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第215回 あなたはわたしの盾

聖書=詩編第3編1-7節

【賛歌。ダビデの詩。ダビデがその子、アブサロムを逃れたとき。】

主よ、わたしを苦しめる者は、どこまで増えるのでしょうか。多くの者がわたしに立ち向かい、多くの者がわたしに言います、「彼に神の救いなどあるものか」と。

主よ、それでも、あなたはわたしの盾、わたしの栄え、わたしの頭を高くあげてくださる方。主に向かって声をあげれば、聖なる山から答えてくださいます。身を横たえて眠り、わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。いかに多くの民に包囲されても、決して恐れません。

 

 今回は旧約聖書・詩編第3編1-7節から、神のみ言葉を聴いてまいります。これから、しばらくですが、旧約の詩編からお話しさせていただこうと願っております。それは詩編の多くは苦難の中からの叫びであると言っていいからです。わたしたちも多くの苦しみを抱えて悩みの中で生きているからです。苦難の中で生きる詩編の詩人の叫びに耳を傾けてまいりたいのです。

 詩編第3編も苦難の中からの叫びです。息子に裏切られた者の叫びです。この詩の作者は紀元前900年代にユダヤの国を治めたダビデとされ、序文に「ダビデがその子アブサロムを逃れたとき」と記されています。イスラエルの王であるダビデは、晩年、息子に裏切られ命を狙われました。クーデターと言っていいでしょう。しかし、その時、ダビデは息子に立ち向かうのではなく、早々に王宮から逃げ出しました。上記の詩は、その時のものなのです。

 「主よ、わたしを苦しめる者は、どこまで増えるのでしょうか。多くの者がわたしに立ち向かい、多くの者がわたしに言います。『彼に神の救いなどあるものか』と」。

 息子のアブサロムの方に多くの人々の支持が集まりました。ダビデを非難する人々で周囲は一杯です。今までダビデに従っていた人たち、親しくしていた人たちも、ダビデを裏切り、「彼に神の救いなどあるものか」と激しく攻撃します。危険が迫り、身の置き場もありません。ゆっくり眠ることも出来ません。ダビデは今、いらだち、怒り、絶望し、呻いています。

 その中で、ダビデは祈ります。神に助けを祈り求める以外に道はなかったのです。ダビデに罪がなかったのではありません。政治的な失敗も多々ありました。女性問題での失敗もありました。そのために今、息子に背かれ、多くの人に背かれたのです。ダビデは自分の罪と失敗を認めています。

 しかし、その中で、ダビデは神に祈るのです。「主よ、それでも、あなたはわたしの盾、わたしの栄え、わたしの頭を高くあげてくださる方」と。自分は罪人だ、自分は失敗を犯した。「それでも、主よ」と祈るのです。ダビデが本当に、心底から頼ることの出来るのは、もう神以外ありません。神だけが、わたしの真実の保護者だ、苦しむわたしを理解して「わたしの頭を高くあげてくださる方」だ、と言います。

 ダビデは、神に向かって叫び続けます。「主よ、助けて下さい」と。神は祈る者の願いに必ず応えてくださると、ダビデは信頼しています。「主に向かって声をあげれば、聖なる山から答えてくださいます」。神は祈りに応えてくださるお方だ。失敗を続けたけれど、こんな自分の祈りに応え、自分を守ってくださるお方である、これがダビデの確信でした。

 そして、ダビデは語ります。「身を横たえて眠り、わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます」。神に、このように祈るところで本当に安らぎを見出したのです。神の懐の中で、ダビデは安らかに眠ることが出来ました。長い間、逃げ惑い、休むことも出来ませんでした。安心して眠ることもできなかった。しかし、神に祈ったところで、神に信頼して休むことが出来た。安眠することが出来たのです。ダビデは、この体験から、神が自分と共にいますという確信を得て、力を回復していくことが出来たのです。わたしたちも、ダビデと同じように、苦しみの中にあるとき、真剣に神に祈りましょう。「神よ、助けてください」「わたしの祈りに聴いてください」と。この祈りが聞き届けられるのです。祈りは不思議な世界です。