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第183回 高齢者の不安と幸い

聖書=Ⅰペトロの手紙5章7節

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。

 

 今月、9月19日は「敬老の日」です。「敬老の日」は数多い「国民の祝日」の中では珍しい祝日です。戦前にはなく、神道や皇室儀礼などと関係なく、戦後の民間活動から始まった祝日です。「多年にわたり、社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という趣旨には何の文句もありません。世界的にもこの時期に敬老、長寿の祝いなどが行われているようです。

 わたしも後期高齢者と言われる年齢になり、この祝いを受ける側になりました。その中で感じることは、長寿の喜びなどではなく、むしろ「長寿の不安」です。敗戦後の混乱の中を生き抜き、長寿を祝われるようになりました。しかし、これからどうなっていくのか先行きが見えません。「何を食べようか、何を着ようか」という衣食住の不安は若い時よりも大きくなっています。年金は引き下げられ、預金は目減りし、物価は高騰し、政治と行政とは狂いだしています。

    高齢になると、このような社会的な衣食住の不安に増して、体が衰え、病に冒されると、どうしても自分の命が、これからどうなるかと思い悩みます。昔、一緒に仕事をした仲間たちも櫛の歯を折るように天に召されて淋しくなっています。仲間たちと一緒に会って食事し語り合うことも出来なくなりました。経済も心配になると共に、肉体もどれくらい持ちこたえられるか、不安だらけです。若い時にも「思い煩い」はありますが、若い時の思い煩いとは意味も重さが違うと言っていいでしょう。

 そのような不安を覚える方々が、今朝の聖書の言葉を読んでいただきたいのです。ペトロ第一の手紙5章7節です。たいへん短い言葉ですが、ここには、人間的な保証ではなく、神の保証が語られているのです。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」。この聖書の言葉によって、どれほど多くの人たちが慰められ、平安を与えられたことでしょう。

 どのような悩みの中でも、不安の中でも、神を見上げる時に平安が与えられます。多くの人たちの不安は、わたしたち人間の世界だけを見ているところから来ています。神を知らない、神を見上げないところでは、人間の世界だけの視野しかありません。視野狭窄に陥っているのです。高齢になって大切なことは神に目を向けることです。これこそ、若く忙しかった時にはなかった高齢者の特権です。「神がおられる」のです。神を見上げるところで、新しい視界が大きく開かれます。高齢者の幸いです。この聖書の言葉には、高齢者の幸いの理由が示されています。

 高齢者の幸いの1つは、宗教に目覚めることです。「メメント・モリ」(死すべき者たるを覚えよ)という自覚です。この視点に立つ時、人生の見方が変わります。人の生涯のすべてを、神が見つめており、神が心配し、心に掛けていて下さることを知るのです。神の摂理の発見です。

 わたしたちがどれほど自らのことを思い煩っても、実際には無力です。先のことが見えないのは人間の常です。また、わたしたちは何が起きても平気だというほどの度胸もありません。のんびりもできません。そのため、わたしたちはああでもない、こうでもないと取り越し苦労をし、ひどい場合にはノイローゼになります。しかし、神はわたしたちの歩みのすべてを見通しておられて、わたしたちのために最善の配慮をしていて下さるのです。このような摂理の神を信じ、神が摂理しておられることを受け入れるところで、神にすべてを委ねる信頼が生まれます。すべての取り越し苦労から解放されて、心に平安を取り戻すのです。

 高齢者の幸いの第2は、「時」の理解が出来ることです。若い時代は、自分に与えられた時が永遠に続くと思っています。終わりの時が来るなどとは余り考えません。しかし、高齢になると、身の弱さを悟り、仲間の死もあり、自分の終わりを自覚せざるを得ません。神が「時」を支配しておられ、自分にも「終わりの時がある」ということを自覚させられます。

 これは、極めて大切なことです。わたしたちは、「時」を支配しておられる神を知り、その神の前に立つ時があることを知るのです。神は、わたしたちの「終わり」をも見通しておられます。一人ひとりの最もよい「時」を神はご存知です。わたしたちは、神が召されることがあることを自覚し、神に会う備えをして生きるのです。その時、その時の必要をご存じで、与えてくださる神です。「時満ちて」神の御子をお遣わしになられた神は、最もふさわしい時に最善をなして下さいます。

 最後に、イザヤ書46章3-4節をお読みします。「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」。神を信じるとは、このように、わたしたちのために配慮していて下さる生ける神を信じることなのです。あなたも、この生ける神を信じてみませんか。高齢者の幸いは、ここにあります。