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第198回 平和を告げる者として

聖書=イザヤ書52章7節

いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。

 

  2023年が始まりましたが、昨年2月に始まったロシア・ウクライナ戦争は止みません。このロシア・ウクライナ戦争を奇貨として、日本の政府は軍備の増強、敵基地攻撃能力などを獲得しようとしています。戦後が戦前に転換されているのではないでしょうか。このような時代の中で、わたしたちは神から「平和を告げる者」としての使命・ミッションを託されているのです。

 日本は、明治維新後10年おきくらいに戦争をしてきた好戦国家であったことを忘れてはなりません。近代日本は戦争に明け暮れてきたのです。台湾出兵、江華島事件、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリヤ出兵、満州事変から日中戦争、アジア・太平洋戦争と戦争から戦争が続きました。

 古代イスラエルもヨシュアの時代から戦いが続き、アッシリア捕囚とバビロン捕囚でイスラエルの国が滅びるまで戦いに明け暮れていました。戦いに明け暮れた結果、イスラエルは国そのものを失ってしまいました。紀元前721年、北王国イスラエルはアッシリアに捕囚となり世界に散らされました。南王国ユダは紀元前597年、バビロンに捕囚になりました。戦いに敗れ、国を失い、多くの人が異邦の地に連れ去られる惨めな体験を繰り返し、そこから真剣に平和を考えるようになりました。つらい敗戦を経験しなければ平和を考えないのでしょうか。

 バビロン捕囚を経験した預言者の中で平和(シャローム)についての言及が多くなります。イザヤ書52章7節に「平和」という言葉が出てきます。旧約聖書の中でも代表的な平和に関する言葉です。「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる」。預言者はバビロンに捕囚となった人々の中にいました。そこで人々は奴隷のようにバビロンの人々に仕えて生きる以外ありません。しばらく異邦の地に住まねばならない。神の民も神殿を失い信仰もあやふやになり、心はすさみ自暴自棄になります。

 その中で、第Ⅱイザヤと言われる預言者は平和を語るのです。すぐにではないが、やがて「平和」が告げられる時が来ると、「希望としての平和」を語り出すのです。ここで「平和」は「恵み」、「救い」という多様な言葉で言い換えられています。「平和を告げ」、「恵みのよい知らせを告げ」、「救いを告げ」と言う言葉は同じことを物語っているのです。預言者が語る「平和」は、単に戦争がない状態という消極的な平和ではありません。

 預言者は、戦争がない状態だけを語るのではありません。わたしたちが平和を語る時、このことを忘れてはならないでしょう。戦争がない状態だけでもすばらしいことです。しかし、人間が罪人である限り、欲望や名声、貪欲と野望がある限り、戦いが起こるのです。このことは、すでに多くの人が気づいています。人の持つ罪との戦いこそ、平和を確立する道だと言っていいでしょう。一人ひとりの心の中にシャロームが築かれねばならないのです。

 預言者が語る平和の内容は、「あなたの神は王となられた」ということです。これがまことの「シャローム」です。「恵み」、「救い」という言葉で言い換えられる平和は、神がまことの王として支配するところなのです。争いと戦いは、人間の欲望や権力が支配するところに起こります。人間のとどまるところのない欲望が争いを起こしていくのです。平和は心の中から始まります。一人ひとりの人の心が、神の恵みと救いによって支配されねばなりません。

 「神が王となる」とは、神が牧者、羊飼いとなるということです。羊飼いは羊を青草のあるところ、水飲み場に導きます。羊を食い荒らす狼や危険から守ります。これが羊飼いの務め、王の務めです。神が牧者として羊を守ってくださるところでシャロームがあるのです。これこそ、神の与える平和です。第Ⅱイザヤは、このような神の与える平和を「恵み」、「救い」と語り、やがてその平和を告げ知らせる者が起こされることを予告しているのです。

 「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は」と語ります。神の平和、福音を伝える者の足は、「いかに美しいことか」と称えています。単なる美的な美しさではなく、聴く者の心を快くホッと安堵させる心地よさです。バビロンから解放の喜びのメッセージを託された使者が、山々を駆け、野を走って帰還の喜びを伝える、そういう時が必ず来るという預言です。平和の到来、神が主となってくださったという喜びの言葉です。

 「神が王となる」本当の平和、シャロームが実現するのは、イエス・キリストにおいてです。イザヤ書53章で、苦難のしもべの預言が語られています。恵みと救い、本当のシャロームは、受難の救い主、十字架のキリストによって実現するのです。イエス・キリストにおいて神が王となってくださいます。イエスはわたしたちの羊飼いとなりました。わたしたちは、このイエスのシャロームを伝えるのです。福音を伝える伝道は遠回りのようですが、平和をもたらす近道なのです。イザヤの告げる平和は、キリストが一人ひとりの心の中に、その支配を完成する時まで待たねばなりません。わたしたちは、この年、平和を告げ知らせる者とされているのです。