪の赦しの恵みです。キリストの死が「わたしたちの罪のため」であると記して、十字架の死が罪の赦しのための代償的贖罪死として理解され、提示されています。その十字架の死の事実の確認が「葬られたこと」で証しされるのです。

 福音の内容の第2が、十字架で死んだイエスが「三日目に復活したこと」です。「復活した」は完了形で、その出来事が現在も継続している……復活されたイエスが現在も生きておられることを語っているのです。このイエス・キリストの復活の出来事こそ死に対する完全な勝利で、全人類を覆っている死が打ち破られたのです。キリストが死者の中から復活したことは、キリストに結ばれている者たちの復活の初穂であり、キリスト者の永遠の生の確証、保証なのです。

 キリスト教会が伝えるべき福音のメッセージは、キリストによる十字架の贖いとキリスト復活によるすべて信じる者に与えられる復活の希望です。教会がしっかりと受け継ぎ、伝えていくべき福音宣教のメッセージはここにあります。この大切な土台を見失うところで信仰は虚しくなります。

 パウロが、復活の問題を取り上げたのは、コリント教会の中で「死者の復活などない」と言っている人たちがいたからです。決して珍しいことではありません。今日でも世の多くの人は「復活などはあり得ない。証明してみろ」と言うのではないでしょうか。しかし、歴史的出来事は自然科学と違い再現は出来ません。

 そこでパウロは、イエス・キリストの死人からの復活が事実・現実であることを目撃証人を挙げることで証ししていくのです。「ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。イエス復活の出来事を見た目撃証人がいることによって復活の確かさを確証していくのです。「現れた」とは、復活の主ご自身が弟子たちに現われた結果、「見られた、目撃された」のです。使徒の代表「ケファ」(ペトロ)に現れ、使徒たち全員に現れ、「500人以上もの兄弟たちに同時に現れました」。コリントの信徒への手紙が記されたのは紀元50年代です。「そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています」。復活の目撃証人にはこと欠きません。

 今日、わたしたちが主イエス・キリストを信じるとは、十字架の死を経て、三日目に死人の中から復活されたお方を信じることです。このお方を信じて、キリストに結ばれて罪の赦しを得て、永遠の命、復活の命の恵みを受け取るのです。