第73回 コロナ禍の彼方に

聖書=ルカ福音書13章18-21節

そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」また言われた。「神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

 

 わたしたちは新型コロナウィルス感染禍の真っ只中にいます。人の心がささくれ立ち、うつになる人も出てきています。企業や商店も大幅な減収で撤退や廃業に追い込まれています。教会も例外ではありません。キリスト教会は本来、「3密」の中で伝道し、教会の営みをしてきました。病人に対してのソーシャルディスタンスも乗り越え、病むところに手を置いて祈り、握手し、肩を抱き合い、ハグし、膝と膝を突き合わすようにして親しく語り、共に食事し、力づけ、励まし合って生きてきたのが教会の交わり・エクレシアです。主イエスのしてきた伝道の在り方を継承しているのです。

 この濃密なまでの教会の交わりが今、崩壊しつつあります。集うことなきネット配信の礼拝、パラパラと距離をとり、拡散した少人数の集会、マスク越しの会話、集会への呼びかけのないメッセージ。「教会(集まるところの意)に、集まるな」という皮肉な呼びかけ。当然、あえて集う人たちは減少します。集会への呼びかけをしないのですから、新しい人も来ません。キリスト教会最大の危機です。しかも、教会側に危機の意識がないに等しい。教会に未来はあるのでしょうか。コロナ禍が収束した後、教会はどのような形になっているでしょうか。政府の言う「新しい生活様式」になってしまっているのでしょうか。教会のいのちに生きるべき時です。

 主イエスの恵みの御業に始まった神の支配は、教会の歴史に引き継がれています。主イエスの体は天に挙げられていますが、キリストの御霊は今ここに臨在しています。神の言葉が語られ、信仰によって神の恵みが受け止められ、いやされ、平安と喜びをいただき、主を賛美します。主の恵みの御業はここに続けられているのです。恵みを共に喜び、共に祈りを捧げ、神を礼拝する信徒の群れ、ここに神の国があるのです。教会の礼拝は神の国の姿、その現れです。

 神の国の働きである教会には希望があります。小さな群れであった弟子たちを支え励ましたのが、上記の主イエスのお言葉です。主イエスは神の恵みの支配、神の国はこのようになると、約束してくださいました。主イエスは2つの例えを語られています。1つはからし種の例え、2つはパン種の例えです。例えは2つですが語りたいことは唯1つ、「神の国は成長する。予想も出来ないほどの豊かな祝福と成長をもって完成に至るのだ」という希望の約束です。

 主イエスは「神の国はからし種に似ている」と言われました。神の国、その中心である教会がからし種に例えられます。種は砂粒よりも小さい。やっと目に見える程度の小さな種が大きな灌木になるとは予想できない。地に蒔かれたら見えなくなる。しかし、しだいに成長し、終わりには、主イエスが再臨される時には、目を見張るほどに大きくなっているということです。主イエスはこう言われているのです。このからし種の成長を見て心を落ち着けなさい、と。

 主イエスは言われます。「神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる」。パン種とはイースト菌のことです。三サトンとは約38リットルです。大家族の時代ですから、この程度焼かなければ1週間程度の食料にはなりません。主婦は粉をかき混ぜ、その中にごくわずかなパン種を混ぜ、さらにかき混ぜ、しばらく置いておきます。数時間後、こねた粉はすっかりふくらんでいます。静かに寝かせている間にパン種は働いて粉の塊を大きくふくらせます。

 からし種とパン種の例えは、基本的に同じことを教えています。からし種の中に、パン種の中に、命があることです。内に命を持っている。神の国である教会は、内に命を持っている。神の命と言っていいでしょう。命があるならば、必ず芽を出し成長します。問題は今、わたしたち教会は、神の命を持っているでしょうか。キリストの命に生きているでしょうか。キリストの命に生かされているならば、心配する必要はありません。必ず生き残り、成長するのです。

 最後に、失望しないで静かに待つことです。「やがて」という言葉が印象的です。ある一定の時間が必要です。コロナ禍の収束も、当面見通せません。教会の伝道の見通しも芳しいものではないでしょう。しかし、からし種は必ず成長し、パン種としての教会の営みは静かに働いて影響を与えて、終わりの時には神の支配が完成するのです。この希望に生きようではありませんか。「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(Ⅰコリント書15:58)。