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第196回 クリスマスの喜び

聖書=ルカ福音書2章8-14節

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

 

 クリスマスおめでとうございます。クリスマスの祝福をお話しします。主イエス・キリストのご降誕を祝うクリスマスは「喜びの時」です。この時期、教会では「メリー・クリスマス」と言い、互いに贈り物をし喜びを分かち合います。ここに記されているのは最初のクリスマスの風景です。

 ベツレヘムの郊外で、夜、羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、神からの使い・天使が現れて「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」と語ります。クリスマスは大きな喜びの時です。「喜び」の内容は、幼児イエスの誕生です。わたしたちはいろいろな種類の喜びを知っています。希望の学校に入学することも喜びです。愛する人と結婚できたら喜びでしょう。家庭に子供が生まれた喜びもあります。

 これら多くの喜びも勿論、喜びです。しかし、「クリスマスの喜び」とは異質な喜びです。どこが違うのでしょうか。クリスマスの喜びは「永遠の喜び」です。わたしたちがこの世で手に入れる多くの喜びは束の間のものに過ぎません。しばらくしたら変化し失われていきます。ところが「クリスマスの喜び」は決して失われることはありません。

 クリスマスの喜びは「神の愛を実感する喜び」と言っていいでしょう。天使は羊飼いたちに「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と告げます。これが喜びの実体です。飼い葉桶の中に寝かされている乳飲み子の誕生です。「これがあなたがたへのしるしである」と語ります。

 「あなたがたへのしるし」と言われます。何の「しるし」でしょう。神の愛の「しるし」なのです。聖書の神、唯一の生けるまことの神は、罪人であるわたしたちを愛してくださる神です。ヨハネ福音書3章16節に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と記されています。これが聖書の中心的なメッセージです。神は、アダムとエバが堕落したその所から、罪に陥った人間のわたしたちを愛して救うことを決意しました。その神の救済の決意の実現が幼児イエスの誕生なのです。神からの大きな愛のプレゼントです。

 三浦綾子さんは、「塩刈峠」という小説の中で「愛するとは何か」ということについて、こう記しています。「愛するって、一番大事なものをやってしまうこと」と。「愛」と言うと、しばしば言葉だけのものになります。しかし、神は、神の一番大事な「独り子」であるイエス・キリストを、わたしたち罪人の救いのために「やってしまった」、与えてしまったのです。クリスマスにおいて、わたしたちは「罪人であるわたしが愛されている」と深く悟ることです。

 クリスマスの喜びは、この神の愛によって救われた喜びです。飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子について、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と、天使は告げます。幼児は救い主、メシアです。どのような救い主なのでしょうか。わたしたちを罪から救う救い主です。マタイ福音書の中で、夫となるヨセフへの告知が記されています。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイ福音書1:21)。イエスという名前は「主は救い」という意味で、この幼児は救い主・キリストとして生まれたのです。

 この幼児は、やがて成長して神から託された救い主としての働きを完遂なさいます。それは十字架を担うことでした。この幼児は、生まれた時から十字架を目指していました。イエスは「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マタイ福音書20:28)と語りました。イエスの救い主としての働きは、十字架において、わたしたち罪人の身代わりとなり、罪の償いをすることでした。

 この方は、救い主として十字架で苦しみ血を流して、わたしたちの罪の代価を支払いました。十字架のキリストを見上げて、キリストを受け入れるところに救いがあります。キリストを信じる者には「あなたの罪は赦された」と宣言され、神の子となるのです。罪の赦しと神の子とされて永遠の生命をいただく喜び、これが救いの喜びです。教会でクリスマスを祝うのは、この救いの恵みをいただいたことの「喜びの表明」なのです。