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第135回 悪霊を追放するキリスト

聖書=マタイ福音書9章32-34節

二人が出て行くと、悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。

 

 二人の盲人の開眼物語に続いて記されている主イエスのなさった悪霊追放の出来事です。今日、多くの人の思いの中には「悪霊」はあまり登場しないのではないでしょうか。合理的、科学的という言葉で「悪霊」の存在を切り捨てています。キリスト教の世界でも「悪霊」の存在について関心を持ちません。しかし、わたしは「悪霊」について軽視してはならないと思っています。

 自然の世界も荒れ狂います。巨大な台風や大きな地震などの自然の災害もたいへん恐ろしい結果をもたらします。怒り狂った人間による突発的な殺害などの災害もたくさん出てきました。人の荒れ狂うすさまじさの背後に、悪霊の働きを見なければならないと思っています。悪霊の働きは、ものごとを建て上げていくのではなく、破壊する力です。人の生活を破壊し、健康を破壊し、家庭と社会を破壊してしまいます。戦争も悪霊の働きの結果です。国ごと、民族ごと、悪霊に取り込まれることもあるのです。

 ここに、「悪霊に取りつかれて口のきけない人」が登場します。「取りつかれて」という言葉はたいへん面白い言葉です。ロシアの作家ドストエフスキーに「悪霊」という著作があります。その表題の英語訳は、「The possessed」(所有された者、取りつかれた者)という言葉が用いられていました。「悪霊」とは、何か特別なおどろおどろしい存在ではなく、人が何かに取り憑かれている状態、心が何かに占領されている状態を指して「悪霊」と語っているのです。

 「悪霊に取りつかれて口のきけない人」とは、その心が何かに占領されてしまって、人としての「通じる言葉」を発することの出来ない状態にある人ということです。そのために、交わりが出来ない状態にあるのです。人間は「人の間」と書きます。人と人との交わり、人との関係を持つ、コミュニケーションを持つところに存在の意味があります。我が国の最近の総理大臣を務めたような人たちであっても、その心が何かに占領されているようです。かたくなに答弁を拒み、説明責任を果たすことなく、相手と国民に通じる言葉を発することの出来ない人たちは、「取りつかれた者」と言えるのではないでしょうか。悪霊は古代だけでなく、今日に生きる人たちにも取り憑いているのです。

 「悪霊」は自我に働く力です。我執、我欲です。自我は「自己」とは違います。自我は自分の欲望、欲求と関わります。心が欲望や欲求に取り憑かれ、それらに占領されてしまうと、広い客観的・総合的な見方が出来なくなります。固執し、心を閉じ込め、孤立化します。今日ではその対処のために、すぐに医薬が用いられますが、根本的な解決とはなりません。やはりキリストのところに来て癒していただく以外ないのです。

 主イエスは、この「悪霊に取りつかれて口のきけない人」の「悪霊を追い出され」ました。どのようにして追い出したのかは記されていません。他の癒やしの出来事と同じように「御言葉」、神の言葉をお語りになられたのでしょう。魔術的なことをなさったのではなく、神の言葉が語られるところで、神の恵みの力が働くのです。

 この癒やしの出来事は、「ものを言う」という言葉に関わる癒やしです。主イエスの恵みの御言葉が語られて、「悪霊が追い出され」、「口の利けなかった人がものを言い始めた」のです。この個所の主題は、人の言葉によるコミュニケーションの回復の物語なのです。主イエスの前に連れてこられた「口の利けない人」とは、恐らく生まれつき「物言えぬ人」ではなかったようです。何かの機会に、何かの原因で、我執・我欲にとらわれて、「ものを言う」という隣人に対してコミュニケーションすることの出来る言葉を失った人なのです。深く自我に固執・執着し、隣人の存在を見失い、隣人に通じる言葉を失っていた。ですから、悪霊が追い出されるやいなや、言葉を習得、学習することなく、周囲の人たちが驚嘆するほど自由に「ものを言い始めた」のです。

 主イエスは、二人の盲人の目を開いて広い世界を見せてくださいました。キリストを仰ぎ見る目を開いてくださいました。また、ここでは、内に閉じこもり、自我に固執し、言葉を失っていた人に言葉を回復してやり、隣人と交わりをすることのできる道を開いてくださいました。キリストのもとに来るならば、豊かに隣人と交わり、喜んで神と隣人と共に生きる道を開いてくださいます。開かれた自由な世界へと導いてくださいます。あなたも、このキリストのもとに身を寄せてみませんか。