第71話 人権無視の死刑制度を廃止しよう

 わたしは牧師引退をして時間的余裕もでき、以前から考えていた「袴田事件」についての支援会の会合に参加してきました。基本的には年来の「死刑廃止」の主張からです。袴田事件の支援会では、支援者、弁護団関係者で毎月1回定期的に、事件を巡る多くの課題について、たいへん良い学習会・勉強会をしていました。わたしにとって良い学習の機会になりました。

 袴田巌さんの再審が決定したことは何よりも嬉しいことです。しかし、再審開始が早々になされるべきにもかかわらず、3ヶ月も先延ばしされたのは不本意なことです。この袴田事件を通して垣間見えるのは、日本社会における人権の無視です。警察による取調段階から長期にわたる違法な長時間の取調べ、証拠のねつ造(これは捜査機関による犯罪です)、検察による権威主義、裁判官の検察依存とスルー、普通の人間感覚でしっかり見て判断していたら見逃すことのない事柄を見逃していたのです。警察にしても検察にしても、さらには裁判官にしても、本来有すべき人権感覚の喪失がもたらした大きな誤審、冤罪であったのです。

 まもなく再審が始まり、「無罪」が確定するでしょう。すると、もし再審開始がなかったら、無罪の人が死刑になっていたかもしれないのです。死刑制度は、国家による無辜の人の殺人、国家が犯罪を犯す可能性のある制度です。今までにも誤判・誤審による処刑が全くなかったとは言えません。どのような法制度であっても、人間が取り扱うので冤罪があり得ます。三審制度であっても、誤審・誤判、見逃しや故意のねつ造、さらには国家権力の意志による処刑などがありえて、それらを根本から排除する法制度を確立することが必要です。

 死刑制度こそ、究極的な人権無視です。現在、死刑制度が残存している国は世界的に少数になりつつあります。「法による支配」ということを岸田首相は語り、日本は「G7」の仲間だと自認していますが、「G7」の他の諸国はほとんどが死刑廃止国なのです。もし、日本が「EU」加盟を申請したら、頭からはねつけられます。「死刑廃止」が条件なのです。日本は、「LGBTQ」の人たちに対する処遇でも、入管管理体制でも、基本的人権に対する無感覚、無視が明らかになっています。今回の「袴田事件」を契機として、社会全体で冤罪防止の法制度、再審の法改正、死刑廃止に取り組んでほしいものです。今回の花は藤の花とします。(2023/4/26)

第72話 2023年の憲法記念日に想う

 近年、多くなってきた日本の祝日の中で、わたしが祝意をもって記念できるのは「憲法記念日」だけであると言っていいでしょう。「日本国憲法」は、国民主権、基本的人権、民主主義、平和主義に立つ世界でも優れた憲法の1つと言っていいでしょう。日本国憲法は、国家の基本法であり、すべての法律、政令、判例などは、この憲法に依拠し、この憲法から逸脱したものは「違憲」となるのです。

 ところが現在、この「日本国憲法」が逆風にさらされています。日本国憲法が国家の基本法として尊重されず、有効性を失いかけているのです。「あらずもがな」(ない方がよい)のものとなり、法的規範性・実効性が失われかけています。憲法へのリスペクトがありません。これは国家の基盤が揺らぎ崩壊しかけているという状況です。現在の日本の政治の混迷、教育学問の力の失墜、経済力の失墜、国力全般の崩壊などは、人口減少や少子高齢化などから来るだけでなく、国家を支える根っこの岩盤が崩れ、揺らぎ、液状化していることに震源しているのです。

 憲法九条はまさに象徴的です。「梅雨空に 『九条守れ』の女性デモ」。これは、2014年、埼玉県さいたま市のある公民館の俳句サークルで1位入選し、公民館月報に掲載されるはずが、公民館が掲載拒否した俳句です。裁判で争われて、作者側が勝訴し、ようやく掲載されました。憲法の基本条項を守れという至極もっともなデモの光景を歌った俳句が掲載拒否にあったのです。この事態は現憲法が置かれている逆風の状況を示していると言っていいでしょう。

 日本国憲法の保障する大切な条項が数多く浸食、侵害されています。最近でも、次のようなことが数えられます。即位式や大嘗祭による象徴天皇制への浸食、靖国神社への閣僚の参拝・神道儀礼を習俗とする政教分離原則への浸食、6人の学者たちの学術会議への任命拒否に現れた学問の自由への侵害、教科書検定における事実上の検閲、あいちトリエンナーレ事件における表現の自由への侵害、生活保護費の引下げ・年金切り下げによる生存権への侵害、入管による人権無視、最高裁の違憲審査権の放棄、等々数え上げたらキリがありません。

 これら日本国憲法への侵害の最も象徴的なものが「九条」の無視です。自衛隊という名の軍隊を保有し、ロシア・ウクライナ戦争を好機として軍事費を倍増して敵基地攻撃能力を持つ、つまり他国への侵略も可能としようとしています。自民党政権は、安保関連法を成立させて、自衛隊が米軍と共に戦争の出来うる態勢に整えようとしています。もはや憲法九条は骨抜きにされています。国の基本法である憲法を擁護する声や勢力が異端視されている現状です。これこそが国の存立危機であることを訴えていかねばなりません。今回の花は「決して離れない」意味を持つ白藤とします。(2023/5/3)

第73話 「G7サミット」に想う……危険な収束

 「G7サミット」が終わりました。広島で厳戒態勢の下、G7の各国首脳だけでなく、グローバル・サウスと言われる国々の首脳も集め、さらにウクライナのゼリンスキー大統領も来て、いったい何が語られ、何が決められたのかもはっきりしない会合でした。岸田首相と自民党関係者は大成功と言っているようですが、わたしはたいへんな問題を引き起こした大失態の会合だったのではないかと思っています。

 各国首脳が原爆慰霊碑に花束を捧げましたが、「被爆地広島」を利用しただけで終わったのではないかと思っています。被爆者たちの声は全く届かず、核兵器の禁止には一歩も前に進むことなく、核の力を前提とした核抑止論が肯定された会合であったのではないでしょうか。核兵器の禁止を願う広島の人々の期待を裏切るものでした。

 ゼリンスキー大統領の登場は、今回の「G7サミット」の性格を決定づけました。ロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻を受け止めざるを得なかったゼリンスキー大統領には、わたしは幾分の同情を持っていますが、戦争の当事者です。ゼリンスキー大統領の登場によって、「G7サミット」は完全に反ロシアに統合されました。F16戦闘機の贈与により戦争の長期継続が決定的になり、早期の停戦・休戦は見込めない事態となりました。日本は今回のサミットに場所を提供したことにより、ロシア・ウクライナ戦争に決定的に深入りしてしまったのです。

 ロシア・ウクライナ戦争の一方に加担、深入りしたことによって、日本はアメリカに対するフリーハンドを完全に失い、米・中、米・ロの戦略構想の中に完全に組み込まれました。日本は、以前から日米安保条約と地位協定によって完全な主権を失った半独立国でしたが、今回の「G7サミット」によってNATOの一翼を担い、アメリカの完全な一翼となってしまったのです。冷静に考えれば分かることです。戦争の危機が増幅したのです。

 安倍元首相も岸田首相も口を開けば「自由と法の支配」と言うことを語り、G7に集う西欧世界と共通の価値観を持つと自負しています。ところが、現実には西欧世界とは全く違う価値基準に立っているのです。LGBTに対する「理解増進法案」は骨抜きになり、差別禁止法ではありません。難民に対する入管法は改悪されようとしています。死刑廃止は議論にさえなっていません。旧統一協会との闇の関係はそのままです。自由と法の支配の基本である「人権」が無視されたままです。これらの重い事実には頬被りして「脱亜入欧」しようとしているのです。これからの日本はどうなっていくのでしょうか。今回の花はアジサイとします。(2023/5/26)