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第37回 倒れる人を助け起こしてくださる主

聖書=詩編145編14-16節

主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。ものみながあなたに目を注いで待ち望むと、あなたはときに応じて食べ物をくださいます。すべて命あるものに向かって御手を開き、望みを満足させてくださいます。

 

 今回は、上記の短い聖書の言葉からお話しします。旧約聖書・詩編145編14-16節です。あなたは、聖書をお読みになっておられるでしょうか。聖書の読み方は、大きく分けて2通りあります。1つは、最初からきちんと順序よく読み通す「通読」です。これが聖書を読む基本的な姿勢です。分かっても分からなくても、読み通していくことです。もう1つは、詩編などをパラパラッと開いて読む読み方です。「繙読」です。気に入ったみ言葉を発見して、そのみ言葉に耳を傾けて、味わい、癒やされる読み方です。詩編などには、こういう読み方がお勧めです。

 実は10数年ほど昔のことになります。高齢の故もあり、身体の変調を来したことがあります。疲れやすい。喉が渇く。トイレが近いなどの自覚症状もあり、お医者さんに行って検査すると、糖尿の初期だと言われました。体の疲労だけのことではなく、精神的にもつらいことを経験しました。心が萎えて立ち上がれず、心の腰が打ち砕かれるような経験もしました。体だけではなく、心が倒れ伏したまま起き上がれない。そんな経験の中で、上記のみ言葉に目が留まりました。

 この個所は、旧約聖書の中で、たいへん優れた神理解を示しているところです。神が一人ひとり、個人に目を留めてくださる神であり、愛をもって一人の人に臨んでくださる神が示されているのです。「主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます」。今、まさに倒れてしまいそうになる人が、倒れてしまうことを許さないお方がおられる。それが神だ。神は人が倒れないように、しっかりと手を取って、支えてくださるのです。

 しかも、神の対応は一人ひとりに対してなされます。十把一からげではありません。倒れようとする人にはその理由が一人ひとり違うからです。まとめて面倒みるというのではない、きちんと一人ひとりの異なる痛みを理解し、一人ひとりの弱さにふさわしく、抱える課題や問題に応じて、一人ひとりを支えてくださるのです。それでもなお、倒れうずくまってしまう者にも、神は手を伸ばして助け引き起こしてくださるのです。

 もし、今、あなたが倒れ伏し、うずくまるような思いでおられるなら、神へと手を伸ばしてみてください。「主よ、助けてください」と。主なる神は、必ずあなたの手を取って助け起こしてくださいます。うずくまる者を助け起こす主なる神がおられるのです。

 「ものみなが、あなたに目を注いで待ち望むと、あなたは時に応じて食べ物をくださいます」。「ものみなが」とは、わたしたちを指す言葉です。わたしたちが神に目を注いで神に祈ると、神はそれに応えてくださるというのです。神よ、と叫ぶ者、神よ、助けてくださいと祈る者。ここでは食べ物のことが語られています。ですから、ここで祈り叫ぶ者は貧しく弱い者です。神は貧しく弱い者に目を注ぐ神です。ジッと目を注いでくださいます。そして、貧しく弱い者が、「神よ」と叫ぶときに、神は必要なものを与えてくださるというのです。

 さらに、「御手を開き、望みを満足させてくださいます」と記されます。希望の神なのです。わたしたちの痛みや悩み、すべての必要を知って、わたしたちの望みを満たしてくださいます。わたしたちのまことの望みはこの地上の富や繁栄だけではありません。神と共に生きる望みです。その望みに対して「御手を開いてくださる」のです。「よし、あなたと一緒にいて、生きるための力、新しいいのちを与えよう」、そう言って、わたしたちを迎え入れてくださる神なのです。

  イエス・キリストは、倒れてうずくまるわたしたちを立ち上がらせて下さるお方として、この地に来られた主なる神です。主イエス・キリストは、わたしたちの痛みと弱さを知り、一人ひとりの手を取って立ち上がらせて下さいます。そして、神と共に生きる永遠の命の祝福に導いてくださるのです。