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第122回 あなたの罪は赦された

聖書=マタイ福音書18章21-27節

そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。

 

 イエスは、弟子たちに「主の祈り」という祈りを教えました。その祈りの中に「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」という祈りの言葉があります。この聖書個所は、この祈りについての最も良い解説を与えてくれるところです。人を赦すことが、どんなに難しいことか。わたしたちは、いつも経験していることです。

 「そのとき」とは、イエスが罪を犯した兄弟に対する取扱いを教えていた「そのとき」です。ペテロは得意気にイエスに「兄弟がわたしに対して罪を犯しなら、……」と尋ねました。当時ユダヤ教では3度まで赦せと教えていたようです。「7回までですか」という問いは、イエスのお誉めの言葉を期待していたと思われます。けれど、イエスは「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」と言われました。これは無限に赦しなさいという意味です。

 この赦しの課題について、イエスは例えで話されました。見落としてならない言葉は、「わたしに対して罪を犯したなら」という言葉です。イエスは、ここで客観的な法律論争をしているのではありません。わたしたちが、家族関係の中で、友人や知人との中で体験していることに対してなのです。わたしたちは他人の問題については冷静に「赦し」を語ることができます。それが自分の問題になると「これは別だ」となる。夫や妻が、自分の子らが、友人が「このわたしに対して罪を犯したなら」と受け止めないと、実りのない議論になってしまいます。

 「ある王が……」と語り出された。1万タラントンの借金をしていた家来が、主人である王の「憐れみ」によって完全に赦されたという物語です。主人である王の完全な赦しに、キリスト教信仰の根本が示されております。「1万タラントン」という金額です。これは普通の人では返済不可能な金額を意味します。今日の日本円に換算するのは難しいですが、あえて言えば何兆円という金額です。自分自身を奴隷に売り、妻子や家財を全部売っても支払いきれない金額、どんなにしても償いきれない金額が「1万タラントン」の数字です。

 この返済不能の借金をしている家来とは、「あなたなのだ」と、イエスは言っているのです。主人である王とは、言うまでもなく「主なる神」です。神の前に、わたしたち人間は、生涯かけても支払いきれない多くの負債を負っている。神の前から逃亡し、罪を積み重ねて、滅びにひた走っている罪人の姿なのです。わたしたちは、自分が全く良い人間だとは思わないが、しかし、自分の罪について軽く考えている。「まあ、幾らかの悪事はしているが、そんなに悪くもない」と。ところが、イエスは「そうではない、ペテロよ、あなたの罪の負債は1万タラントンなのだ」と示しているのです。

 わたしたちは、知って犯した罪もあります。知らずに犯している罪もあります。また「原罪」と言われる人間の根源に関わる罪もあります。わたしたちは自分の本当の罪の深ささえも十分には理解できないのです。1万タラントンとは、この罪の深さと重さとを判らせてくれるための数字なのです。わたしたちの罪は、わたしたち人間によっては償いきれないのです。罪なき神のみ子が十字架で死んで下さるという、ありえないことが起こった。ここに人間の罪の深さ、重さがあるのです。神のみ子が代わって支払う以外に支払うことができないほどのものであったということです。

 しかし、ここで示されている大事なことは、罪の重さではなく、その重い罪が完全に赦された。帳消しになったということです。この赦しは、主人が一方的に家来を「憐れに思った」ことによるのです。神の自由な好意、神の愛と恵みです。家来の側には赦しの根拠はありません。哀願する家来を憐れに思う主人の愛です。これによって、1万タラントンの膨大な借金が残らず全部免除されたという物語です。罪の赦しとは、このようなものだ、とイエスは語られたのです。

 「あなたの罪は赦された」と、主なる神が言われるとき、何の留保もなしに、わたしの全ての罪が完全に赦されたのです。過去の罪も現在の罪も将来の罪も、自分が知っている罪も、知らずに犯した罪も、全ての罪が残らず赦された。神のみ子であるイエス・キリストが十字架において完全な償いをしてくださったからです。罪なき神のみ子が、罪人の身代わりとなり、罪の一切の支払いをして下さった。わたしたちの全ての罪は償われています。その故に、キリストを信じる者には「あなたの罪は赦された」と、はっきりと宣言されているのです。