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第98回 良い羊飼いイエス

聖書=ヨハネ福音書10章14-15節

わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。

 

 今回は上記の聖書個所からお話ししましょう。イエス・キリストの語られた言葉です。イスラエルで「羊飼い」とは、牧者、民の指導者、王を意味しました。ところが、イエスの時代、イスラエルの指導者とされた人たちは「良い羊飼い」ではなかった。権力と軍事力をもって支配したローマ総督たち、ローマに取り入って甘い汁を吸っていたヘロデ王家と祭司階級、民衆の味方のように見せても権力に取り入っていた律法学者たち。いずれの人たちも、困窮し、生きる術を見失っていた民衆の「良い羊飼い」ではありませんでした。

 このような悪しき指導者・悪徳羊飼いについて、紀元前6世紀の預言者エゼキエルは「主なる神は言われる。まことに、わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている」(エゼキエル書4:8)と激しく弾劾したのです。このエゼキエルの弾劾の言葉は、今日の日本の国の指導者たちへのメッセージとして十分に意味を持っています。

 そして、エゼキエルは預言して、やがて神ご自身が立ち上がり、神ご自身が牧者となってくださると語ったのです。「わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う」(エゼキエル書34:15-16)。悪政とコロナ禍の下で呻吟する日本の人たちへの慰めの言葉です。

 エゼキエルのこの預言の言葉を受けて、イエスはご自身を指して「わたしは良い羊飼いである」と言われたのです。暗黒の時代の中で、神ご自身が人となって羊飼いとなり、羊に道を示し、食物を与え、保護を与えてくださいます。わたしたちは、この良い羊飼いの元に、今日のわたしたちも身を寄せることが出来るのです。

 主イエスは、まず「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」と言われました。羊の状況を知る。これこそ、良い羊飼いの第1の条件です。「知る」とは、分かる、気づく、悟る、認める、と訳されるヨハネ福音書特有の言葉です。知的な認識だけでなく、人格的な深い交わりの中で相手の切実な思い、苦しみ、痛み、悩みなどを思いやることの出来る気づき、悟りと言っていいでしょう。主イエスは、今も生きるために呻吟しているわたしたちの苦悩を分かってくださいます。

 人はだれでも、自分の気持ちを分かってもらいたいと思います。ところが、なかなか気持ちが分かってもらえないことが多いのです。最も分かり合えるはずの親子・夫婦・兄弟であっても分かりあうことが難しいのです。人間関係の中で、人から理解してもらえないことほど悲しいことはありません。自分の家族にさえも理解してもらえないと悲しくなります。

 けれども、主イエスは、わたしたちの心の奥深い思いを、いつも、最もよく理解し、分かってくださいます。毎日の生活の苦労も分かってくださいます。それは、羊飼いであるお方が、わたしたちの傍らに、いやわたしたちの内にいてくださるからです。共存、いや内在していてくださるからです。キリストがわたしたちに内在していてくださるから「羊もわたしを知っている」と言うことが真実になるのです。

 わたしたちが羊飼いである方を「知る」ことも、「わたしが父を知っているのと同じである」と言われています。驚くべきことです。父なる神と御子との交わりにおいての「知」と同じようだと言われたのです。人格的に深く一つに結ばれているということの指摘です。そのように、羊飼いであるキリストはわたしたちの内実の思い、痛み、悲痛を受け止めていてくださるのです。

 そして、主イエスは最後に「わたしは羊のために命を捨てる」と言われました。これこそ、良い牧者の最もすばらしい贈り物です。神の羊である多くの人たちの傷と痛みを担って、わたしたちを生かすために、十字架で命を捨ててくださったのです。イエスご自身、ご自分を贖いの供え物となってくださいました。これによって、神との和解、永遠の命が与えられました。どのような時にも揺るがない平安の基盤です。

 今や、わたしたちはこの恵みの出来事を知っています。この恵みの出来事によって、わたしたちはキリストの者となりました。これこそ、「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」と言われたことの内実なのです。イエス・キリストは、わたしたちのありのままをすべて知っていてくださり、その上で、わたしたちを愛し、ご自身の命を捧げくださったのです。このお方が、いつも、あなたと共にいてくださいます。このことを、しっかり受け止めてまいりましょう。