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第167回 神の霊が満ち満ちて

聖書=使徒言行録2章14-21節

すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

 

 今年の聖霊降臨日・ペンテコステは6月5日の日曜日です。復活したイエスは、昇天を前に弟子たちに聖霊が与えられることを約束し、弟子たちは聖霊の降臨を祈りつつ待ちました。この祈りの群れの中には使徒たちだけでなくイエスの家族も多くの婦人たちも加わっていました。

 使徒言行録2章に「五旬祭の日が来て」と記されます。過越しから数えて50日目です。この時、イエスの弟子たちも神殿の一隅に集まっていました。この弟子たちに「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」のです。これが「聖霊降臨」の出来事です。

 聖霊に満たされた弟子たちは「“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだし」た。当時の世界中の言葉でキリストの福音を力強く語る教会が成立したのです。新しい神の民としてのキリスト教会がここに誕生しました。その時に語られたペトロの説教が記されています。キリスト教会最初の説教で、3つのポイントがあります。1つは「あなたがたがイエスを十字架につけて殺してしまった」という事実の指摘です。2つは「しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました」という勝利の宣言です。3つは「イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました」と、聖霊の注ぎについての解説です。

  この説教の中で、ペトロは旧約のヨエルの預言を引用して、新しいキリスト教会の基本的な姿を描き出しています。新約の教会の基本設計、長期的ビジョンで「革命的」と言えるような姿です。「神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する」と語りました。

 イエスの到来と聖霊降臨によって新しい時代が来たのです。新しい時代の在り方は、聖霊の臨在とその働きです。旧約時代には、聖霊は王、祭司、預言者などの特別な人に限定的に与えられました。しかし、ペンテコステ以後は、すべての人に与えられます。聖霊は信仰を与える霊として、御言葉の宣教と共に働き、信仰を起こし、救いを得させます。特別な人だけでなく、人種、国籍に関係なく、老若男女、身分・階層にも性別にも関係なく、聖霊は与えられます。

 「わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する」。聖霊が注がれるところで、神の言葉を語り出す人たちが起こされます。キリスト教会の最も大切な使命は「キリストの証人」となることです。神の言葉、福音を語ることこそ、教会の最も大事な使命です。そのため、神はすべての信徒にそれぞれふさわしい聖霊の賜物を与えて、福音を語る教会を形成してくださるのです。聖霊の賜物には男女も上下も尊卑もありません。聖霊の促しによって、教師だけでなく、信徒も一人ひとり自由に語り出すのです。ここに、旧約時代とは異なるキリストの教会の自由な姿があります。これが、ペトロがヨエルの預言を引用して語った新約の教会の在り方です。

 ペンテコステの時に降った聖霊は、今も継続的にわたしたちに注がれ続けています。ダムに満々と湛えられた水が堰を切られたならば、一気に溢れ出して大きな川となり、流れは分かれます。その川はいくつも集まって海に至ります。ペンテコステの時に始まった聖霊の注ぎは、今も変わらずに多くの人に注がれて、各地に満ち満ちているのです。

 聖霊は、御言葉が伝えられるところ、どこにでも働いておられます。「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで」満ち満ちて働いておられます。世界に満ちている聖霊の働きを、わたしたちもこの目で見ることが出来ます。皆さまが道を歩いていて目にとまるキリスト教の教会堂の姿があります。そこに聖霊の働きがあるのです。皆さまの街の中にも多くの教会堂があるでしょう。他の教派の教会の会堂を見てライバル心を燃やす必要はありません。「ああ、ここにも聖霊が働いている」と受け止めてください。

 キリスト教会の会堂が建つ背後には豊かな聖霊の働きがあるのです。1つの会堂が建つには、信徒の熱い祈りがあり、熱心な伝道があり、尊い献げものがあって会堂は建つのです。聖霊が働いて伝道者が起こされ、説教がなされ、信徒が生み出され、祈りが積まれ、献げものがなされて会堂が存在しているのです。聖霊の働きの稔りを、そこに見るのです。キリスト教の会堂がある背後に、聖霊の働き、み言葉の宣べ伝えと信徒の祈りを見ることが出来ます。世界の中に働く聖霊の活動を確認していただきたい。そう願っています。