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第12回 聖霊の降臨

聖書=使徒言行録2章1-4節

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

 

    今回、このコーナーは少し早めにアップします。次の日曜日は、キリスト教の祝祭日の1つ、「ペンテコステ」です。キリスト教の大きな祝祭日は3つあります。1つは「クリスマス」です。主イエスの誕生を記念します。2つは「イースター」です。主イエスの死人の中からの復活の祝いです。第3が、この「ペンテコステ」で、「聖霊降臨日」とも言われます。

 「ペンテコステ」は、元「五旬祭」と言われ、復活節から数えて50日目に当たります。主イエス・キリストが十字架に死んで3日目によみがえられました。それから50日目に、主イエスが天に昇られたとき、約束した聖霊が、弟子たちの上に豊かに注がれました。この聖霊が注がれた記念の時を「聖霊降臨の記念日」としています。これは新約のキリスト教会の誕生の時と言っていいでしょう。今年は6月9日の日曜日です。

 主イエスが天に上げられてから、残された主イエスの弟子たちと主イエスの母マリアやイエスの兄弟、それに女の弟子たちが、主イエスが約束してくださった聖霊の与えられることを熱心に祈り願っていたことが使徒言行録1章に記されています。その祈りが応えられて聖霊が集まっていた弟子たちの上に豊かに降りました。

 大きな音がして「炎のような舌が分かれ分かれに現れ」、弟子たちの上に留まりました。「すると一同は聖霊に満たされて」霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出した。これが聖霊降臨と言われる出来事です。聖霊は、三位一体の神の第三位格、神の霊です。旧約時代には、預言者などの一部の人たちにだけ与えられていましたが、ここで「弟子たち一同に」豊かに圧倒的な力をもって注がれたのです。老若男女、一切の区別なく、キリストの弟子たちに神の霊が注がれました。新約の教会が出発したときと言っていいでしょう。

 この聖霊が降臨した結果、主イエスの弟子たちは力強く神の言葉・福音を語りだしました。主イエスが捕らえられた時、人を恐れて逃げ散った弟子たちとは別人のようです。十字架にかけられて死んだイエスが、死人の中からよみがえり、神の右に昇り、永遠の救い主となって下さったことを力強く人々に語りだしました。

 この時、弟子たちに与えられた聖霊の最も大きな働きは、人の心の中に働いて、人の心を暖かく包んで、人を造りかえて、キリストを信じる信仰を持たせて下さることです。聖霊降臨とは、主イエスの弟子たちの語る福音のことば・説教を聞いて、多くの人がこれを理解し、受け入れ、信じてキリスト者となったということです。そのようなことがまことにめざましく起こったのです。

 ある人は、「聖霊」が分からない、雲を掴むようだと言われることがあります。確かにわたしたち、人の目で確認することはできません。目に見えません。しかし、聖霊は、わたしたちの最も身近にいて、わたしたちの心を暖かく包み、キリストに導き、キリストに結んで下さる神なのです。主イエスの弟子たちも、はじめからキリストの十字架の意味や復活が分かっていたわけではありません。自分たちが救い主だと信じてきたお方が十字架につけられて殺されてしまった。そのため絶望し、自分たちも同じ目に遭うかもしれない、と恐れて身を隠していたのです。

 ところが聖霊降臨以後、その臆病な弟子たちが別人のようになりました。十字架にかけられて死んだお方、イエスがよみがえった。このお方こそ、まことの救い主だと力強く宣べ伝えたのです。弟子たちを造り変えた力が、聖霊のお働きなのです。

 パウロは、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えない」(Ⅰコリント12:3)と述べています。聖霊の働きは、わたしたちの心を暖かく包んで信仰へと導いてくださいます。祈ることへと導いてくださいます。祈りの中で、主イエスのお言葉、そのお働き、その御業の意味を、わたしたちに教え、納得させて下さいます。「聖書を読んでみようか」、「キリストを信じてみようか」と思っている方は、すでにその心の中に、神の聖霊の働きを受けているのです。聖霊の導きに従って、「イエスはわたしの主、わたしの救い主」と信仰の告白することが出来るように、祈ってみて下さい。