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第40回 保護者となられた神

聖書=詩編68編6-11節

神は立ち上がり、敵を散らされる。神を憎む者は御前から逃げ去る。煙は必ず吹き払われ、蝋は火の前に溶ける。神に逆らう者は必ず御前に滅び去る。神に従う人は誇らかに喜び祝い/御前に喜び祝って楽しむ。神に向かって歌え、御名をほめ歌え。雲を駆って進む方に道を備えよ。その名を主と呼ぶ方の御前に喜び勇め。神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり/やもめの訴えを取り上げてくださる。神は孤独な人に身を寄せる家を与え/捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる。背く者は焼けつく地に住まねばならない。神よ、あなたが民を導き出し/荒れ果てた地を行進されたとき、地は震え、天は雨を滴らせた/シナイにいます神の御前に/神、イスラエルの神の御前に。神よ、あなたは豊かに雨を賜り/あなたの衰えていた嗣業を固く立ててあなたの民の群れをその地に住ませてくださった。恵み深い神よ/あなたは貧しい人にその地を備えられた。

 

    まもなくクリスマスがまいります。クリスマスは、主イエス・キリストの誕生を喜び祝う時です。今回は、この詩編からクリスマスの意味について考えてまいります。クリスマスと言うと、家族で温かな食事をしたり、恋人と語らうような時として受け止められているのではないでしょうか。しかし、私は子どもの時代、悲しみをもってクリスマスを何度となく過ごしました。それは父と母が離婚し家庭が崩壊していたからです。このような時に、アンデルセンの童話「マッチ売りの小女」の物語を知りました。ああ、ここにも同じような境遇の人がいるんだなあ、と慰められました。

 それからしばらくして教会に行くようになり、イエス誕生の物語を知るようになりました。ベツレヘムの街の人たちによって歓迎されなかったイエスの誕生、受け入れることを拒まれたキリストの物語が大きな慰めとなりました。ベツレヘムの街の人々に拒まれたキリストこそ、私が身を寄せることの出来るお方なのだと感じたのです。

 上記の詩編68編の中に、「みなしご」、「やもめ」、「孤独な人」、「捕らわれ人」という人たちが出てきます。「みなしご」とは、親を失った孤児のことです。「やもめ」とは、夫を失った女性です。「孤独な人」とは、「身寄りのない者」、「寄る辺のない人」のことです。家を失い、ホームレスになっているような人、見捨てられた人のことです。「捕らわれ人」とは、戦争の捕虜となり異境に連行された人たちです。今日、戦争や内乱によって家を失った人たちが異国の地に難民、流浪の民となっています。これら「みなしご」、「やもめ」、「孤独な人」、「捕らわれ人」は、頼るべき保護者を失った人たちです。

 しかし、この詩編では、このような人たちに「身を寄せる家が与えられる」と語られるのです。いじけることなく、安心して身を置くことが出来る家、居場所が与えられるという福音です。「聖なる宮」とは天にある神の御座を指しています。神は天にいます。けれど、この天にいます神が今、「みなしごの父となり/やもめの訴えを取り上げてくださる。神は孤独な人に身を寄せる家を与え/捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる」と歌われているのです。彼らの切ない祈りが聞かれ、身を置く家が与えられるのです。

 古代世界では、孤児ややもめ、捕らわれ人は最も惨めな者の代表でした。今日の福祉施設のようなものはありません。誰も味方してくれません。顧みられない、見捨てられた存在です。その見捨てられたような者のために、神ご自身が保護者となってくださる、と語られるのです。神がみなしごの父となってくださる。やもめの保護者となってくださる。孤独な人に身を寄せることのできる家を与えてくださる。捕らわれ人を解放してくださる。そう語られているのです。

 これこそ、クリスマスの出来事です。このため、神は降ってきてくださったのです。この詩編の冒頭に「神は立ち上がり」と語られます。神が立ち上がるとは、神の愛と憐れみの行為です。神はいても立ってもおられないほどの熱い想いをもって、天の宮で立ち上がられた。そして、立って私たちのもとに来てくださいます。貧しい身寄りのない者たちの保護者となり、憩うことの出来る家を与えるために、神が立ち上がって駆けつけてくださったのです。

 その結果が、「神よ、あなたは豊かに雨を賜り/あなたの衰えていた嗣業を固く立てて、あなたの民の群れをその地に住ませてくださった。恵み深い神よ/あなたは貧しい人にその地を備えられた」と、神の祝福が歌われるのです。貧しい者たちが、神の恵みのもとに、神の保護のもとに、力強く生きる道が開かれていくのです。クリスマスシーズンです。お近くの教会を訪ねてみてください。