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第22回 恵みのオアシス

聖書=旧約・詩編36編8-10節

神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ、あなたの家に滴る恵みに潤い/あなたの甘美な流れに渇きを癒す。命の泉はあなたにあり/あなたの光に、わたしたちは光を見る。

 

 暦の上では「立秋」となりました。しかしまだ、たいへん暑い日々が続いています。このような時には、病床でお過ごしの方は残暑や急激な気象の変化などで苦しみを感じておられるのではないかと思っています。

 今回は、上記の旧約聖書・詩編36編の一部分から神さまの恵み深さを学んでまいりたいと願っています。この詩編36編は、元は2つの別々の詩であったものが、何かの機会に1つにまとめられたのではなかったかと言われています。今回はその後半の部分に目を向けてまいりましょう。

 もう一度、先ほどのみ言葉をお読みしましょう。9節です。「あなたの家に滴る恵みに潤い、あなたの甘美な流れに渇きを癒す」と記されます。この詩の作者は、イスラエルの王ダビデであると言われています。ダビデは、紀元前900年代、パレスチナで生きた人です。パレスチナは、夏になると日中は50度近くになります。そのような暑さの中では、人は歩き回ることはできません。人々はジッと木陰でうずくまって夕暮れの涼しさを待ちます。

 もうだいぶ以前のことになりますが、わたしもイスラエルを旅したことがあります。夏のある日、エリコの遺跡の丘への道を歩いていたら、くらくらっと倒れてしまったことがあります。幸い、案内してくださっていた方が近くの喫茶店に運び込んで、冷たい水を飲ませ、胸を開いて冷やしてくださって助かりました。夏になる度に思い出す出来事です。

 しかし不思議なことに、どんなに暑くても木陰に入ると本当に涼しい。ホッとさせられます。ダビデはイスラエルの王でした。しかし、その生活は、毎日、乾いた砂漠を旅するような殺伐とした生活をしていたようです。気候の暑さだけのことではありません。毎日が苦しい戦いの日々でした。自分の子に裏切られるというつらいことも経験しました。夏の暑い炎天下に、太陽の下を歩くような痛みと苦しみとを経験していたのです。くらくらするような毎日を過ごしていたのではなかったでしょうか。その時に、ダビデは、人が木陰に入るように「神の翼の陰に」身を寄せたのです。木陰に身を寄せるように、神の守りの御手に身を委ねたのです。

 ここで、ダビデが「あなたの家」と語っているのは、神のいます神殿を指しています。この時代は、実際にはまだ神殿はなく、簡便な幕屋の時代でした。しかし、幕屋と神殿とは同じです。この詩の作者は、神の宮のすばらしさ、慕わしさをうたっているのです。神の宮における礼拝は、乾ききった砂漠の旅路の中で、清水がこんこんと湧き出るオアシス(泉)を見つけた旅人の喜びにも等しいというのです。疲れ果て、乾ききった旅人は、湧き溢れ、したたり、流れ落ちるオアシスの清水を心ゆくまで飲み、ちりにまみれた体を清水で洗い流します。長くつらかった旅の疲れが癒され、やすらぎが与えられるのです。「あなたの家に滴る恵みに潤い/あなたの甘美な流れに渇きを癒す」と謳います。

 この詩の作者は、その人生の中で、夏の炎天下でくらくらして倒れ伏すような経験をした。その時に、神に身を避けて、神の宮での礼拝に心をいやされ、ホッとくつろぐ時を持ったのではないでしょうか。そこでだけ、心身共にくつろぎ、いやされたのです。この疲れと渇きをいやされ、心と体が共に力を回復された恵みを歌っているのです。

 今日のわたしたちにとっても、教会に集って、神を礼拝することは、まさに人生の砂漠の旅路におけるオアシスのようなものです。「あなたの家に滴る恵み」とは、神を礼拝する者たちに与えられる平安と慰め、まことのくつろぎです。疲れて乾ききった人生の旅路の中で、心が本当にいやされ、慰めが与えられる。それが礼拝です。

 「あなたの甘美な流れに渇きを癒す」。このオアシスの甘美な水の流れは、心の渇きを内側からいやしてくれる天からの神の恵みの水なのです。主イエスは「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ福音書7:37,38)と言われました。主イエスは、今も心に渇きを持つ人を招いておられます。