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第44回 荒れ野に戻ろう

聖書=マタイ福音書3章1-10節

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。

 

 まだ新年の感覚が残っているのではないでしょうか。今回は、信仰者として基本的にいつも立ち戻るべきところについて記したいと思います。

 ここに、「洗礼者ヨハネ」が登場します。主イエスの登場に先立って、主イエスの紹介者として現れた人です。彼は「ユダヤの荒れ野」に登場します。「荒れ野」は、岩石ばかりで植物はあまり生えない不毛の土地です。しかし、イスラエルにとり「荒れ野」は大切なところです。かつて出エジプトしたイスラエルの人たちは荒れ野に住み、荒れ野で神に出会い、荒れ野でマナに養われました。聖書では、「荒れ野」は出エジプトしたイスラエルの民が神と契約を結び新婚時代を過ごした思い出の場所であり、訓練の場所でもありました。神の民の信仰が育まれた場所であり、立ち戻るべき原点でもありました。

 その荒れ野で、洗礼者ヨハネは「悔い改めよ」と叫んだのです。「悔い改め」とは、自分の内にある破れを認めて神に立ち帰ることです。ヨハネはイスラエルの人々に、もう一度神の元に帰れと勧めたのです。すると、ユダヤ全土から多くの人々が集まってきて、ヨハネから悔い改めの洗礼を受けました。

 ところが、そこにファリサイ派やサドカイ派の人たちも来ていました。洗礼者ヨハネは、この人たちを見て「蝮の子らよ」と激しく弾劾します。なぜ、洗礼を受けようとしてきたこの人たちを、このように扱ったのでしょうか。それは、彼らの中に真の悔い改めを見ることが出来なかったからです。ファリサイ派は民衆の指導層の人たちです。サドカイ派は祭司階級で権力を持つ人たちです。この人たちがヨハネの元に来たのは、真実の悔い改めからではなく、形式的に洗礼を受けて、民衆の機嫌を取ろうという人気取りの魂胆からです。ヨハネはここを見抜いたのです。

 ヨハネは言います。「悔い改めにふさわしい実を結べ」と。「ふさわしい実」とは悔い改めの見える結果としてのよき行い・善行のことではありません。「真実の悔い改め」を示せと言うことです。ファリサイ派の人たちは、自分たちは血統的にもアブラハムの子孫であり、敬虔な信仰生活をしているとうぬぼれていました。サドカイ派の人たちは血統的にはもちろんのこと、自分たちこそこの国を支えているという自負心がありました。これらは悔い改めとは正反対のものです。

 洗礼者ヨハネは、そこを鋭く突いているのです。本当に安心していいのか、と。今日のわたしたちも似ているのではないでしょうか。わたしは教会に行っている。わたしは昔、洗礼を受けた、と。勿論、洗礼を受けることも、教会に行くことも大切なことです。しかし、そこに本当の悔い改めと信仰がなければ虚しいものとなるのです。今日のキリスト者も、かつてのファリサイ派やサドカイ派の人たちと同じになる危険性がいつも存在しているのです。

 洗礼者ヨハネは、こう語ります。「言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」。「こんな石」とは、荒れ地に転がっている石ころのことです。人間を石ころに例えるのは、どうかと思うかもしれませんが、神を知らない異邦人と呼ばれている人たちのことを指しています。しかし、神は何でも出来るお方です。石のように心の固い異邦人からアブラハムの信仰を受け継ぐ者たちを起こしてくださるのだと語るのです。

 必要なことは、もう一度、荒れ野に戻って、破れを認めて、神の声を聞き、真実の悔い改めをなすことです。自分は大丈夫だという虚しい誇りを捨てること、自分の中にも大きな罪と欠けがあることを素直に認めることです。洗礼者ヨハネが荒れ野に立って「悔い改め」を叫ぶのはこのためです。家出した弟息子が無一物で、破れ果てた姿のままで父の元に帰ったように、「罪人のわたしをお赦しください」と、悔い改めの祈りを献げることです。