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第193回 女の子孫の勝利

聖書=創世記3章15節

「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」

 

 キリスト教会は、11月の末から「待降節」(アドベント)の中にあります。クリスマス前の四週間を「アドベント」と言い、イエス・キリストの誕生の記念であるクリスマスを待つ準備の時です。心わくわくさせてクリスマスを待つのです。本来であれば、いつもは地味なキリスト教会が最も華やぐ時です。しかし、今はコロナ禍で人数が制限され、楽しい交わりの機会が奪われてしまっています。速やかなコロナ禍の収束を祈りましょう。

 今回は旧約聖書からお話しします。「旧約」と言えば、多くの人は「律法の書」と理解するのではないでしょうか。確かに「旧約」を律法・掟の書と理解することは間違いではありません。しかし、それはユダヤ教的な旧約理解だと言わざるを得ません。実は、旧約も新約も基本的に聖書は罪人の救済の道、救い主キリストを語る書なのです。旧約を「律法・掟の書」と見る見方は実は本筋を外しているのです。

 旧約聖書・創世記の冒頭に、神による天地の創造物語が記されます。これは、決してわたしたちの住む世界の誕生についての自然科学的な記述ではありません。創世記の冒頭に置かれている創造物語は、神によって造られた人間が、どのようにして堕落したのかという罪人である人間の起源を物語るものなのです。目に美しく、食べるに良く、賢くなると判断して、神の言葉・神の戒めから離反して、神から自立し、自分の判断で、木の実を取って食べたのです。その結果が、罪となり堕罪したのです。

 旧約聖書の基本的なメッセージは、この堕罪し罪人となった人類の救済の物語なのです。どのようにして、罪人が救済され、神の元へと回復出来るのかという神の救済の壮大な物語です。ですから、罪を犯し堕罪したばかりのアダムとエバに対して、神は「あなたは、どこにいるのか」(創世記3:9)と探し求めます。聖書が証言する「神」は、罪人を捜し求める神、罪人を救い回復してくださる神なのです。聖書を読む時に、この視座から読んでほしいのです。

 上記の創世記3章15節は、一般に「原始福音」と呼ばれているところです。神は、罪を犯したアダムとエバの責任を問います。罪の赦しは、犯した罪を「水に流す」、神道のお祓いのような安易なものでは決してありません。神は、罪を罪として指摘し、責任を問うのです。その後、神は人を罪に誘った蛇・サタンに対して審きの言葉を語ります。

 その後に、「原始福音」と言われている神による最初の救いの言葉が語られます。「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」。唐突に謎のような言葉が語られます。

 「お前」とは、直前に審きの言葉を語った蛇・サタンと見て良いでしょう。「女」とは、具体的にエバ以外はおりません。罪に陥った人間、エバの子孫たちを指していると言えるでしょう。サタンと罪人である人間の子孫との間に、神は「わたしは敵意を置く」と言います。「敵意」とは戦いの関係と言っていいでしょう。罪人となった人間は、サタンとの霊的な戦い・緊張関係の中に置かれたのです。人は、人を罪へと誘惑するサタンと戦い続けていかねばならないのです。

 しかし、やがて女の子孫はサタンとの戦いに勝利すると物語られているのです。「彼」とは、女の子孫のことです。不思議なことに「彼」は単数です。彼は「お前」であるサタンに決定的に勝利する。「彼はお前の頭を砕き」ます。しかし、女の子孫である「彼」も手傷を負います。「お前は彼のかかとを砕く」。ここに記されていることは、罪を犯した人間に課せられたサタンとの戦いです。罪を犯した人間は、サタンの誘惑と自らの罪と戦い続けねばならないのです。

 しかし、その中で、女の子孫の中から一人の「彼」が立ち現れます。「彼」は、サタンに対して「頭を砕く」、決定的な勝利を得る、と語られているのです。この「彼」がだれであるのか、いつのことであるのかも分かりません。ただ、このような形で、罪人となった女の子孫たちに救済と回復が暗示され、約束されたのです。アダムとエバが罪を犯したそのところで、やがて与えられる救済が語られていると言っていいでしょう。

 年末になると、日本の各地ではベートーベンの「交響曲・第9」が演奏されます。教会では、ヘンデルの「メサイア」が演奏されます。「メサイア」の冒頭「慰めよ、わたしの民を」に続いて、「ひとりのみどり子が、わたしたちのために生まれた」と告げる大きな合唱がなされ、メシア・キリストの受難と復活へと展開し、ハレルヤコーラスをもって閉じられます。この「ひとりのみどり子」こそ、創世記3章15節の語る「女の子孫」である「彼」なのだというのが、キリスト教会の伝統的な理解です。

 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」(イザヤ書9:5)。アドベントの時、あなたも「メサイア」を聴いてみませんか。