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第116回 聖霊の働きと力

聖書=ヨハネ福音書14章15-18節

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」

 

 今年は5月23日の日曜日が「ペンテコステ」(聖霊降臨)の記念日でした。今回は「聖霊」についてお話しします。「聖霊」なる神についてお話しすることは、なかなか難しいのです。「わたしは聖霊の洗礼を受けて変えられた。なぜ、教会は使徒言行録2章の聖霊降臨を求めないのか」と激しく語る方に詰問されたことがあります。わたしは「三位一体の第三位格である聖霊」を固く信じているのですが、ペンテコステ的な出来事を追い求めねば「生ぬるい信徒」と思われているのでしょう。聖霊についてのしっかりした理解を持っていただきたいと願っています。

 教会の公同信条の1つ「ニケア信条」では、聖霊について、このように告白しています。「また、我らは主にしていのちを与える聖霊を信ず。聖霊は、御父(と御子と)より出て、御父と御子と共に礼拝せられ、あがめられ、預言者を通して語られる。……」。

 先ず、聖霊は御父と御子と同じ神としての本質を持つ第3位格の神であるということです。そして、聖霊は、永遠の初めより父なる神より出る神の霊であり、神の御子キリストの霊でもあるということです。この聖霊の神としての本質的な在り方をしっかり受け止めることが大切です。

 次に、聖霊は「預言者を通して語られる」お方であることです。神の啓示の言葉に深く関わるお方です。ここで語られている「預言者」とは、口頭で語った旧約預言者たちだけでなく、なによりも「旧約・新約の聖書の著者たち」と言っていいでしょう。聖霊の最も大きな働きは聖書の形成と言っていいでしょう。預言者や使徒たち、聖書記者たち、彼らの背後にいて、彼らの中にいて、書くべき事柄を教え導き、誤りから守り、神の言葉としての聖書を産み出したのです。この全体の聖霊の働きを「霊感」と言います。

 「預言者を通して語る」聖霊は、預言者の言葉「聖書」のメッセージを聞く者の心にも働いてくださいます。聖霊は、人の心の中に内住して信仰を起こしてくださいます。罪人である人間は自分の力で神の言葉を聞いて悟る力を失っています。そのため、心を生き返らせてくださいます。これによって、人は神の言葉を聞き、受け止め、悔い改め、信仰への道を歩み始めるのです。使徒パウロは「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えない」(Ⅰコリント書12:3)と記しています。預言者を通して語る聖霊の大きな働きは、人の心に働いて「イエスを主・キリスト」と告白させる働きなのです。

 聖霊は、キリストを信じる者を産み出す霊と言っていいでしょう。それは同時に、教会を形成する霊なのです。一人ひとりの信徒を堅くキリストに結び、また信徒相互をキリストを信じる神の家族としての共同体として固く結ぶのです。聖霊は目に見えません。しかし、信仰者を産み出し、教会を産み出してくださいます。この新約の教会の出発点が、使徒言行録2章に記されているペンテコステの出来事でした。聖霊の圧倒的な注ぎがなされて、キリストの教会が誕生したのです。しかし、これは1回的、歴史的な出来事です。繰り返しはありません。

 今日、注意してみていると、至るところに「教会堂」を見ることが出来ます。教会堂のあるところには「二人または三人が、わたしの名(キリストの名)によって集まる」礼拝が守られています。それが「教会」、神を信じる神の民の群れなのです。聖霊は、この礼拝の場に充満して、神の言葉を語らせ、神の子らを産み出し、赦しを与え、永遠のいのちを与えているのです。聖霊は、今も生きて働いておられます。聖霊は今も、「預言者を通して語りたもう」のです。教会があり、礼拝がなされ、福音の言葉が語られるところには、聖霊が豊かに臨在し,働いているのです。この事実を見逃してはなりません。

 聖霊は、わたしたちを決して「みなしご」「孤児」とはしません。聖霊は「あなたがたと共におり、あなたがたの内にいる」お方です。わたしたちの中に内住する形で「共にいる」のです。この内住するお方が、わたしたち一人ひとりをキリストに結びます。キリストとの結合です。この結合は人間的な結合関係とは違います。神の愛の選びに基づく結合です。決して破れたり、引き離されることはありません。人間的にはいろいろな事情で、たった一人で淋しく召されることが起こっても、決して一人ではありません。聖霊が共にいて守り、キリストの御許へと導いてくださいます。キリスト信徒にとって孤独死はあり得ません。

 聖霊は「帯」に例えられています。キリストと信徒とを結び、さらに信徒と信徒を結ぶ帯です。教会では相互に「兄弟、姉妹」と言います。新しい神の家族です。この神の家族の食卓が「聖餐の交わり」です。聖餐にあずかることを通して、「わたしは決して一人ではない」と、受け止めるのです。キリストに結ばれ、兄弟姉妹たちと結ばれて生きるのです。皆さまも、教会に連なって神の家族としての歩みを始めてみませんか。それが聖霊に生かされている歩みなのです。