第61話 「中村哲さん」の映画を観て

 先日、2022年11月7日、浜松の映画館で、中村哲氏の行動を描いた「荒野に希望の灯をともす」を観ました。中村哲さんを支えてきた「ペシャワール会」が企画した映画で、20年以上にわたって撮り貯めてきた映像から、医師・中村哲の歩んだ道をドキュメンタリーとして描いたものです。彼の言葉と行動に素直に感動しました。どこかで、上映される機会があれば、ぜひ、多くの人に観てほしいと願っています。

 中村哲医師は、パキスタン僻地の治療活動から始まり、やがてアフガニスタンへと活動を広げ、医療活動を行っていきました。しかし、その中で、しだいに医療活動だけでは現地の人たちの根本的な救済とはならないことを自覚して行きました。命と生活を支える必要を感じ受け止めたのです。タリバンと米軍との激しい戦闘の中で、現地の人たちが希望を持って生きることが出来る営農の出来る環境作りと取り組んだのです。現地の人たちと一緒に、大きな川から用水路を引き、井戸を掘り、清潔な飲み水と農業用水を確保して緑の大地を拡大させていくことが「まことの平和を築く道」であり、「命と健康を守る道」であることを、その生涯をもって提示したのです。

 中村哲さんは、タリバンによって施設が襲撃されても報復することを禁じ、日本の国会に招致された時には、自衛隊の派遣では問題の解決とならず、現地人に仕える道こそが平和の道であると訴えました。現地人のイスラム文化を破壊するのではなく、それを尊び、一人の命も失われず、自然と共生し、人が自然の中で生かされる道を切り開こうとしたのです。

 「まことの積極的平和」が、ここにあります。安倍元首相は、戦争への備えをする、軍備を増強することを「積極的平和主義」と言いましたが、これは言葉の間違った使い方です。元々、最初に「積極的平和」を語ったのはノールウェーの平和学者ヨハン・ヴィンセント・ガルトゥングでした。戦争のない状態は「消極的平和」であって、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力のない状態を「積極的平和」と語ったのです。中村哲さんの生涯、その思想と行動は、まさに積極的平和構築のための働きであったのです。久し振りに感動しました。軍備増強が語られる現在の日本で、しっかりと受け止めてほしい貴重な人でした。今回の花は「平和の花」と言われるディジーとします。(2022/11/11)

第62話 「死刑制度」の廃止を求めて

 岸田内閣の葉梨康広法相が、法務大臣は死刑執行のハンコを押すだけの地味な役回りだと法相の職務を自嘲し、軽視、侮蔑した暴言に批判が集中して閣僚の辞任となりました。法相の発言が暴言であることは勿論ですが、その後、関係者やマスメディアなども「死刑」についての本質的な議論へは進みませんでした。旧統一協会問題と比べて不思議なことです。

 わたしは、最近「袴田さん支援クラブ」の講演会に数回参加する機会を得、それを機会に死刑制度について真剣に考えるようになりました。今は古典とも言える団籐重光著「死刑廃止論」を懐かしく思い出しました。最高裁判事も経験した著者が、人権を基礎に据えて誤判、誤審の事実を指摘し、世界の潮流を紹介しつつ、死刑廃止を正面から熱く述べたものです。袴田事件は誤審・誤判の問題と警察・検察による過酷な取調べの問題です。裁判システムも人間のなすことであり、当然ミスがあり、間違ったら国による無実の人の殺人になります。0.01%でも誤判、誤審の可能性があるなら、基本的には死刑制度の廃止しかありません。

 最近、朝日新聞の書評欄で平野啓一郎という小説家の書いた「死刑について」という本が紹介され、購入して読みました。死刑廃止についての多くの書物を読んできましたが、これは「分かりやすい」本です。死刑廃止についての議論は堅苦しい側面がありました。また、犯罪被害者の側からの議論が乏しかったと言えます。平野啓一郎さんは、最初、死刑肯定から出発したこと、小説家の文章の軟らかさ、柔軟な思考に基づいて記されており、わたしは好感をもって読みました。多くの人に読んで欲しい本です。

 この本が強く指摘しているのは、日本で死刑廃止が出来ないのは「人権教育の失敗」であるということです。わたしも同感です。日本人の思考の基本には「人権」の意識が抜け落ちているのではないでしょうか。これは死刑廃止だけのことではありません。信教の自由も、ジェンダーの問題でも、外国人の受け入れ、入管業務や難民の受け入れについても、学校教育についても通底していることです。日本人には人権感覚が希薄、ないしは脱落しているのです。

 人権感覚が強く求められるのは、警察・検察の取調べにおいてです。小林多喜二の拷問死に象徴されるような拷問が今なお続けられているのです。袴田事件の背後には証拠の不提出、ねつ造さえ行われ、無実の者でも罪を認めてしまうような悲惨な実態があるのです。その根底にあるのは、法を取り扱う人たちの中に根強くある人権感覚の無さなのです。

 死刑廃止のために国民世論の熟成を待つのは不毛です。日本にもフランスのミッテラン首相のような指導力のある政治家の登場を待ちたいものです。それと同時に、基本から「人権教育」に取り組むことです。日本では、明治初期に「天賦人権論」が紹介されましたが、大日本帝国憲法と教育勅語で否定されました。最近でも「天賦人権論」が叩かれています。これは基本的人権の否定です。基本的には「天にいます神」の思想がないことです。「人を人として生かす」神を持たない民の悲劇なのです。あらゆる人を根底から生かし支える存在を認めることです。死刑制度の廃止を求める中で「基本的人権の意識」を確立したいものです。今回の花は人権の花と言われるひまわりとします。(2022/11/25)