71、「聖霊」の働きについて

 今回は「ペンテコステ」(聖霊降臨日)をだいぶ過ぎてしまいましたが、聖霊の働きについて幾らかのことを記そうと思っています。

 「ペンテコステ」は大切なキリスト教の記念日です。主イエスが地上におられた時に予告した通り、弟子たちの上に聖霊が降って新約の教会としてキリスト教会が出発した大切な時です。聖霊こそ、教会を生み出し、教会を支え導く三位一体の第三位格の神です。また、聖霊はキリストの霊として個人の心中に深く働き、信仰を起こし、救いを成就し、その働きをもって完成へと導いてくださいます。聖霊こそ、代々の教会と信徒とを導き守る、今働く神の力です。

 しかし今日、「聖霊」についての理解で、教会の中に幾らかの困惑と騒動が起こっています。異様に高揚した熱気に満ちた集会がなされる中で、「異言」と言われる意味不明の言葉が語られたり、特別な「癒し」ということが行われたりしているようです。このいう集会を経験した人たちが、静かな雰囲気の教会の礼拝に出席した場合、物足りなく感じ、この教会は聖霊に満たされていないと言ってしまうのです。

 実は、「異言」や「癒し」は近年になって起こったことではなく、古代教会の時代からあった現象です。古代教会では、これらの人たちを「異端」としてきました。しかし、わたしは異端とまで語る必要はないと考えています。聖霊の働きは人の思いや経験則を超えて働きます。わたし自身は、異言を語り、特別な癒やしを行う能力を持ちませんが、この人たちを異端視する必要はないと思っています。

 互いに理解し合うことが必要だと思っています。熱気に満ち高揚した雰囲気がなければ「聖霊に満たされていない」などと語ってはなりません。聖霊は静かに人の心に語りかけ、人を密やかに新しく造り替えるお方です。聖霊は、御言葉と共に働き、御言葉を用いて働きます。神の言葉が語られるところでは、神の霊である聖霊が臨在し働いていることを確信して参りましょう。

 わたしが心配することは、聖霊の特異な働きを熱く語る人たちの中に、「愛国」を強調し、イスラエルの「シオニズム」を支持する傾向が見られることです。それは、やがて教会を根底から突き崩してしまいます。「神の聖霊を悲しませてはいけません」(エフェソ4:30)と記されているとおりです。今回の花はブラシの木とします。(2025/6/26)