折々のことばと写真Ⅵ

第51話 今、問われている「天皇制」

 今日は、いわゆる「建国記念の日」です。しかし、キリスト教会では、これを認めず、「信教の自由」を主張する日としています。今回は、ここで簡単に現在の憲法の下での「天皇制」の問題について触れておきたいと思います。わたしが個人的に不思議に思っていることです。「天皇制」そのものについては、わたしの手に余る課題ですので、ここでは問題点と考えることを指摘するだけに留めます。

 第1点は、現憲法全体の中での「第1章 天皇」の納まりの悪さ、矛盾した存在であることです。憲法の基本原則の1つである「主権在民」の原則から大きく浮き上がっています。選挙も経ずに「日本国民統合の象徴」とされ、さらに「皇位は世襲のもの」されています。世襲は、民主主義の理念、平等の原則に反しています。重要な国事行為を行う根拠はまったく示されていません。旧「大日本帝国憲法」の改正とされたところからの継続なのでしょうが、現憲法の基本原則から大きく逸脱している存在です。

 第2点は、今日的な男女平等原則からの根本的な逸脱です。憲法第二条で「皇位は世襲」とされ、「皇室典範の定めるところ」としています。その皇室典範の第一条は「皇位は、皇統に属する男系男子が、これを継承する」となっています。女性が全面排除されています。多くの女性が天皇になっていることは歴史的事実です。近代憲法である現憲法が、歴史的にも存在していた女性天皇の存在を認めず、男女平等原則を全面否定する現在の天皇制の存在について理解できません。

 第3点は、天皇と皇族とされている人たちが、憲法が規定し、保証する基本的人権に基づく自由を享受していないことです。先日、結婚し渡米した真子さんたちが、自由に恋愛し、普通に結婚することが、なぜ、こんなに非難されねばならないのか、考えさせられました。天皇と皇族の人たちには、選挙権はなく、思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由、職業選択の自由、結婚の自由、などもないようです。皇族の結婚は「皇室会議」の議を経ねばならない。どこの世界に、結婚が「会議の議を経る」必要があるでしょうか。

 憲法の定める基本的人権を持たない天皇が、基本的人権を持つ国民の「象徴」とされているのです。これを逆転させれば、基本的人権を持つ国民は、天皇を統合の象徴とすることによって、国民が本来持つ基本的人権が「無化される」ことになるのではないでしょうか。異界の人が、現実の生身の国民の象徴となるとは、たいへんおかしなことと言っていいのではないでしょうか。今回の花は、艶やかに咲く藤とします。(2022/2/11)

第52話 「原発」を止めよう

 東日本大震災から11年が経ちました。「3・11」の記念日になると、テレビも新聞も津波の恐ろしさ、復興の遅延などを語ります。しかし、東日本大震災から、まず真剣に学び、早急に取り組むべきことは、全国の原子力発電所の廃棄、廃炉ではないかと考えています。

 わたし自身、東日本大震災でフクシマの原発事故が起こるまでは、それほど深刻に考えてはいませんでした。しかし、フクシマの原発事故の深刻さを見聞きするに及んで、原発は自然と人間を犯し、国を滅ぼすものと受け止めるようになりました。原発事故は、他のどのような施設・工場の事故とも異なる「亡国の事故」となるのです。

 「想定外」という言葉があります。どのような施設であっても「予測」を立て、設計し、稼働させます。そのすべてに「人間が関わり」ます。人間はそのすべての過程・工程において決して完璧ではありません。ミスを犯します。人間は必ずミスを犯す。これは絶対の経験知です。どんな工場でも事故が起きます。最先端の航空機でも墜落します。しかし、工場や施設でも、航空機事故や自動車事故でも被害の範囲は限定的です。ところが、原発事故は1つのミスが決定的となるのです。「ミス」を組み込まなかったフクシマの原発事故は「人災」で、国と企業、科学技術者の共同犯罪です。その結果の影響は甚大です。多くの人が死に、影響が将来に永続します。故郷の廃墟化、亡失、地域滅亡となるのです。

 原発は「トイレのないマンション」と言われています。工場を稼働すると、どんな場合でも「廃棄物」が出ます。廃棄物処理を考えないでの営業運転は考えられません。ところが、原発だけは、不思議なことに「最終処理」を考えないで運転を開始してしまいました。ウランを燃焼させ、さらに再処理して「安価な電力」と言ってきましたが、最終処理のための数万年に及ぶ管理費、地域対策費などを計算に入れていません。極めて高価な電力となります。廃棄物処理、終末処理を考えずに進めてきた国家犯罪と言っていいでしょう。

 今、ロシアによるウクライナとの戦争が行われています。チェルノブイリ始め原発への攻撃がなされています。原発は、戦争時、テロの時、格好の攻撃目標になります。巨大な施設で弱点を多く抱えています。どんなに防衛しようとしても出来るものではありません。原発は「原爆となる」のです。日本という国は、地震大国というだけでなく、近年は近隣諸国との緊張関係を抱え込んでいます。21世紀は平和の世紀ではなく、戦争の世紀であるかもしれません。危険な原発は、速やかに、計画的に、自然再生エネルギーに代替えして、廃炉にしていくべきです。今回の花は、見捨てられた思いを物語るアネモネとします。(2022/3/11)

第53話 「武力には武力」を止めよう

 ロシアによるウクライナへの侵略戦争が悲惨な状況を生み出しています。あからさまな侵略で世界中から抗議の声が挙がっています。これまでにもロシアだけでなく、アメリカによるアフガニスタンやイランへの侵略がありました。これらの1つ1つに対しても、「国連憲章に反する犯罪行為である」と声を挙げるべきでした。

 ウクライナの惨状について、マスコミによる映像で大きく報道されています。第2次世界大戦で、日本が米軍の本土空襲によって生じた焼け野原の姿を思い出させます。わたしは、空襲におびえて防空壕に逃げ込んだ世代です。多くの人が家を焼かれ、病院や学校が破壊され、親を失い孤児となった子らが流浪していた状況が、再び、21世紀にウクライナで生じているのです。ロシアのプーチン大統領による明白な戦争犯罪です。侵略戦争の終止を祈ります。

 日本では、このウクライナの危機を奇貨とし、これに便乗する形で、憲法9条を改悪しようとする勢力が出てきていることに十分注意しなければなりません。憲法9条を変えて、「武力には武力を」という力の論理に走ることは、プーチン大統領と同じ思考と論理になることに気づかないのでしょうか。戦争の悲惨を産み出す論理です。

 日本国憲法9条は、戦前の日本の武力による国の拡大と戦争の悲惨な結果を受け止め、反省し、戦後日本の出発点としたものです。再び戦争をしない、他国を侵略しない、そのための武器を持たないという決意を明らかにしたのです。戦後の新制中学・高校で、この平和憲法を感激をもって学んだことを思い出しています。そして、現在、わたしは「9条の会」に加わり、護憲と9条の指し示す平和の確立のために祈り、活動をしています。

 ロシアによるウクライナへの侵略戦争は、日本国憲法9条のすばらしさをはっきり示しています。国威を計り、国民の不安をあおり、力の論理によって国土を拡張しようという思想は、もう時代遅れの帝国主義の思想です。憲法9条は、世界に誇ることの出来る先進的な不戦の誓いです。「イエスは言われた。『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる』」(マタイ福音書26:52)。これが永遠の真理です。今回の花は黄色いバラとします。(2022/4/1)

第54話 「憲法記念日」に想う

 5月3日は、「憲法記念日」です。わたしにとり、多くの祝日の中で、この記念日は喜びをもって祝うことのできる数少ない日です。わたしは、現憲法が完全無欠などとは夢にも思っていません。人間の作ったもので完璧なものなどありません。時代が変われば変更した方が良いところも出てきます。削除し、改定したいと願うところも目に付きます。

 しかし、戦時中の辛さと戦後の悲惨さとを体験した者の一人として、当面はこの憲法をしっかり抱きしめ護持していきたいと決意しています。それは今、改定を言えば、自民党や超保守派の人たちの思う壺にはまってしまうからです。現憲法の基本的人権や国民主権、両性の平等、九条の目指す平和主義などがしっかり確立したら、現憲法の基本的原則に沿って改訂していくべきだろうと思っています。わたしの生きている間には来ないでしょう。

 現・日本国憲法で最も優れた点は、「平和主義」と共に「個人の尊重」です。13条「すべて国民は、個人として尊重される」。戦前の「家制度」を打ち破る基本原則です。これを戦前の家族制度に戻そうとしているのが自民党案です。自民党の改憲案は、家族制度を復活させて、自助、共助にとどめて「公助」を削減しようとするものです。また、女性を家に閉じ込め、男性中心の制度設計とし、天皇家を中心とした「家族制国家」を再現しようとしているのです。

 19条の思想及び良心の自由、20条の信教の自由、21条の集会、結社、及び言論、出版の自由、は固守すべきものです。とりわけ20条「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない。②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式、または行事に参加することを強制されない。③国及びその機関は、宗教教育、その他いかなる宗教的活動もしてはならない」は大切です。この20条は、個人の自由を重んじ、神道国家の形成を打ち破り、個人の尊厳を守る基本原則です。これが厳密に執行されることを深く希望しています。

 戦後日本の歩みは、これら優れた憲法原則を持ちながらも、いずれも曖昧、不徹底にして来ました。「立憲」とは、この憲法原則に立つことで、国家としての約束、誓約なのです。多くの人の目は「9条」に行きますが、「憲法記念日」に当たり、9条に示されている平和主義を確立すると共に、さらに個人の人権や信教の自由権を確立することを祈り求めてまいりたいものです。今回の花は、「約束を守る」を意味するオオデマリとします。(2022/4/29)

第55話 いったい、何処へ行こうとしているのか?

 今年は戦後77年となります。この2年間ほどは、日本中が新型コロナウィルスの感染禍で右往左往しました。今年2022年の2月以降は、世界中がロシア・ウクライナ戦争で打撃を受けました。これらの出来事を通して、日本という国の実相が現れてきたと言っていいでしょう。政治と行政の無様な姿が正体を見せたのです。ロシア・ウクライナ戦争がリトマス試験紙のようになり、今日の日本の政治状況、社会状況、思想状況、がはっきりとしてきました。

 わたしは牧師を引退して自由な時間が出来ました。以前から願っていた「九条の会」に加わり、幾分かの活動をするようになりました。その中で感じたことは、今や「九条」だけでなく、日本国憲法の存在自体が危機に瀕していることです。公然と憲法の条項が軽視され、無視されている。とりわけ、ウクライナの戦況を踏まえて、政府首脳だけでなく、野党も含めて「戦備拡大」へと舵が大きく切られたと言っていいでしょう。

 自民党と岸田自公政権は、防衛費を5年以内にGDP(国内総生産)比2%以上にすることを閣議決定したとのことです。しかも、それを岸田首相は対外的にも公言しています。中国その他の国々の軍拡競争に火を着けたと言っていいでしょう。それに対して、ブレーキをかけ、ストップさせるべき野党陣営が四分五裂して、事態をむしろ加速させているのです。日本は、もう一度、軍事大国への道を歩もうとしているのではないでしょうか。

 コロナ禍で判ってきた日本の貧しい状況への配慮などはないに等しいのです。医療関係費、教育関係費、貧困家庭などのために、防衛関係に割かれる費用を振り向けてほしいものです。日本は軍事によって国を建てるのではなく、医療や教育、福祉、科学技術、貿易によって国を建て上げる決意をしてほしいのです。それが、「日本国憲法」を受け止めた敗戦国家の決意だったのではないでしょうか。もう一度、この国は敗戦への道を歩もうとしているのでしょうか。今回の花は、この国の文化を強靱に下支えしてきたミツマタの花とします。(2022/6/17)

第56話 なぜ、この困窮に怒らないのか?

 日本は、新型コロナウィルスの感染禍で右往左往しました。自宅療養という名で診療拒否も起こり、死者も出ました。政府や自治体からの休業要請に自主的に従い、その結果、廃業や失業に追いやられ、学業の中退や食事に事欠く人たちも出ました。しかし、デモも反対運動も起こりません。安倍から菅、そして岸田と首相は替わりましたが、自公政権は安泰です。参議院選挙を前に行われた世論調査でも高支持率を保っています。あってはならないことです。

 今年2月から始まったロシア・ウクライナ戦争で日本の経済は大きなダメージを受けています。超低金利政策が維持されて驚くような円安になっても「しかたない」と受け止めています。驚くほどの物価の高騰が続いていますが、賃金は上がりません。高齢者への年金支給を減額しています。テレビでは物価上昇への小手先の生活防衛は語っても、政府への政策転換を促す声は聞かれません。メディアの責任は大きいです。

 超低金利政策が続き、大企業の内部留保は大きくなり、新自由主義的な経済政策が続きます。その結果、弱肉強食の世界となっています。庶民や下層階級の人たちは貧困の中で呻いています。あちこちから呻き声は聞こえてきますが、それが政治の力にはならないのです。怒りの声を結集させねばなりません。「自分の一票では、何にもならない」と無力感を表明するだけです。投票せずに棄権することは、ますます自分たちを貧しくする道なのです。庶民の懐を直撃している消費税だけでも減税ないし廃止することを要求しましょう。今回の花は踏まれても踏まれてもめげずに咲くクローバーとします。(2022/7/1)