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第138回 他の町に逃げなさい

聖書=マタイ福音書10章22-23節

「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。」

 

  ここに記されているのは、主イエスが弟子たちに語った「逃亡の勧め」です。主イエスは、「わたしはあなたがたを遣わす」と言って、弟子たちを「伝道者」として派遣されました。その派遣の言葉の中で「逃亡の勧め」が語られているのです。キリスト者は伝道者として派遣されています。しかし、派遣先であるこの世界はキリスト者を決して喜んで受け入れる世界ではありません。主イエスが経験したのと同じような迫害が待ち構えています。捕らえられ、権力者の前に引き出され、棄教が迫られ、殺されることが起こります。迫害が極まったようなときに、どうするのか。今から、しっかり考えておかねばならない大事です。

 戦国末期に、フランシスコ・ザビエルたちによってローマ・カトリックの信仰が伝えられ、一時は大きく力を伸ばしました。しかし、やがて豊臣政権、徳川幕府の成立によって、キリシタンは根絶やしにされます。彼らはかろうじて他の宗教を隠れ蓑として潜伏して生き延びたのです。その結果、もはやキリスト教とは言えないような信仰形態となりました。例外的に一部の人に政権側からの「海外追放」がありましたが、多くのキリシタンたちは逃亡しなかったようです。どうも、日本には信仰の自由を求めての海外逃亡の歴史はないようです。

 しかし、主イエスは、他の宗教を隠れ蓑にして生きるのではなく、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と言われて、信仰者として忍耐して信仰を貫いて生きることを求めます。信仰の節操を守ることが大事なのです。信仰の節を全うしつつ生きる道が「逃亡」です。そのため、主イエスは「逃げよ」と言われたのです。「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」。これが、主イエスが迫害に出会う信徒に語られた大切な教えなのです。日本のキリスト教会では、不思議なことに主イエスが明確に語られている「逃亡の勧め」について、何も語らず、何も教えないのです。これは「難民・避難民」になることと言っていいでしょう。

 聖書では「逃亡」は珍しいことではありません。悪しきこととも、異常なこととも見られていません。旧約では、逃亡、避難は数多くあります。兄の報復を恐れたヤコブはハランの地に逃亡します。食糧危機を避けるためイエスエルの民はヨセフに導かれてエジプトに寄留します。イスラエルの民はモーセに導かれて集団でエジプトを脱出します。後の時代には、生活に困窮したユダヤ人は当時の世界中に散り行きました。離散の民です。使徒の時代では、エルサレムに迫害が起こると多くの人はアンティオキアに逃亡し、異邦人教会を造ります。紀元70年のエルサレム神殿陥落の前に、キリスト者の群れは大挙してエルサレムから逃亡し身を守っています。

 日本人のDNAの中には「逃げる」ことは、卑怯なこと、異常のこと、悪しきことというような意識が刷り込まれているのではないでしょうか。先の大戦の時にも、キリスト教会は潜伏キリシタンと同様の信仰的妥協に追い込まれました。皇居遙拝をし、君が代を歌ってから礼拝をはじめ、説教では真理を説き得ず、記紀神話に基づく戦意高揚の説教をし、戦闘機献納の献金をして、教会としての体裁だけを守った。キリスト教会としての節操を失っていたのです。

 なぜ、戦前、戦中の日本の教会とキリスト者たちは、信仰の節操を守るために逃げることを選ばなかったのでしょうか。何故、集団難民となる道を選択しなかったのでしょうか。単に、交通手段がなかったと言うだけのことではありません。ナチス・ドイツから逃れた人たちがいます。杉原千畝の「いのちのビザ」によってシベリアから日本経由でアメリカに逃れたポーランド系ユダヤ人たちがいたのです。途はいくらでもあったでしょう。しかし、日本のキリスト教会が集団難民の道を検討したことは、戦後の文献調査によってもまったく見当たりません。

 世界の中では信仰のゆえに難民となることを選択した人たちが多くいるのです。西ローマ帝国が蛮族の流入により崩壊したとき、多くのキリスト教徒であるローマ人はローマを離れ、地中海世界に逃げて新しい地で教会を建て上げていきました。宗教改革期にはヨーロッパ諸国は迫害を逃れ、自分の信じる信仰の自由の地を求めて大きく人が移動しました。最も典型となるのは、イギリスからピューリタンたちが新大陸・アメリカへと移住したことでした。故国での迫害を逃れて信教の自由の国を新大陸に打ち建てたのです。

 「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」。宗教的な迫害を避けるために、集団で国境を越えて「逃げる」ことは、決して卑怯なことではありませんし、珍しいことでもありません。信仰者として信仰の節操を守るために逃亡するときもあるのです。特にプロテスタントは、歴史的にそうしてきたのです。このことを、今から、平時において、理解し、具体的に議論しておくことが必要です。今はもう、その時期にさしかかっていると言えるでしょう。