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第195回 「平和の君」が生まれた

聖書=イザヤ書9章3-6節

彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、あなたはミディアンの日のように折ってくださった。地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた。ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

 

 今年2022年はたいへん厳しい年となりました。2月にロシア軍が突如、ウクライナに侵攻して悲惨な戦争が始まり、今なお双方に多くの戦死者が出ています。家族や親しい者たちを理不尽に殺され、家を焼かれ、故郷を追われて他の国々に流浪している人たちがいます。その惨状がリアルタイムで報道される時代です。世界中の人々が心を痛め、悲しみと無力さに打ちのめされているのが現状です。

 今回は上記のイザヤ書9章からお話しします。クリスマスの時に読まれる聖書個所です。このイザヤの言葉が語られた時代背景について簡単に記します。イスラエルが南北に分かれていた分裂王国の時代です。北方の大国アッシリアが北王国イスラエルに侵攻し、圧倒的な力で北イスラエルの領域を占拠し、そこに住む人々をアッシリアに捕囚として連行していこうとしています。隣接するイザヤの属する南王国ユダにも危機が迫って来ています。

 イザヤ書9章の冒頭には「闇の中を歩む民」、「死の陰の地に住む者」という言葉が記されています。南北を問わずイスラエルの国全体が、アッシリア帝国の政治的・軍事的な圧迫の下に苦しい状況に追い込まれ、希望を失い暗闇の中で生きていた状況です。今日、北の大国ロシアがウクライナに侵攻し、ウクライナの庶民が死の淵に立ち、故郷を失って流浪している状況と重ね合わせて見ることが出来るのではないでしょうか。

 そのようなイスラエルの民に対して、預言者イザヤは「大いなる光を見る」、「光が輝いた」と語り出すのです。平和の到来です。先ず、「ミディアンの日」とは、神が士師のギデオンを用いてイスラエルの民をミディアン人の圧迫から解放した出来事を示しています。預言者は、そのようにアッシリアの軍隊の「兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた」と語ります。平和の到来です。過去形で未来の出来事が物語られます。

 単なる戦闘が停止されるだけでなく、預言者イザヤによって根本的なまことの平和の道が告知されたのです。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」という告知です。これこそ、希望の光です。預言者イザヤは、新しい王、新しい統治者が与えられると告げたのです。この方が、全く新しい形で平和をもたらせてくださると語ります。

 「その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」。これこそ、「ひとりのみどりご」に、やがて与えられる名前だ、その働きの内容だ、と語るのです。一つひとつの名前に重大な意味が込められています。

 「驚くべき指導者」とは、従来の武力などによって人々を威圧し抑圧して治める普通の王のような指導者ではありません。全く異質の指導者です。ある翻訳者は「ワンダフル・カウンセラー」と訳しています。低く身をかがめて、弱さを抱えて痛み悩む人たちの心に語りかけ、呻く声に耳を傾ける「カウンセラー」なのです。

 「力ある神」とは、「みどりご」である方が神のような力を持つと言われています。その力をもって、悲惨と苦悩の中であえぐ多くの人を贖い、滅びの中から解放してくれる本当の神なのだと言うことです。まことの平和とは戦いのない状態ではありません。その人の心の中に神との和解、健やかに生きる道が生じるのです。

 「永遠の父」と呼ばれます。「父」のイメージは親しく暖かな交わりです。ルカ福音書15章に物語られている、家出した弟息子を見つけ、かき抱いて迎えた父親の姿です。この「ひとりのみどりご」は、悔い改めて立ち戻る罪人を迎えて暖かく包む父親なのです。

 「平和の君」、これこそ「ひとりのみどりご」の最も大切な称号です。「シャローム」の君です。「シャローム」とは、先ず、人が人として生きる健康であり、健全さであり、安全であるということです。安んじて生きることのできる世界をもたらしてくださいます。また人と人との間に暖かな理解と和解、さらに神と人との間に何の障碍もなく和解し交わりのある状態です。このような「十全なシャローム」をもたらす「君」(プリンス)なのです。

 このような「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」のです。「生まれた」と過去形で記されていますが、イザヤのこの預言の実現には長い時が必要でした。「ひとりのみどりご」、「ひとりの男の子」の誕生は、イエス・キリストの誕生において現実となりました。イエス・キリストの誕生において、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」が到来し、実現したのです。クリスマスの時、このイザヤの言葉に耳を傾けてまいりましょう。