高市さなえ首相による真冬の総選挙の真っ最中です。この欄では、わたしの社会的な考え方や理解を訴えてきましたが、直接的に首相の退陣などを訴えてはきませんでした。しかし、ここでは、直接的に高市さんの退場を訴えることにします。お読みくださる方は、しっかりと考えて2月8日の選挙に臨んでいただきたいと願っています。
高市さんの退場を願うのは、高市さんの主張が今後の日本の歩みにとって極めて危険であると考えるからです。安倍晋三さんは「美しい国・日本」を語りましたが、高市さんは「強く豊かな国」を語ります。高市さんの語る「強い国」とは道路網などの整備による国土の強靱化ではありません。戦争に強い国造りを考えているのです。国防国家としての強い国造りです。
多くの人は消費税減税、手取りの増加など経済に注目しています。高市さんも野党の主張に引っ張られて消費減税を「わたしの悲願」と言い減税に舵を切っています。これは上辺です。高市さんの真の主張はそこにはありません。「戦争の出来る国造り」です。彼女はいろいろな機会に表明していますが、実際には国民に隠されています。マスコミやジャーナリストは気付いているでしょうが、忖度して高市さんの真実な姿を暴露していません。
今までブレーキ役を果たしていた「公明党」と切れたのを幸い、「維新」と連携して安全保障分野で積極策を打ち出しています。「国章損傷罪」を制定して「日の丸」を特別視させようとしています。オリンピックやスポーツ大会などで目障りなほどの「日の丸」がますます特別視され、その損壊が犯罪となるのです。国家情報局や対外情報庁を創設し、「スパイ防止法」を制定しようとしています。戦争への準備態勢を作ろうとしています。
今まで自民党でも「非核三原則(持たず、作らず、持ち込ませず)を堅持する」と言ってきたのを、アメリカの核兵器を日本国内に配備して共同運用(共有)しようと狙っています。今まで輸出できる武器を「救難・輸送・警戒・監視・掃海」の5類型に限ってきたのを全面撤廃して、潜水艦や空母にもなる護衛艦など殺傷能力ある武器を近隣諸国に輸出しようとしています。武器輸出で儲ける国となろうとしています。最早、平和国家ではありません。
今年1月早々、自民と維新の議員を中心に15人の議員団をイスラエルに訪問させて、ネタニヤフ首相と会談させ、イスラエル支持を表明、イスラエルの殺人兵器ドローンを輸入しようとしています。高市さんはアメリカからだけでなく、ガザでパレスチナ人を虐殺しているイスラエルからも兵器を購入し、戦争当事国になろうとしているのです。
「台湾有事」を語り、中国敵視をむき出しにしています。台湾は日本の植民地でしたが、敗戦と共に「中華民国」に返還しました。その後、中国の中で国民党と共産党の内戦があり、国民党が敗れて台湾だけが国民党支配となり、現在も基本的には内戦が継続しているのです。他国がクチバシを入れることは厳に慎まねばなりません。アメリカさえ台湾の帰属について口をつぐみ、慎重に「あいまい」にしているのです。日本が台湾有事で、中国と戦争を引き起こすことはあってはならないことです。再び、日本は敗戦国になるでしょう。
戦力不保持を定めた憲法九条Ⅱ項を削除して、集団的自衛権を全面容認し、「国防軍」の設置を明記し、従来の専守防衛を積極的防衛に大転換しようとしています。安倍晋三さんの願望の完成です。国の在り方が恐ろしいまでに大転換されようとしています。なんとしても、自民党と維新による高市内閣に退陣していただかねばなりません。今回の花はサルスベリとします。(2026/1/29)
2月8日の総選挙の結果、自民党が衆議院で3分の2の勝利を収め、たいへん気分を悪くしている中での2月11日の「建国記念の日」となりました。「国民の祝日」の中で最も嫌な記念日です。戦前は「紀元節」と言われ、神武天皇が橿原宮で即位したという記紀神話に基づきます。日本は古代神話に基づく国という主張は納得できるものではありません。
キリスト教会では、この日を「信教の自由を守る日」として、キリスト教会だけでなく、靖国公式参拝反対、憲法改悪阻止、外国人差別反対などの多くの関連団体と一緒に各地で草の根的な集会を開いています。わたしも毎年、幾つかの集会に参加してきました。今年は危機感を持つ多くの人が集っていました。憲法改正の発議が出来る3分の2の議席を自民党に与えてしまったのです。高市さんは、経済政策に取り組むよりも、スパイ防止法や国旗損壊罪の成立を狙っています。憲法改悪も語り始めています。高市人気があり、衆議院の3分の2がある「今こそ」と意気込んでいます。多くの人が危機感を持つのは当然のことです。
では、わたしたちは、どうあるべきでしょうか。どう対処したら良いのでしょうか。あわてないことです。我を見失わないことです。政治の世界では、大敗した「中道改革連合」などが慌てふためき、分裂なども起こるでしょう。「中道改革連合」自体が、にわか仕立ての数合わせから生まれたものですから、分裂・解散して、しっかりとした真の革新・リベラルな政党が再建されることを祈ります。
しかし、わたしたちは政治の世界のように付和雷同してはなりません。落ち着いて信仰者として信教と思想の自由をしっかり主張し守り続けることです。そして、信教の自由を成立させる基本的人権と平和の思想、報道の自由などの基本的権利を、どのような時であっても主張し続けることです。キリスト教会は歴史の中で、これらの権利の主張にしばしば逆風を経験してきました。むしろ、多くの逆風の中で個人の尊厳と権利、信教の自由を身をもって闘い取ってきたのです。「時が良くても、悪くても」、わたしたちは信教の自由と個人の尊厳とを冷静な思いで守り抜くのです。
聖書では、キリスト者は「羊」に例えられます。羊は闘う武器を持たない弱い存在です。そのため時に、キリスト者は世の権力に媚び、保護を求め、権力者の意向に忖度し、右往左往することがあります。信仰者としての牙を抜かれて、惨めな敗残の姿をさらすこともありました。大事なことは、キリスト者として持つ信仰の「牙」を抜かれないことです。「否」を「否」とすることです。十字架を担われた主イエスのみを見上げて、この主と共に生きるのです。この覚悟を新たにして参りましょう。
信仰者としての真実な歩みは信教の自由を守る道であり、それは「市民的不服従」へと繋がっています。「わたしは、わたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであること」(ハイデルベルク信仰問答・第1問答)を証言する闘いです。今回の花はバラとします。(2026/2/13)
今年1月2日、アメリカのトランプ政権は、南米ベネズエラに対して奇襲攻撃をしてベネズエラのマドゥラ大統領をアメリカに拉致しました。この成功に味をしめ、トランプ大統領は2月28日、イスラエルと共に、国際法を無視してイランに対して大規模な空爆を行い、イランの最高指導者ハメネイさんとその家族、イランの指導者層を大量殺害しました。その攻撃が今も激しく続いています。このアメリカとイスラエルの攻撃に対して、イランも応戦し、中東諸国は大きな混乱に陥り、ホルムズ海峡は通行できなり、世界の原油の輸入は途絶しました。
この事態に、スペインを始め欧州各国の指導者たちは戦争犯罪であると指摘し、自国の軍事施設を使用させず、軍用機の領空通過も認めません。アメリカとイスラエルの戦争は自分たちと関係ないとして突き放し支援を拒否しました。その中で、日本の高市首相は訪米して、トランプに抱きつき、「平和と繁栄に貢献しているのはドナルドだ」とお世辞を言い媚びを売り醜態をさらけだしました。裏では高額の貢ぎ物を差し出し、軍の派遣も約束してきたのでしょう。
トランプさんの言動を見ると、この人は正常な合理的判断力を持っているのか、疑わしく思えます。軍事は狂気に支えられています。しかし、同時に軍事作戦は軍事的合理性が求められるのです。行き当たりばったりではない。将棋で言えば、この一手を指すことによって、相手はどのように出てくるか、数手先の選択肢を予想して「この一手」を指すのです。トランプさんの軍事行動には、大きな悲惨と惨禍をもたらせながらも、その先が見えてきません。ホルムズ海峡の封鎖など最初から分かりきったことです。自分勝手に始めておいて、「誰も助けてくれない」と不満を言うのは不思議千万です。トランプさんは狂人と言えましょう。
高市さんもトランプさんと同様、狂人化しています。国会冒頭で衆議院を解散して、一ヶ月余にわたって議会を空白にしておいて、国の経常会計予算案を年度内で通せというのは、我が儘勝手です。自分の行ったことの意味と重さ、責任がまったく分かっていない。選挙で大勝したことで、宇宙天になり、予算委員会にもなかなか出席せず、きちんとした答弁はせず、とんでもない発言をして中国を怒らせても平然としています。“X”で発信しているからと言って記者会見も行いません。国会も国民も無視しています。
高市政権になって、これからの日本には暗雲が垂れ込めています。国旗損壊罪、スパイ防止法が国会に提案されて可決されるかもしれません。現在の国会状況では可能でしょう。「武器輸出三原則」を撤廃し、国会に諮ることなく、武器・装備品の自由な輸出へと道が開かれようとしています。現在、すでに自衛隊は同志国と言われる国々と合同演習を重ねて「戦争が出来る国造り」が始まっています。憲法九条など踏みにじられています。
「狂気」が世界を包んでいると言えるでしょう。その中で、多くの人々、庶民が苦しんでいます。しかし、その苦しみの中でも、多くの人々はなお、トランプさんや高市さんを支持し続けています。かつて、ヒットラーのナチズムや日本の軍国主義を民衆が熱狂的に支持したように、今、民衆の「狂気」が世界を熱く包んでいるのです。今回の花は犬サフランとします。(2026/4/10)
今年、2026年の「憲法記念日」は大きな危機に遭遇しています。高市内閣になって「改憲」(憲法改悪)に向かって、自民党と維新の連携で大きな潮流が作られようとしています。隣国であり、歴史的には多大な恩恵を受けてきた中国を「敵国」とみなして琉球諸島に自衛隊を重点配備しています。安倍政権下でも5類型以外の攻撃用武器の輸出を規制してきました。高市内閣では、それをも葬り去って殺傷能力を持つ戦車や艦艇、戦闘機までも輸出しようとしています。「スパイ防止法」を制定し、外国のスパイだけでなく、国民一般の政治的活動(デモなどの集団行動)さえも監視と規制の対象にしようとしています。
自民党は党是として「改憲」を掲げてきました。しかし、今までの自民党の中には改憲に慎重な人たちや戦争に反対する人たちが割合いたのです。戦争を実際に体験し、戦争の惨めさを知っている世代の人たちは改憲を主張しつつも平和の維持に努めてきました。ところが今、自民党にはそのような人たちが皆無になっています。維新や参政党の主張に沿って「戦争できる国造り」へと、高市さんを先頭に大きく舵を切っています。
トランプさんの登場によって国際的な環境も変化しています。国連の常任理事国として国際平和を維持すべき責任を担う常任理事国のロシアのプーチンによるウクライナ侵攻、アメリカのトランプによるイラン攻撃などによって世界の平和の秩序が公然と破壊され、武力の行使が平然となされる時代になっています。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(憲法前文)状況から遠ざかっていることは事実と言わざるを得ません。手前勝手な武力の行使が平然となされている状況です。
だから、わたしたち日本も憲法の求める平和の規定を放棄して良いのでしょうか。断じてそうではありません。日本が世界の「平和の堡塁・平和のとりで」にならねばならないのです。日本国憲法第九条が掲げる戦争放棄の道筋を明示し続けねばならないのです。日本の国家的使命です。「九条」をもう一度、読み直してください。
「 第二章 戦争の放棄
第九条 ① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 」
実にすがすがしい規定ではないでしょうか。日本は、明治以来、身の丈を忘れて軍拡に励み、植民地獲得競争に明け暮れ、その結果、全国土を焼土とし、国民を塗炭の苦しみに遭遇させただけでなく、近隣諸国の人々を大量に虐殺してきたのです。この過去を悔い改め、新しい日本として再出発した「国際的誓約」が「九条」なのです。改憲を許さず、不戦・非戦の主張を世界の先頭に立って訴え続けて参りましょう。今回の花はネモフィラとします。(2026/5/1)
自民党と維新との連立による高市内閣になって、大きく進められているのが「国旗損壊罪」の創設です。「改憲」(憲法改悪)、「スパイ防止法」の制定と共に、わたしたちの自由な人権が根底から揺るがされようとしています。「スパイ防止法」は、元々旧統一協会系の「勝共連合」が事務局を引き受けて推進していたもので高市内閣になって急浮上しました。高市さんと維新が、深く隠れて統一協会と強く結びついていることを示しています。
その高市さんが悲願としていると言われるのが「国旗損壊罪」の創設です。外国の国旗・国章に対しての侮辱・損壊は、刑法第92条で「外国国章損壊等罪」で罰則をもって禁止されています。それに対応する形で自国の国旗(日の丸)を損壊することに対する法律がないということです。一見すると、もっともなような意見ですが、決して許してはならない自由権の侵害なのです。
これは、現行の日本国憲法の基本的人権の自由を大きく揺るがす見過ごすことの出来ない自由権の侵害です。思想及び良心の自由を定めた第19条、信教の自由を定めた第20条、集会・結社・表現の自由を定めた第21条などの基本的人権の自由を犯すものです。公共団体や他人の所有物への損壊であれば、現行刑法の器物損壊罪で十分に対応できます。
この「国旗損壊罪」の創設に関しては、国連の「国際人権団体」が国際規約に抵触する危険性を指摘しています。表現の自由との関わりです。政府や権力者に対する異議申し立ての手段として、時に「国旗」を燃やすなどの表現方法が採られることがあります。一般的には国旗を尊重するのは当然という声もあるでしょう。しかし、強権をもって民衆を踏みにじる政府や権力者に対して、抵抗として国旗を踏みにじり、燃やすなどの手段に出ることもあります。それは、そのような行為を選んだ人の表現の自由なのです。このような手段でしか、抗議の意志を表し得ない強烈な表現手段として理解しなければなりません。
そもそも、国旗を燃やすなどの毀損行為によって、何か実際の被害が生じる訳のものではありません。公共団体や他人の所有物であれば器物損壊になりますが、自分で用意したものを自分で処分する限り、問題はありません。迷惑行為などは他の罰則もあります。新しい法律を作る必要性はまったくありません。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する」(憲法21条)とあるとおりです。
アメリカでは、1984年、レーガン政権への抗議として米国国旗を燃やした人が逮捕・起訴されましたが、連邦最高裁判所は国旗損壊は表現の範囲内として逮捕を違憲としました。またその後、アメリカ議会は「国旗保護法」を制定しましたが、1990年、連邦最高裁はこの法律自体を違憲としました。わたしたちは、トランプさんの登場と無法振りに幻惑されますが、アメリカに根付いている基本的人権の感覚を学ぶことが必要です。強権をもって自由を拘束する高市さんに追随するのでなく、個人の人権が尊重され、信仰と良心の自由、表現の自由が貫かれる自由な社会を築いて参りたいものです。今回は花ではなく紅葉とします。(2026/5/22)
コロナ禍が収束されましたが、キリスト教会はそれで大きなダメージをうけました。さらに、少子高齢化は一般社会だけの問題ではなくキリスト教会をも覆っています。若者が少なくなり、伝道への献身者も少なくなり、教会の活力が失われてきています。こんな状況を、この欄で記すのは気が滅入ります。
それだけでなく、日本の多くの教会では、時代の危機について極めて鈍感になっていると言っていいでしょう。安倍内閣から始まった極右的な政策が、高市内閣になって益々過激になってきています。戦後の民主教育を担ってきた「教育基本法」が改訂され、愛国心が教育されるようになりました。高市内閣になって武器輸出が承認されると共に、長距離射程のミサイルを琉球諸島を始め全国各地に配備し、国家情報局が出来て国民が監視され、スパイ防止法が成立し、中国敵視政策によって日本を囲む緊張関係が増大しています。教会は、教会に迫ってきているこれらの危険性についてほとんど気付いていません。
キリスト教会は、社会状況の移り変わりについて深刻に考えていません。戦前1939年、渡辺白泉と言う人が「戦争が廊下の奥に立ってゐた」と言う無季俳句を詠んでいます。太平洋戦争開戦の三年前のことです。当時はまだ社会は平静でした。しかし、国家総動員法が成立し、日独伊三国同盟が成立して、大陸への侵略が進められていました。その中で、宗教団体法が公布され、キリスト教会は神道、仏教と並んでキリスト教が公的に認められたと喜び、「皇紀2600年奉祝」を全教派で祝っていました。危機感を深刻には感じていませんでした。
キリスト教会は、いつの時代であっても、時代の社会的な動きに対して敏感に動きませんでした。「宗教」であることを重視して、出来るだけ社会的な事柄に対しては一線を画して、耳と目を閉ざして踏み出すことに躊躇しているのです。このような緩い姿勢では、時の権力に取り込まれます。キリスト教会には、聖書的な視点に立って社会の動きに対して鋭敏な批判をしていくべき責任があります。キリスト教会は、本来的に「物見の責任」があり、社会の動きに対して極めて強く批判すべき存在なのです。
「主の言葉が再びわたしに臨んで言われた。『何が見えるか。』わたしは答えた。『煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています』」(エレミヤ書1章13節)。これはエレミヤに問われた神の問いです。神は今、わたしたちにも問いかけています。「何が見えるか」と。
今は、キリスト教会に対しての直接的な脅威はありませんが、やがて教会の死命を制する動きが起こるでしょう。神は、わたしたちに社会の時代の動きの中に「何が見えるか」と問われています。高市政権のなしている悪行・戦争への道備えをしっかり見詰めて応える責任があります。
すべての社会の基盤をなしているのは「人権」と「平和」です。人権と平和に対して敏感でなければ、教会としての物見の務めが果たされません。今や、廊下の奥にソッと戦争がうずくまっています。この状況を見抜いて警告を語らねばなりません。今回の花は鶏頭とします。(2026/6/5)