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第226回 恵みのオアシス

聖書=詩編36編8-10節

神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ、あなたの家に滴る恵みに潤い、あなたの甘美な流れに渇きを癒す。命の泉はあなたにあり、あなたの光に、わたしたちは光を見る。

 

 今回は旧約聖書・詩編36編8-10節から、神の恵み深さを学んでまいりたいと願っています。この詩編36編は、恐らく元は2つの別々の詩であったろうと言われています。1-5節、そして6-13節という別の詩が、何かの機会に1つにまとめられたのではないかと言われています。今朝はその後半の部分、特に9節を中心にお話しさせていただきます。

 たいへん暑い日々が続いています。病床でお過ごしの方は気象の変化による苦しみを感じておられるのではないでしょうか。もう一度、先ほどのみ言葉を読みしましょう。9節です。「あなたの家に滴る恵みに潤い、あなたの甘美な流れに渇きを癒す」。

 この詩の作者は、イスラエルの王ダビデと記されています。パレスチナに生きた人です。パレスチナは夏になると日中は50度近くになります。人は歩き回ることはできません。ジッと木陰でうずくまって夕暮れの涼しさを待ちます。だいぶ以前のことになりますが、わたしもイスラエルを訪問したことがあります。夏の日、遺跡の丘へと歩いていたら、くらくらっと倒れてしまったことがあります。幸い、案内してくださる方が直ぐに近くの喫茶店に運んで、冷たい水を飲ませ、胸を開いて冷やしてくださって助かりました。夏になる度に思い出す出来事です。

 しかし、どんなに暑くても木陰に入ると本当に涼しい。ホッとさせられます。ダビデはイスラエルの王でしたが、その生活は毎日、乾いた砂漠を旅するような殺伐としたものでした。気候の暑さだけではありません。毎日が戦いでした。息子に裏切られるようなつらいことも経験しました。暑い夏の日に、太陽の照りつく下を歩くような痛みと苦しみを経験していたのです。くらくらするような毎日ではなかったでしょうか。その時に、彼は「神の翼の陰に」身を寄せたのです。木陰に身を寄せるように神の守りに身を委ねたのです。

 ここで「あなたの家」と言っているのは神の宮です。この時代、まだ神殿はなく幕屋という移動可能なものですが、内実は神殿と同じです。この詩の作者は、神の宮のすばらしさ、慕わしさを歌います。神の宮における礼拝は、乾ききった砂漠の旅路の中で、清水の湧き出るオアシスを見つけた旅人の喜びにも等しいというのです。疲れ果て、乾きの中にある旅人はオアシスで湧きしたたり落ちる泉から、清水を心ゆくまで飲み、土埃にまみれた体を洗い流します。長くつらい旅の疲れを癒され、やすらぎが与えられるのです。「あなたの家に滴る恵みに潤い、あなたの甘美な流れに渇きを癒す」とあるとおりです。

 この詩の作者は、暑さでくらくらっと倒れ伏すような経験をした時に、神に身を避けて、神の宮での礼拝を喜びとしたことを思い起こしているのです。神の宮で心身共にいやされた。渇きをいやされ、心身共に力を回復された恵みを歌っているのです。

 わたしたちにとっても、神を礼拝することはまさに砂漠を旅する中でオアシスに出会ったようなものです。「あなたの家に滴る恵み」とは、神を礼拝する者たちに与えられる平安と慰めです。乾ききった人生の旅路の中で、心が本当にいやされ、慰めが与えられる。それが礼拝です。

 「あなたの甘美な流れに渇きを癒す」。オアシスの甘美な水の流れは、心の渇きを内側からいやしてくれる天からの恵みの水です。主イエスは「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ福音書7:37-38)と言われました。主イエスは、今も疲れ果てて心に渇きを持つ人を招いておられます。「わたしのところに来なさい」と。