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第39回 系図の語る福音

聖書=マタイ福音書1章1-17節

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

 

 今回も「マタイによる福音書」の冒頭におかれている系図から学びます。前回は、この系図はイスラエルの民の歴史を意味していると記しました。しかし、実際の歴史を忠実に反映する系図ではありません。「アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である」と記されています。14代、14代、14代と7の倍数である14で区切られ、まとめられていることに気づくでしょう。このような系図を「装飾系図」と言います。省略されている人名が多々あるということです。

 7の倍数14が示すことは「あるまとまった時代」と言うことです。アブラハムからダビデまでの最初の14代が示すのは、神の民の上昇の姿と言えるでしょう。ダビデからバビロン移住(バビロン捕囚)までの14代は、下降する神の民の歴史です。バビロン捕囚からの14代は名前さえ歴史の中には登場しなくなる虚しく下降する歴史です。この系図が示している物語は上昇する栄光の物語ではありません。下降スパイラルの行き着く先は幾重にも重なる苦難の歴史です。バビロンに捕囚となり、各地に散らされた民です。この系図が示す最大の意味は、イエス・キリストというお方は、苦しみと悩みの中にある者たちの中に生まれたのだということです。

 しかし、マタイ福音書の著者がこの系図において、さらに最も示したいことは、神がアブラハムにおいて約束された救いの契約・恵みの契約をイエス・キリストにおいて実現してくださったという「神の熱意」なのです。それがこの系図の示している最も大きな事柄なのです。系図はアブラハムから始まります。神がアブラハムに語られた契約のためです。福音書の冒頭から、これは「救いの物語だ」(福音)と言っているのです。

 神はアブラハムに「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となる」(創世記12:2)と言われ、「わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる」(創世記17:7)と言われました。神がアブラハムを選び、彼とその子孫との「神となる」と言う契約です。「神となる」とは救うという意味です。罪の赦しが与えられて、神との交わりと平和、和解を回復するということです。それが「神となる」ことの内容です。

 神はアブラハムを通して、イスラエルの民だけでなく、全世界の人々の救いを約束されました。これを「恵みの契約」と言います。この契約は、イスラエルの人々によって破られ、忘れ去られてしまいました。しかし、神は、この契約を神の真実と熱心をもって忠実に担われたのです。神ご自身がこの恵みの契約を担われたのです。このイエスの系図は、「この系図を見なさい。一人として罪を犯さなかった人がいるか。しかし、神は恵みの契約を成就して救い主を与えてくださった。これがすべての罪人の罪を担って十字架につくイエスなのだ」と語っているのです。