折々のことばと写真Ⅳ

第31話 漂流を続ける日本丸

 新型コロナウィルスの感染禍の中で、連日、テレビ、新聞では感染状況と街中での人の動きが報道されています。医療現場で働く人たちの苦悩、経済的に逼迫している町の人たちの痛みと苦しみ、慌ただしく記者会見する地方自治体の首長たち。その中で、国会が6月末で閉会となって以降、顔を見せないのが安倍首相です。いったい、安倍さんはどこにいるのでしょう。

 新型コロナウィルスの第2波が来ています。国中の人たちが悲鳴を上げている状況です。コロナ禍の対処のため、世界中の国々の指導者は、適切か否かは別にして、真剣に国民に呼びかけています。あのトランプさんでもマスクをして会見に臨んでいます。いったい、安倍さんはどこに雲隠れしているのでしょう。

 野党も、ようやく臨時国会の開会の要請を出しました。東京都の医師会も国会を開会して法案の審議を要請するようになりました。PCR検査、一日2万件はどうなっているのでしょう。与野党あげて課題に取り組まねばならない時です。本来、陣頭指揮を執らねばならないこの「非常時」(わたしは「非常時」という語は使いたくないのですが)に、日本丸は指揮官を失った漂流船のように右往左往しているのです。

 第2次補正で膨大な「予備費」を計上して済みではありません。コロナ禍の第2波、第3波で、経済は大きくダメージを受け相当逼迫するでしょう。医療関係も大きく損傷するでしょう。大きな国家的な手当をしなければなりません。一般会計の組み直しをすべき政治の出番です。早急に延期したオリンピック・パラリンピックを中止して、その費用を支援のために充当すべきです。トランプさんに強要された戦闘機の購入費を削減して回すべきでしょう。

 先のアジア・太平洋戦争では敗戦の決断の遅れが決定的となりました。最高指導者のグズグズが千載に悔いを残すことになります。安倍さんにこのまま日本丸の指揮を任せているわけにはいかないでしょう。野党の方々の奮起、知恵と決断とが頼りです。今回の花は、「沈黙」という花言葉を持つベラドンナリリーとします。実家の裏にさみしく咲いていました。野党の方々に雄弁に語り出してほしいものです。(2020/8/1)

第32話 敗戦後75年の記憶喪失

    今年2020年は、敗戦後75年です。戦後も75年経ったかという思いと共に、現在のコロナ禍の後、これから日本の国はどこに行こうとしているのかという不安が増しています。わたしは今から10年ほど前に、生まれた地・旧満州を見るために中国の東北部を旅しました。日中戦争の引き金となった柳条湖事件の跡地に大きな記念館が建てられ、巨石の碑に「1931 9・18 勿忘」と大書されていたのが忘れられません。

 わたしたち日本人は、もう忘れてしまったのでしょうか。沖縄戦の壮絶な経験も、広島と長崎に落とされた原爆の悲惨さも、そして敗戦の事実も、きれいに忘れてしまったようです。都合のいい「未来志向」の名の下に、自分たちの犯した戦争の犯罪もアジア諸国への侵略と加害の事実も、爆撃で焼土となった戦争体験も、きれいさっぱり記憶の彼方に押しやっているようです。「語り部」と言われるごく少数の人たちが僅かな受難の記憶を何とかして伝承しようとしているだけです。

 日本は国家として「戦争の責任」を追求しませんでした。連合国側の「東京裁判」で終わりとしてしまいました。ドイツでは今でもアウシュビッツ強制収容所とナチスの責任を追及し続けていることが最近の新聞で分かりました。国家として戦争責任の追及を怠ったことと、戦後の近隣諸国への賠償を十分にしてこなかったツケが、戦後処理を誤り、戦争の記憶喪失の原因になり、新自由主義的経済の考え方と歴史修正主義が生まれてきたのだと考えています。

 新型コロナウィルスの感染禍の中で、漂流を続けている日本丸は、これからどこに行くことになるのでしょうか。過去の歴史を忘れた日本が、改憲し、軍備を整え、原爆も保有し、再び世界の孤児となって、いつか歩んだ戦争への道をひた走ることだけは決してないようにと祈るばかりです。今回の花は、国の為政者・指導者、国民のすべてが他者に対する「優しい心」を持ってほしいと願いつつ、アヤメ(花菖蒲)とします。(2020/8/14)