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第14回 何ひとつ忘れてはならない

聖書=旧約・詩編103編1-5節

【ダビデの詩】わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し、命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。

 

 今回は、旧約聖書の詩編からお話しさせていただきます。多くの方はあまり旧約聖書を読まないかと思いますが、出来たら「詩編」はよく読んでください。悩みを抱えたとき、苦しいことに出会ったとき、パラパラと読んでください。1つ1つの詩が独立していますから、「いいなあ」と想うところを声を出して読んでみてください。慰められます。

 この詩編103編の作者は、自らを戒めるように、自らに向けて、こう語ります。「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」と。他の人に対して呼びかけるのではなく、教え諭そうとしているのでもありません。「わたしの魂よ」、「わたしの魂よ」、と繰り返し「わたしの内にあるもの」へ呼びかけています。この詩の作者の内面性を深く印象づける言葉です。

    この詩は「ダビデの詩」となっています。聖書の学者たちによると、この詩はダビデ自身のものではなく、もっと後の時代、バビロン捕囚から帰った後の作品だと考えられています。しかし、わたしは、この詩はダビデの生涯に沿って味わうときに、よく理解できるのではないか、と考えています。ダビデはユダヤの王でしたが、多くの罪と失敗を犯しました。しかし、また多く赦された人であります。

 ダビデは、自らの魂の内に向かって「忘れるな、忘れてはならない」と、自分の心の奥ひだに刻みつけるように語ります。その忘れてならない内容は、神の計らい、自分に対する神の恵み深いお取り扱いです。神は、どのように自分をお取り扱いくださったか。一つひとつ数えていきます。「主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し」と記します。自分の多くの重く深い罪が赦された。その罪のゆえに心が萎え、痛み衰えて、病んだときに、根底から癒された。この神の赦しといやしの恵みを忘れるな。主なる神が、死の淵から生き返らせ、回復してくださった。これらの恵みの数々を決して忘れるな、と自らに語りかけているのです。

 短い詩文ですが、主なる神の自分に対する恵み深いお取り扱いを、一つひとつ数え上げていくのです。赦され、いやされ、死から解放された。神のいつくしみ深い取り扱い、神のあわれみを数えていく。自分の生涯の歩みが、神の愛と恵みによることを思い起こしていくのです。聖歌という歌集の中に「望みも消えゆくまでに」という賛美があります。繰り返しの部分で「数えよ1つずつ、数えて見よ、主の恵み」と歌います。悩みの時、困難の時、一つひとつ、与えられた恵みを数え上げていく。不思議に波立つ心が安らいでくるのです。

 ダビデは、与えられた恵みを回顧し、これから与えられる神の約束の恵みも忘れません。「命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け」てくださることも覚えるのです。これらは神の約束です。神の恵み深いお取り扱いは、過去だけでなく永続するのです。自分のいのちも魂も神の御手の中にあります。墓から贖いだしてくださると、復活の望みを自分の魂に刻印しているのです。

 人間は、実に忘れやすい。とりわけ日本人は、忘れることが得意なのではないでしょうか。どうでもいいことを忘れるのであれば問題ないでしょう。しかし、神を信じたときのことさえも忘れるのではないでしょうか。洗礼の日のことをきれいに忘れてしまっているのではないか。しかし、神を信じて、神に立ち帰ったあの日のことを、決して忘れてはならないのです。神を信じたときのこと、洗礼の日のこと、恵み深いお取り扱いを受けたことを忘れるところで、神から離れることが起こるのです。罪を赦されたあの日の出来事を、自分の魂に刻印しておくことが大事です。

 また、神の恵みのお取り扱いと共に、わたしたちのことを覚えて祈っている人たちのあることをも、決して忘れてはならない。多くの人たちから祈られていることを忘れてはならないと思う。多くの人たちによって、「このわたしが」覚えられ、祈られていること、支えられていることも、しっかりと心の中に刻みつけてまいりたい。「何ひとつ忘れてはならない」のです。