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第78回 神の国はどこに

聖書=ルカ福音書17章20-21節

 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

 

 今回は、上記のルカ福音書17章20-21節、この個所からお話しします。「神の国はいつ来るのか」。この問いは不真面目なものではありません。苦難に遭った人は一度は考えたことのある問いではないでしょうか。ヨハネ黙示録6章に、殉教した人たちの魂が天の祭壇の下から「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか」と叫んでいます。これも神の国はいつ来るのかという叫びです。

 いつまで新型コロナウィルスの感染の恐怖にさらされるのか、いつまで悪徳や不義が支配するのか、いつまで苦しみに耐えねばならないのか。このような叫びが「神の国はいつ来るのか」という問いの中に含まれているのです。

 この問いが、ファリサイ派の人から出たことを見逃してなりません。ユダヤ教ファリサイ派は、神の国の回復を真剣に求めて生きた人たちです。その基本的な考え方が主イエスと大きく違いました。ファリサイ派は、自分たちは本来神の民であるが、現実には異民族である強大なローマ帝国の支配のもとに置かれている。このローマ帝国の支配からの解放が「神の国」の到来として考えていました。ファリサイ派が待ち望んでいたのは、ユダヤの地を異邦人支配から解放してダビデ王国を再建するという地上の王国を考えていたのです。これが彼らの考える「神の国」です。ですから、主イエスは「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない」と言われたのです。神の国は決して地上にダビデ王国を再建することではありません。ダビデ王国も地上の国の1つであり、決して神の国ではありません。

 主イエスは、それに対して「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」と言われました。主イエスは「神の国は、ある」と言われました。もう存在している。これがファリサイ派に対する明確な答えです。神の国は将来の問題ではない。すでに「あるのだ」と言われました。問題は、どこにあるかです。主イエスは「あなたがたの間に」と言われました。

 「あなたがたの間に」とは、何を意味しているのでしょう。昔から有力な1つの理解の仕方があります。「あなたがたの心の中にある」という理解です。神の国は、神を信じ神の言葉に従って生きる人の心の中にあるという理解です。わたしはこの理解は決して捨てられないと考えています。神の国とは、神の支配のことです。具体的には、神の御言葉の支配です。神の御言葉は一人ひとりの心に働きかけて、心を造り変え、新しい人を生み出します。一人の人が悔い改め、神を信じ従うところに確かに神の支配があるのです。御言葉が人の心の中に働くところで、神は大きな恵みの働きをしてくださいます。

 新共同訳は「あなたがたの間にある」と訳しました。神の国は「あなたがたの間に」、「あなたがたのまっただ中に」、現実に実現している、という理解です。洗礼者ヨハネの弟子が「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と尋ねた時に、主イエスは「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(ルカ福音書7:22-23)と答えました。

 これが神の国存在ののしるしです。神の国は決して抽象的なものではありません。イエス・キリストによる恵みの支配です。ここに神の国が存在しているのです。主イエスは恵みの支配をもたらすために、十字架で死なれ、よみがえられました。すべての人を罪と死の滅びの中から贖いだしてくださる恵みの支配です。この恵みの支配は信仰によって分かるものです。

 「神の支配はあなたがたの間にある」。このように言うことも出来ます。人がキリストを信じて洗礼を受けます。その時、罪と滅びの中からキリストの恵みの支配の中に移されたのです。キリストを信じた者たちが二人、三人、キリストの名によって集まるところに「わたしも共にいる」と、主イエスはお約束くださいました。礼拝の中においてキリストご自身が共におられて恵みの支配をお示しくださいます。主イエスご自身が生きて臨在し、ご支配くださるのです。

 ある聖書の学者は、「あなたがたの間に」という言葉は「あなたがたの手が届くところに」あるのだと指摘しています。「神の国は、あなたがたが手を伸ばせば、手の届く範囲にある」。神の国はもう来ているのです。主イエスは、人々が手を伸ばせば神の国の祝福を自分のものとすることが出来るようにしてくださいました。主イエスは、十字架において完全な罪の赦しと神との交わりという神の国の祝福を差し出しておられます。神の国はここにあるのです。あなたが、信仰によって手を差し伸ばせば与えられるものとして、手の届くところにある。主イエスを信じて、神の国に生きる者となってください。