· 

第115回 言葉の持つ力

聖書=ヤコブの手紙3章2-5節

わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を意のままに動かすことができます。また、船を御覧なさい。あのように大きくて、強風に吹きまくられている船も、舵取りは、ごく小さい舵で意のままに操ります。同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。

 

    今回は、新約聖書ヤコブ書から「ことば」についてお話しします。最近は、社会全体がギスギスして人を罵る言葉が飛び交っています。汚い差別の言葉、外国から日本に働きに来ている人たちに対する蔑視の言葉が飛び交うようなことがあります。

 最近の新型コロナウィルス感染禍で、外に出歩くことが出来にくくなっています。家の中で、夫と妻、親と子が毎日、顔を突き合わせて生活する。いらだちがつのり、罵り合う状況も生まれています。仕事や職がなくなると、私たちの感情もいらいらしてくるのではないでしょうか。親しい仲でもいさかいが起きてしまうこともあります。

 言葉が荒くなり、きつい言葉が飛び交い、心を傷つける刃のような言葉が頻繁に飛び出してしまいます。私たちは、言葉に囲まれて、言葉を使って生活しています。その言葉の持つ力に驚かされるときもあります。言葉についての、ある1つの詩を紹介したいと思います。

   「  一つの言葉でけんかして、一つの言葉で仲直り。

      一つの言葉でおじぎして、一つの言葉で泣かされた。

      一つの言葉はそれぞれに、一つの心をもっている。  」

 

 この詩の作者がだれなのか、私はまったく知りません。ある書物に記されていましたが、実に見事に言葉の持つ力を言い表しています。一つの言葉で、親しい関係を破ることも出来る。また1つの謝罪の言葉で再び関係を取り結ぶこともできる。言葉は、時に人を傷つけ、悲しませる力を持ちます。しかし、また言葉によって、人は慰められ、励まされるのです。言葉は、意志や思いを伝えるだけでなく、一つ一つの言葉の中に、それぞれの深い心が宿っているのだと言っているのです。どのような心・気持ちを込めるかによって、同じ言葉が語られても、時には意味がまったく違って受け取られることもあります。

 新約聖書のヤコブ書には、「言葉」の働き、「言葉」の効用と危険性について記されています。ヤコブ書の著者は、伝統的に「主イエスの弟ヤコブ」となっていますが、正確には分かりません。しかし、主イエスの弟という伝統的な著者理解には肯定できる面を持っています。それはヤコブ書の著者が、イエスと同じように「言葉」について極めて繊細な感覚を持っているからです。

  「わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です」と記します。言葉の問題は、決して他人事ではありません。「私」を含む「私たち」すべての人に関わり、すべての人が「言葉の過ち」を度々犯しているのではないでしょうか。言葉で過ちを犯さない「完全な人」などいないのだと言っているのです。私たちの「言葉」は小さな火のようなものだと言います。「どんなに小さな火でも、大きい森を燃やしてしまう」ことがある危険なものです。

 今日はインターネットの時代です。SNSで何気なくつぶやいた言葉が一瞬で拡散してしまいます。憎しみの言葉、軽率な言葉、冷やかしの言葉、軽蔑の言葉が拡散し、多くの人の心を傷つけ、人を刺し、重大な結果をもたらします。このため、ヤコブ書の著者は、今日の私たち一人ひとりに、いろいろなところで、いろいろな場面で、いろいろなツールで語られ、発出される自分の言葉を、よく注意するようにと勧めているのです。

 言葉において、私たちは失敗します。罪を犯してしまうのです。と言って、言葉を使わないでは生活できません。意思伝達も出来ません。交わりも出来ない。人にとって言葉は不可欠です。そのため、しっかり言葉を制御するしかありません。馬を御するように、言葉も制御しなければならないのです。船を操るように言葉の舵取りをしなければならないのです。口から出る言葉に対して「責任」が生じるのです。

 そのため、ヤコブは、人が言葉を正しく用いて、人を生かすように用いるためには、いつも神の語られた「神の言葉」を心の中に受け入れることが必要だと語り勧めているのです。ヤコブは「真理の言葉」と言います。それは、真理である神の御言葉には、私たちの魂を救う力があるからです。「あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなた方の魂を救うことができる」と、ヤコブ書1章21節に記されています。この真理の言葉、神の御言葉を心に蓄えて生活していきましょう。